弦楽四重奏曲(げんがくしじゅうそうきょく)は、弦楽四重奏による楽曲を言う。一般には、複数の楽章から成り、多くは交響曲やソナタと同様、急−緩−舞−急の4楽章から構成されており、第1楽章がソナタ形式となっている。弦楽四重奏の父として知られるハイドンが切り開いたジャンルである、というのが定説だが、実はアレッサンドロ・スカルラッティが「四重奏、ただし、通奏低音抜きで」というジャンルを開拓したのが始まりである。以後多くの作曲家がこれに倣って作曲した。ハイドンの初期の作品では、管楽器が含まれている曲がある、低音がBassoとだけ記されている、5楽章ある等の、現在の弦楽四重奏曲のスタンダードな形とは幾分異なった形式で書かれている(作品1および2)。その時期にはチェロが不可欠ではなかったようである。その後4楽章構成となり(作品9)、最低音がチェロと明記され(作品20)、ロシア四重奏曲(作品33)で現在につながる古典的ソナタ形式の形が定まった。ハイドン後期の作品は、現在でも作曲の規範とされ、この様式で作曲を学ぶことになる学習者は今でも多い。その後、ベートーヴェンが壮年期に「ラズモフスキー弦楽四重奏曲」でプロの演奏家が演奏会のために演奏する曲として確立し、さらに晩年にはプロの演奏家が何年もかけて研鑽するべき崇高な作品を残したこともあって、交響曲やピアノソナタと同程度に重要なジャンルとみなされるようになった。しかし、ベートーヴェン以降のロマン派の時代には、シューベルトとドヴォルザークを除いてあまり数多くは作曲されていない。ベートーヴェンの後継者と評されるブラームスでさえ、ベートーヴェンの傑作群の重圧を感じたのか、数多くある室内楽の分野の一分野という程度に、わずかに3曲作曲しただけにとどまっている。チェロ奏者のプロは、当時特に少なく、これが多くの作曲家が離れる原因になった可能性は高い。このようなベートーヴェンの重圧による寡作の時代があったが、その間に決して弦楽四重奏曲が重要なジャンルと見なされていなかったわけではない。たとえば、交響曲やピアノソナタのような「古典的な」音楽には否定的な意見を持っていたドビュッシーですら、弦楽四重奏という「古典的な」ジャンルで、1曲だけだがト短調の四重奏曲を発表している。もっとも、のちにラヴェルが恩師フォーレに捧げた四重奏曲同様、ドイツ・クラシックの権化のような調性音楽上のこのジャンルは、形式上はその体裁を保っていたとはいえ、印象主義の時代には既に古典的な形式の好例と見なされていたことがうかがわれる。近代では、弦楽四重奏曲で2人目の巨匠と言われる作曲家バルトークが現れ、ベートーヴェンの後期作品以来の快挙とも評される6曲の弦楽四重奏曲を作曲した。ややマイナーだが、マックス・レーガーも6曲残した。これらの作品群は現代音楽の古典ともいわれる。その後も、ミヨー、ショスタコーヴィチ、安部幸明らはこのジャンルのために生涯をかけて多くの作品を残している。新ウィーン楽派もこのジャンルに全精力を費やした痕跡が残り、第二次世界大戦後の前衛の時代に於いてもベリオ、ブーレーズ、ノーノなどによって無視できないジャンルと見なされた。シュトックハウゼンは「このような古典的なジャンルとは一切かかわりたくない」という創作態度であったものの、結局はアルディッティ弦楽四重奏団の委嘱に「ヘリコプター付き」との条件付で作曲した(ヘリコプター弦楽四重奏曲)。21世紀を迎えた現在も、このジャンルへ挑戦する作曲家は後を絶たない。前述のシュトックハウゼンのように弦楽四重奏プラスアルファといった形態の作品も目だって増えるようになった。シルヴァーノ・ブッソッティの「グラムシの種子」、ヴォルフガング・リームの「ディトゥランブ」は弦楽四重奏とオーケストラのための作品である。(生年順)日本語版以外のウィキペディアは弦楽四重奏と弦楽四重奏曲を区別していない。
出典:wikipedia
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