株式会社天満屋(てんまや、"Tenmaya Company, Limited")は、岡山県岡山市に本社を置く日本の百貨店である。中国地方に別会社を含む百貨店9店舗、商業ビル3店舗を配し、スーパーマーケット・ホテルを中心に20を超える企業を傘下におさめる天満屋グループの中核企業である。また、創業者一族である伊原木家が社長を務める同族経営を行っており、岡山県有数の企業グループの中核でありながら未だ非上場である。大手百貨店撤退跡への進出(倉敷店、旧:高松天満屋)や郊外型百貨店(広島アルパーク、広島緑井、米子しんまち、福山ポートプラザ)の展開に積極的で、本店へのバスターミナル建設など大手百貨店とは一味異なる経営手法をとっており、自立した経営で黒字を維持している。ロフトのフランチャイジーも営んでいる。百貨店以外のグループ会社として総合スーパー、食料スーパーの天満屋ストア(天満屋ハピータウン、ハピーマート。東証二部上場)の流通部門がもっとも大きい。ホテルでは、せとうち児島ホテル、ホテルリマーニ等。その他には不動産、警備、人材派遣、情報処理、印刷、旅行代理店、リース等の業種がある。多くの百貨店は提携クレジットカードを地元信販会社などが発行しているが、天満屋は地方系百貨店としては珍しくカードの発行を子会社の天満屋カードサービスを通じて自らが行っている。店舗単位の売り上げは岡山本店が1位であるが、広島市内3店舗で売り上げ全体の40%、さらに福山地区2店舗を含めると50%を広島県内で稼いでおり、地方の百貨店には珍しく、他県への依存度が高い。なお、女子陸上競技部と東児が丘マリンヒルズゴルフクラブは本社スポーツ統括事業部が運営している。岡山店にはかつて地元放送局各社のスタジオや本社が入居していたことがある。1829年(文政12年)に伊原木茂兵衛が備前西大寺(現在の岡山市東区西大寺)に天満屋小間物店を創業。1918年(大正7年)に天満屋株式会社を設立し、1925年(大正14年)に本店を岡山市に移し、形態を百貨店に改組。 1928年(昭和3年)に商号を株式会社天満屋に改称する。岡山本店は、岡山県岡山市北区表町二丁目にある直営店舗(売場面積 28,632 m² 、地上7階・地下1階)である。最初に百貨店として営業を始めた店舗であり、本社も置かれ、売上が最も多い同社の旗艦店である。岡山市内初のエレベーターを設置。隣接する天満屋バスステーションは1949年(昭和24年)に全国初のデパート接続型バスターミナルとして開設された。地方百貨店としてはエレベーターガールのいる数少ない店の一つである。夏期は屋上ビアガーデンが開かれる。周辺にはバスステーション2階の「ビーウイング」と地下1階の「天地下タウン」、向いの岡山表町商店街には「リビング館」や「カルチャー館」などの多くの別館がある。「ビーウイング」から連絡通路によって「岡山ロッツ」と結ばれている。倉敷店は、岡山県倉敷市阿知一丁目にある直営店舗(売場面積 22,126 m² 、地上6階・地下1階)である。1952年(昭和27年)地元商店主等の出資により「つるや百貨店」として浜田町(前店舗の場所)に開業。昭和32年、経営不振により「菊屋百貨店」に受け継がれ昭和36年天満屋の傘下になり、昭和39年の改装を機に倉敷支店と統合された。2007年(平成19年)12月1日に倉敷駅南口の倉敷シティプラザ東ビル(三越跡)に入居していた専門店の最後の地権者が条件に同意し、2008年(平成20年)3月29日に移転、夏の屋上ビアガーデンも復活した。前店舗は取り壊し駐車場となった。津山店は、岡山県津山市新魚町にある直営店舗(売場面積 8,295 m² )である。津山市街地再開発区域に完成した「アルネ・津山」の核テナントとして入居し、同施設の1階 - 3階に入居。開業当初は4階まであったが、売上の伸び悩みから縮小されている。福山店は、広島県福山市元町にある直営店舗(売場面積 27,222 m² 、地上9階・地下1階)で、広島県1号店である。1948年(昭和23年)に地元の財界と商店組合の出資で設立された「鳩屋百貨店」が経営不振になり、鳩屋側の要請により買取ったとされている。