『天と地と』(てんとちと)は、海音寺潮五郎の歴史小説。1960年から1962年まで『週刊朝日』に連載され、1962年に朝日新聞社から単行本が刊行された。上杉謙信の生涯を、生まれる前から川中島の戦い直後まで描く。海音寺の代表作である。1969年に大河ドラマ第7作『天と地と』としてテレビドラマ化された。また1990年には、角川春樹事務所により映画化され、この映画の公開連動企画としてテレビドラマ『天と地と〜黎明編』も製作された。2008年にもドラマ化されテレビ朝日系列で放送されている。虎千代(後の謙信)は、父・為景に出自を疑われ、養子に出されそうになったり、寺に入れられたりした。しかし、父の跡を継いだ兄・晴景に統率力がないと悟ると、兄を倒し、越後を統一することになる。成年後よりも幼少時の物語に紙数を多く割いていることが特徴である。海音寺潮五郎は「日本人に日本歴史の常識を持ってもらいたい」という考えを持ち、歴史の真実を伝えることに主眼を置く「史伝」という形式の作品を多数執筆している。その代表作が『武将列伝』である。この『武将列伝』では戦国時代の武将をはじめとして、日本史上で「武将」と呼ばれた人物が数多く取り上げられているが、これらの人物は当時作品を連載していた『オール讀物』の編集者の指示によって人選されたものであった。これは編集者を読者の代表に見立て、その要望に沿うことがすなわち読者の要望に沿うことであるとの考えに基づくものであった。連載の途中、次は武田信玄を取り上げたいとの依頼が海音寺に届いた。武田信玄の事績を調べ始めた海音寺であったが、その中でライバルである上杉謙信の事績にも必然的に触れることになり、上杉謙信を深く知るにつれて、謙信が持つ魅力に強く引きつけられた。『武将列伝』の中で上杉謙信を書きたいと思った海音寺であったが、編集者からその要望が出ることはなく、連載は終了を迎える。それから数年がたったある日、当時『週刊朝日』の編集長をしていた田中利一から、連載小説の仕事が海音寺に打診された。その条件は、「主人公は誰でもよい。仮想の人物でもよい。従っていつの時代でもよい。人間の成長して行く過程を書いてもらいたいことだけが条件だ」ということであった。海音寺の脳裏には即座に上杉謙信のことが浮かんだが即答は避け、熟慮の後、上杉謙信を主人公にしたいという旨を田中に回答して了解を得た。こうして執筆されることになったのが、この『天と地と』である。上杉謙信を主人公とすることを決意したことについて、海音寺は「川中島の戦いは古来、文学として数多く取り上げられているが、ほぼ全てが武田側からの視点で描いたものであり、上杉側から描いたものは目にしたことがなかった。だからこそ、未開の野を開拓する気持ちも込めて、上杉謙信を取り上げることにした」と説明している。本作には山本勘助が登場しない。これは、明治期に導入されて実証主義歴史学の手法により、まず田中義成によって1891年(明治24年)に山本勘助の主要な活躍が記される『甲陽軍鑑』の史料性が否定された。戦後には1959年(昭和29年)に刊行された奥野高廣『武田信玄』により勘助非実在説が唱えられ、架空説が流布した。海音寺はこうした勘助の実在を否定する学説を支持し作品において勘助を登場させず、1969年の大河ドラマ版では原作にしたがって勘助を登場させていない。大河ドラマ『天と地と』放送中の10月に「山本菅助(勘助)」の存在を記した市河家文書が発見された。さらに近年では2008年に真下家所蔵文書が発見され、「山本菅助」の実在が確定され、また菅助=山本勘助とする見解が有力となった。このような経緯もあり、後述の映像化作品には勘助が登場している。1990年に公開された(旧)角川春樹事務所製作の、いわゆる角川映画。製作費は50億円だった。プロデューサーの角川春樹自らが監督を務め、上杉謙信役には1987年の大河ドラマ『独眼竜政宗』でブレイクし、当時最も期待されていた若手男優渡辺謙を抜擢、巨額の制作費を投入し、合戦シーンはカナダ・カルガリーで大規模ロケを行うなど、海外進出も見据えた文字通りの「大作」となるはずであった。キャッチコピーの「この夏、黒と赤のエクスタシー」の通り、上杉軍を黒一色、武田軍を赤一色に統一し川中島の合戦を描くアイデアが公開前から注目された。しかし、1989年のカルガリー・ロケ中に渡辺が急性骨髄性白血病に倒れ降板、角川が代役にと望んだという松田優作もドラマのスケジュールの都合を理由に起用できず(松田は同年に死去)、緊急オーディションで榎木孝明を代役に立て、何とか撮影続行・公開に漕ぎつけた。。作品の評価は、人物描写が希薄である、意味不明なシーンが多いなどの批判があった一方で、クライマックスの川中島の戦いのシーンでの、全く合成を使わず何万ものエキストラが縦横無尽に動く迫力ある映像を評価するというものもあった。当時から「せめて渡辺が謙信を演じていれば…」という声はあった。2007年の日本アカデミー賞で渡辺が最優秀主演男優賞を獲得した際、この作品を降板したことの無念とその後の苦労をスピーチした。バブル景気の頃に企業から出資を受けて、企業の団体動員に支えられた前売り券映画と呼ばれる映画が数多く作られたが、30社以上の出資を受けた本作は、大映の『敦煌』と並んで前売り券映画の代表作と言われる。しかし、400万枚もの前売り券が企業にバラまかれた結果、配給収入で50億円を突破して数字の上では大ヒットでありながら、前売り券が金券ショップで叩き売られて劇場は閑散としていたという。関連企業を通じて売った前売り券の総数は477万枚または約530万枚ともされる。配給は当初東宝だったが、諸般の事情で商談が決裂し、角川が東映の岡田茂社長に泣きつき、配給は東映洋画部に代わった。角川は岡田に「前売り券を500万枚売る。そのうち、東映で100万枚引き受けてくれ」と言ってきたという。配給が東映に代わったことで、東宝の1990年夏の上映ラインナップに穴が空くこととなり、東宝がフジテレビジョンに相談して、急遽代替の企画として『タスマニア物語』を完成させ、大ヒットさせた。劇中で上杉謙信役の榎木孝明が使用した甲冑は、2007年の大河ドラマ『風林火山』で同役を演じたGacktが自身の曲「RETURNER 〜闇の終焉〜」のミュージック・ビデオの中で着用している。『天と地と』 - NHKで放送。放送期間:1969年1月5日 - 12月28日、全52回。『天と地と〜黎明編』 - 日本テレビ系列で放送。放送日:1990年4月20日。『天と地と』 - テレビ朝日系列で放送。放送日:2008年1月6日。石川賢により漫画化された。映画版公開時には角川書店のメディアミックス戦略により、表紙カバーを映画の映像を利用したものに変更して発売された。映画版とのタイアップで発売された、戦国シミュレーションゲーム。開発陣の当時の代表作『シュヴァルツシルト』のシステムがベースになっている。独特のシステムとして、「謙信が毘沙門天堂に籠り、寿命を削ることで戦力を上げる」などがある。ゲーム音楽は映画版の音楽を手掛けた小室哲哉の楽曲を元に、開発メーカーの音楽担当がアレンジをしている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。