豊田 真奈美(とよた まなみ、女性、1971年3月2日 - )は、日本のプロレスラー。一時期豊田 魔波(読み方同じ)を名乗っていたこともある。島根県益田市出身。1987年8月5日、全日本女子プロレスでの対中村幸子戦でデビュー。同期の下田美馬とスイート・ハーツとしてタッグを組んでいたこともある。山田敏代とタッグを組み大活躍したが、1992年には髪切りマッチで対決を行った。シングルマッチタイトルの頂点であるWWWA世界シングル王座まで上りつめ、1990年代の全女の象徴として君臨した。現在もなおマットで活躍を続ける女子プロレス界のトップスター。テクニックは評価が高く、WWEディーヴァからもリスペクトを受けている。ナタリアはサバイバー・シリーズで組みたいレスラーの1人に挙げ、リタは自身のWWE殿堂入り式典のスピーチの中で豊田を称賛した。使う技は難易度が高く、彼女のオリジナル技が他のレスラーに使われることはほとんどない(全くないわけではないが、身体能力の問題で他人にはできないことが多い)。オリジナル技には出身地にあやかって「ジャパニーズ・オーシャン」の名を冠し、いずれも相手の腕をロックした状態で使うのが特徴的である。女子プロレスには男子プロレスの影響が技などの面で少なからず及ぶことがあるが、豊田は全く男子プロレスを見ないタイプでその影響は全くといって良いほどなく、むしろ頑として拒否していた程であった。この辺りにも彼女の孤高さが見え隠れする。本気で勝負する選手であり、手加減はしないと断言している。特に「ラスタとんねるず'94」のジャイアント将棋では、本気さを見せつけ木梨憲武扮する憲王と3度に渡り死闘を繰り広げ2勝1敗の成績を残している。同番組最終回のジャイアント将棋インテグラルでは、全女時代のかつての先輩・ライオネス飛鳥と相撲対決(実質はレスリング勝負)で壮絶な死闘を繰り広げた末に敗れている(豊田は現役選手である自分が引退した飛鳥に敗れたことを大変悔しがった)。1993年、山田敏代と豊田真奈美による「POWER ON THE DREAM」という曲でCDデビューも果たす(8cmシングルCD「Deep Up!」に収録。ポニーキャニオン)。試合ではプランチャなどの華麗な飛び技を多用し、「飛翔天女」の異名をとる。ほとんどの飛び技は練習では怖くて飛べず、試合中の勢いに任せて飛んでいるらしい。全日本女子時代の彼女のイメージ・カラーはピンクだったため、ピンク色の紙テープが飛んでいた。コスチュームの色もごく初期を除いてピンク×白→ピンク×黒と変化していき、最終的に黒を基調としたものとなった。一時期赤×金を着ていたが再び黒を基調としたものに変えている。ガウンも黒が基調だったがコスチュームの色を変える以前から赤や白を取り入れている。本人によると黒を好む理由は「全ての色を内包した一番派手な色だと思っている」から。一時期コスチュームを赤に変更した理由は当時全女から選手が大量離脱し、残ったレスラーのほとんどが(黒を含む)暗色系のリングコスチュームだったため。極度の打たれ強さとスタミナから「ゾンビ」という異名をとる。女子プロレス界の歴史において打たれ強さは人間離れをしており工藤めぐみと双璧をなしている。自分も怪我しそうな技を多く使うわりには負傷することが少ないのも特徴。全日本女子プロレスでは対抗戦初期までは場外にマットを敷いていなかったが、他の主力選手達と同様、平気でケブラーダやプランチャ、ミサイルキックを場外に放っていた。体が非常に柔軟である。そのため高い身体能力と合わせ、後述のような難易度の高いオリジナル技を多数持つ。さらに相手の関節技が十分な威力を発揮しないことも多い。トップロープから場内、場外へ飛ぶときの決まり文句が「よっしゃ行くぞー!」である。トップロープから場外へ飛ぶ際には、しばしば飛ぶ直前に手を合わせて拝むような格好をしていた。
出典:wikipedia
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