以降、現在の場所に店舗があったが1984年(昭和59年)に元町地区第一種市街地再開発事業に伴い現在の建物に改築された。解体・改築期間中は福山市東深津町の福山メモリアルパークに隣接した場所に仮店舗を設置して営業していた。福山ポートプラザ店は、広島県福山市入船町三丁目にある直営店舗(売場面積 4,285 m² )である。日本化薬が建設したポートプラザ日化西棟1階にテナントとして入居。衣料・雑貨が中心で、店長は福山店長が兼任。売上計上は福山店と同一店として扱われる。アルパーク店は、広島県広島市西区井口明神一丁目にある直営店舗(売場面積 26,954 m² )である。三井不動産が開発した広電ストアとの2核1モール型ショッピングセンターアルパークの西館(1階 - 4階)に核テナントとして入居。4時間まで無料の駐車場を完備。開業時は広島市佐伯区および廿日市市を商圏としていたが、JR西日本新井口駅に直結しているため、山口県東部を含む広い範囲から集客している。2009年(平成21年)5月の中国新聞の調査では、山口県岩国市および柳井市において市民が最もよく利用する商業施設として、両市内の店舗を抑えてアルパーク店が1位となった。アルパーク天満屋周南ショップはアルパーク店の支店で、山口県周南市みなみ銀座に2013年(平成25年)4月24日開設。2013年(平成25年)2月28日に閉店した近鉄松下百貨店子ども館が入居していたビルの1・2階を使用し、1階は婦人・紳士服を、2階はギフト商品などを扱い、開設時に採用された店員の多くが近鉄松下百貨店の元店員である。なお、山口県内ではかつて岩国市に小規模店舗を出店していたことがある(2010年閉店)ので、この店舗は山口県初進出店舗ではない。緑井店は、広島県広島市安佐南区緑井五丁目にある直営店舗(売場面積 16,425 m² 、地上4階・地下1階)である。郊外型の単独店舗、屋上・4階・地下は駐車場。ギフト、食品、衣料品など店舗の一角に設けられる。浅口市の天満屋ハピータウンに1号店をオープン。現在、他店の商業施設、独立店舗を展開している。鴨方ショップ…天満屋ハピータウン鴨方店高梁ショップ…天満屋ハピータウン高梁店玉島ショップ…倉敷市玉島。産業道路沿い米子しんまち天満屋(よなごしんまちてんまや)は、鳥取県米子市西福原二丁目にある店舗(売場面積 17,911 m² 、地上5階)である。1987年(昭和62年)、不採算により撤退した米子大丸を継承した(株)米子天満屋を設立。その後、市内の旧店舗から現在地に移転、初の郊外型店舗「米子しんまち天満屋」として開業、社名も店舗名と同じになる。岡山ロッツ(おかやまロッツ)は、岡山県岡山市北区中山下一丁目にある店舗(売場面積 10,000 m² 、地上6階・地下1階)である。株式会社ロッツをイズミと共同出資で設立し、イズミ岡山店跡に開業。3階から天満屋バスステーションと連絡通路で結ばれている。1階 〜 4階までロフトが入居。その他に専門店としてライトオン・無印良品などが入居している。かつては島村楽器・ ムラサキスポーツ・ユニクロ・ヴィレッジヴァンガードも入居していたが、現在は撤退している。なお、ユニクロの撤退後は同じ場所にGUが出店している。天満屋八丁堀ビル(てんまやはっちょうぼりビル)は、広島県広島市中区胡町にある商業ビル(売場面積 21,959 m² 、地上11階・地下1階)である。2012年(平成24年)3月まで天満屋八丁堀店として百貨店として使われていたものを商業ビルに転換。以前は、百貨店激戦地の紙屋町・八丁堀地区に立地する広島市内で福屋八丁堀本店に次いで古い店舗だった。1954年(昭和29年)に経営不振になった広島中央百貨店(1949年開業)に出資し、天満屋の関連会社広島天満屋に改組した。1956年(昭和31年)に吸収され天満屋広島店になり、その後、同市内にアルパーク店が開業したため八丁堀店に改称された。競争の激しい地区にあって、他店との差別化と売上増加を図るため、 2010年(平成22年)10月に7階と催事場に使われていた8階を使って「MARUZEN&ジュンク堂書店」が入居した。