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エマルシェ

株式会社エマルシェ(英称:EMARCHE Co., Ltd.)は、東北地方で展開されているさくら野百貨店のうち、宮城県仙台市青葉区の仙台店を運営している企業。1978年(昭和53年)3月にニチイの支援を受けて丸光(仙台市)、カネ長武田百貨店(青森市)、山田百貨店(福島市)、イチムラ(長岡市)、小美屋(川崎市)と共に株式会社百貨店連合を設立したのが始まりである、同年4月、百貨店連合の設立に参加した百貨店5社と同社が、経営管理に関する業務委託契約を締結して業務を受託し、1981年(昭和56年)3月に先行して武田百貨店、やまだ百貨店、イチムラの3社が合併して株式会社武田山田百貨店を発足させ、1982年(昭和57年)9月に株式会社百貨店連合が武田山田百貨店や丸光、小美屋と合併して5社が経営していた百貨店の経営を完全に引継いだ。1985年(昭和60年)3月に百貨店連合から株式会社ダックシティに社名を変更し、各店の店名の前にダックシティを付けるようになり、1990年(平成2年)のマイカルビブレ事業本部との業務提携に伴って1991年(平成3年)に店名をビブレ(VIVRE)に変更し、1998年(平成10年)2月にダックシティから株式会社ダックビブレに社名を変更した。その後マイカルからの自立を模索していたものの、2001年(平成13年)9月14日に株式の76.4%を直接保有して間接保有と合せて83.4%を保有する親会社のマイカルが民事再生法適用を申請したことに伴い、東京地方裁判所に民事再生法の適用申請をして事実上経営破綻した。民事再生法の適用申請をした際にはそのまま各店舗の営業を続けたが、破綻直後の2001年(平成13年)10月に集客力が低下して業績が低迷していた気仙沼ビブレの閉店を決定して2002年(平成14年)1月10日に閉店した。2002年(平成14年)2月28日、日本政策投資銀行や取引先の企業約10社などの出資で企業再建ファンドを設立して、資本金をいったん100%減資後にそこから出資を受ける形で再建を目指す方針を発表し、2002年(平成14年)5月に再生計画案が債権者集会で可決されて裁判所から認可を受け、日本政策投資銀行や不動産会社で青森店などの大家である武田(青森市)など15の地元企業・団体が11億7800万円を出資して事業再生に乗り出した。この増減資を伴った再建策によりマイカルグループから独立した独立資本の百貨店として営業することになったため、一般から公募した新名称から店舗を展開する東北4県には桜の名所が多いことにちなんでさくら野百貨店を選び、同年10月1日にダックビブレからさくら野に社名と店名を変更して新たなスタートを切った。しかし、2001年(平成13年)9月以降7店全体の売上高が平均で前年比約75%と落ち込んだ状態からスタートし、2003年(平成15年)3月末に7店全体の売上高の2割以上を占める仙台店は、約12億円を投じて全面的に改装して東北初の売場を導入して若い女性客を増やして前年比20%増となったものの再生計画の前年比40%増の半分に留まり、食料品売上が破綻前より25%減に落ち込んだままとなるなど、さくら野百貨店として再スタートしてから1年経った2003年(平成15年)9月時点でも破綻で失われた信用を取り戻せず売上の回復は思うように進まなかった。そのため、2004年(平成16年)1月に高島屋と業務提携して営業部長などの人材派遣を受け、同年11月に高島屋の業務支援を受けて基幹店の仙台店の地下食品売り場を改装してさくら野ごちそう館とするなど提携や改装を行った。2005年(平成17年)4月に初代さくら野百貨店を仙台店を運営する2代目さくら野百貨店(現エマルシェ)、仙台店の資産管理をするさくら野DEPT仙台、仙台以外の東北の店舗を運営するさくら野東北(現さくら野百貨店=3代目)に3分割して新たなスタートを切り、翌月5月に東京地裁から民事再生手続き終結決定を受けた。2代目さくら野百貨店は、2005年(平成17年)4月27日に高島屋の業務支援を受けて、仙台店の7階のレストラン街を含む2-7階のフロアに約60の新規ブランドや売場を導入する大改装を行い、2007年(平成19年)5月29日に株主総会で当時28.2億円だった資本金を1億円に大幅に減資して減損会計に伴う損失処理に対応するなど改革を進めたが、改革の進展が遅れて2009年(平成21年)2月期に売上高が約120億円とピークから半減して約5億円の当期赤字となるなど経営不振が続いた。そこで2009年(平成21年)7月15日の臨時株主総会と取締役会で、分社化以降不振が続いていた2代目さくら野百貨店の社長らを退任させて、さくら野東北社長と2代目さくら野百貨店会長だった臼井修がさくら野東北社長と兼務で社長に就任すると共に、役員もさくら野東北から派遣し、分社化以降別々に行っていた商品調達や販促活動を再び一本化して合理化を図る方針が打ち出された。この再建策の一環として2010年(平成22年)2月期中に外商部門の新規の顧客開拓をやめて既存顧客の対応にとどめて事実上撤退して店頭販売に集中する一方で、共同持ち株会社の設立による経営統合の検討などが進められたが、紳士服や子供服、食器、寝具など6-8階の売場を縮小して7階と8階の一部にブックオフを入居させるなど外部企業に貸し出してテナント化を進めてテナント収入比率が大きく上昇する当店の方向性がさくら野東北が運営している他店の店舗戦略と大きく異なってきたため、2010年(平成22年)4月7日にメリットが少ないとして経営の再統合を断念して当社の前身の2代目さくら野百貨店の保有するさくら野東北株全てを不動産会社の武田とその関係者に譲渡して株式の持ち合いを解消すると共に社長の兼任も解消することになった。この方針に沿って同年5月に経営体制を一新し、同年8月1日から2代目さくら野百貨店がエマルシェに社名変更し、同年9月12日に佐々木社長らエマルシェの経営陣で組織する持ち株会エマルシェ・フェニックス・プロジェクトが大株主の不動産会社の武田とクレディ・スイスグループから全株式の約80.48%にあたる3万2513株を取得するMBOを実施して資本関係の整理を進めて資本的な独立を高めることになった。また、このエマルシェの社名変更と同時にさくら野東北は3代目のさくら野百貨店となっており、現在企業名としてのさくら野百貨店はこの企業を指している。なお、この社名変更後も店舗名は従来通りで、エマルシェの経営する店舗はさくら野百貨店仙台店として営業し、エマルシェと3代目さくら野百貨店の間の商品調達や販促活動などの連携も、継続することになっている。2008年(平成20年)5月1日より、クレディセゾン発行による「さくら野<セゾン>カード」の開始し、旧マイカルカード時代から継続してきたポケットカードとの提携による「さくら野カード」の新規の加入を停止し、既存のカードのサービスも徐々に縮小している。

出典:wikipedia

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