熊胆(ゆうたん)は、クマ由来の動物性の生薬のこと。熊の胆(くまのい)ともいう。古来より中国で用いられ、日本では飛鳥時代から利用されているとされ、材料は、クマの胆嚢(たんのう)であり、乾燥させて造られる。健胃効果や利胆作用など消化器系全般の薬として用いられる。苦みが強い。漢方薬の原料にもなる。「熊胆丸」(ゆうたんがん)、「熊胆圓」(ゆうたんえん:熊胆円、熊膽圓)がしられる。古くからアイヌ民族の間でも珍重され、胆嚢を挟んで干す専用の道具(ニンケティェプ)がある。東北のマタギにも同様の道具がある。※熊胆(胆汁)を採取する畜産業は「熊農場」を参照。熊胆の効能や用法は中国から日本に伝えられ、飛鳥時代から利用され始めたとされる熊の胆は、奈良時代には越中で「調」(税の一種)として収められてもいた。江戸時代になると処方薬として一般に広がり、東北の諸藩では熊胆の公定価格を定めたり、秋田藩では薬として販売することに力を入れていたという。熊胆は他の動物胆に比べ湿潤せず製薬(加工)しやすかったという。熊胆配合薬は、鎌倉時代から明治期までに、「奇応丸」、「反魂丹」、「救命丸」、「六神丸」などと色々と作られていた(現代は、熊胆から処方を代えている場合がある。理由は後述)。また、富山では江戸時代から「富山の薬売り」が熊胆とその含有薬を売り歩いた。北海道先住民のアイヌにとってもヒグマから取れる熊胆や熊脂(ゆうし)などは欠かせない薬であった。倭人の支配下に置かれてからは、ヒグマが捕獲されると松前藩の役人が毛皮と熊胆に封印し、毛皮は武将の陣羽織となり、熊胆は内地に運ばれた。アイヌに残るのは肉だけであった。熊胆は、仲買人の手を経て薬種商に流れ、松前藩を大いに潤した。明治期になっても、アイヌが捕獲したヒグマの熊胆は貴重な製薬原料とされた。昔から知られる熊胆の鑑定法、昔から知られる効能は、『一本堂薬選』に詳しい。青森津軽地方でも、西目屋村の目屋マタギは「ユウタン」、鰺ヶ沢町赤石川流域の赤石マタギは「カケカラ」と呼んだ。熊胆に限らず、クマは体の部位の至る所が薬用とされ、頭骨や血液、腸内の糞までもが利用されていた。主成分は胆汁酸代謝物のタウロウルソデオキシコール酸 (TUDCA) である。漢方薬として熊胆が珍重されている。UDCAの他、各種胆汁酸代謝物やコレステロールなどが含まれている。古来、日本は熊胆を利用しつつもクマの個体数が維持されており、世界的にみても珍しい。狩猟以外の場合は、通常、熊胆本体品は漢方薬局(漢方薬店)で入手する。インターネットなどで通信販売も行われている。熊胆製品の形状は「熊胆原形」、「熊胆粉」、「熊胆配合製剤」などとなっており、配合製剤はドラッグストアなどでも売られている。日本薬局方においては、「Ursus arctos Linné 又はその他近縁動物(Ursidae)の胆汁を乾燥したもの」がユウタンと定義され、日本国内ではエゾヒグマとニホンツキノワグマが用いられている。医薬品医療機器等法に基づき、熊胆の販売・譲渡は、薬務行政から正式な認可・承認を受けることが必要となる。また、原料として薬務行政から熊胆に関連する製造・配合などの許可を受けている仲買・製薬業者への販売・譲渡は、クマから取り出した状態のままでの水洗い及び単純乾燥の販売・譲渡に限り認められている。ツキノワグマやヒグマなど全てのクマ科はワシントン条約により規制されており、カナダ・ロシアなどの輸出国による輸出許可書がない限り国際取引は禁止されている。海外旅行での取得の際には輸出国で所定の手続きを取らねばならないとされている
出典:wikipedia
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