2011年(平成23年)9月30日に天満屋が、直営部分の地下1階から6階の閉店を発表し、2012年(平成24年)3月4日に閉店。直営部分の閉店後は、商業ビル『天満屋八丁堀ビル』として運営されている。2012年(平成24年)6月より、核店舗『ヤマダ電機LABI広島』がオープン。同年9月にはユニクロもオープンした。三原店(みはらてん)は、広島県三原市にあった店舗(地上8階)である。1981年(昭和56年)、三原駅前の再開発事業完成に伴いペアシティ三原東館に核テナントとして開業。2006年(平成18年)3月閉店。外商の既存顧客対応は福山店がフジグラン三原内に設置した三原ショップで行っている。福山ロッツ(ふくやまロッツ)は、広島県福山市西町一丁目の福山市所有の建物にテナント入居した直営店舗(売場面積 34,400m² 、地上9階・地下3階)である。1992年(平成4年)に福山そごうが開業したが経営難により2000年(平成12年)に撤退し、2003年(平成15年)に福山そごうの跡に開業。フロア構成は地下1階が食料品、7階が天満屋直営の家具売場、8階が飲食店街、9階がカルチャーなど、百貨店形式を踏襲している。主なテナントはコムサストア・ギャップ・ロフト・ヴィレッジヴァンガード・廣文館、他。2013年(平成25年)4月24日に閉店する事が発表された。閉店後は、大和ハウス工業系の大和情報サービスが後継委託運営先になることが2012年(平成24年)9月12日に決定。2013年(平成25年)1月9日に、閉店後に新たに開業する施設名称を『Rim-F』にすると福山市が発表。予定通り4月24日に閉店したのち同年9月12日に『Rim-f』(リム・ふくやま)に生まれ変わった。高松天満屋(たかまつてんまや)は、香川県高松市常磐町一丁目にあることでん瓦町駅に併設されたコトデン瓦町ビルに開設されていた店舗(34,914 m² 、地上10階(9階は除く)・地下1階)である。2001年(平成13年)、経営難により撤退したコトデンそごうの後に(株)高松天満屋を設立・入居。瓦町駅に併設されたターミナル型店舗で、単独店舗としては最大だった。屋上に乳幼児向けの各施設を完備、夏期はビアガーデンも開かれた。8階に入居していたロフトは天満屋本体ではなく、子会社であり運営会社の高松天満屋によるフランチャイズ店舗であった。なお、セブン&アイ・ホールディングスによる直営でないことは天満屋内のロフト全店と共通している。2014年(平成26年)3月末で閉店。2016年1月に会社も解散、同月特別清算となった。外商の既存顧客対応は岡山本店が郊外の多肥下町に設置した高松出張所で行う。また、丸亀町参番街東館には同じく岡山本店が管轄する「天満屋ロイヤルジュエリーサロン高松」が営業しているほか、丸亀町グリーンに移転した高松ロフトも運営している。1992年(平成4年)創部。現監督は武冨豊。働く女性の象徴的な存在とすることと、バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得した有森裕子が地元出身ということで、マラソン熱が高まったことを受けて創設された。岡山市を拠点とし、オリンピック・世界陸上などに出場する、女子長距離走・マラソンランナーを多数輩出。地元の陸上界では知らぬ者のいない強豪チームとして知られている。ユニフォームのカラーはピンク。ユニフォームの表記は「てんまや」。「天満→天馬」という理由から、ジャージにはペガサスが描かれている。なおオリンピックには、シドニーオリンピック代表の山口衛里、アテネオリンピック代表の坂本直子、北京オリンピック代表の中村友梨香、ロンドンオリンピック代表の重友梨佐と、天満屋からは女子マラソンの種目において、4大会連続で五輪代表選手が誕生した。また2010年(平成22年)の第30回記念全日本実業団女子駅伝では、念願であったチーム初優勝を果たした。※ 第12回 〜 第30回は岐阜県、第31回以降は宮城県で開催。
出典:wikipedia
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