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パンテラ

パンテラ (Pantera) は、アメリカ合衆国のヘヴィメタルバンド。1981年、テキサス州ダラスでヴィニー・ポールとダイムバッグ・ダレルの兄弟によって結成された。翌1982年にレックス・ブラウンが、1987年にフィル・アンセルモが加入し、解散までの16年間この4人で活動する。80年代に発表した4作のアルバムは評価を得られなかったが、音楽性を大きく変化させた1990年の『カウボーイズ・フロム・ヘル』でプラチナムを獲得。1994年の『脳殺』はビルボード初登場1位を記録。大きな成功を収める一方で、アンセルモの薬物依存症が原因でバンド内の人間関係が悪化し、2003年に解散。さらに翌2004年、ダイムバッグ・ダレルが射殺されたことで再結成の望みが絶たれた。1981年、ギタリストのダレル・アボット(後のダイムバッグ・ダレル)とドラマーのヴィンセント・アボット(後のヴィニー・ポール)のアボット兄弟を中心に結成される。当初は「Pantera's Metal Magic」と名乗っていたが、1982年にバンド名を短くし「Pantera」改名した。なお、Panteraとはラテン語、イタリア語、ポーランド語、スペイン語、ポルトガル語などでヒョウを意味すると同時に、彼らの出身地であるテキサス州パンテゴ(Pantego) に由来するものであった。同年にテリー・グレイズがヴォーカリストになり、Rexx Rockerことレックス・ブラウンがベーシストとして加入しメンバーが固定化される。バンドはドッケンやクワイエット・ライオットなどのサポートを務め、各地でライヴを行う。1983年、地元パンテゴのスタジオでデビューアルバム『Metal Magic』をレコーディングし、自主レーベル「メタル・マジック」よりリリース。プロデューサーは、アボット兄弟の父であるジェリー・アボットが務めた。1984年、2作目のアルバム『Projects in the Jungle』を同じレーベルとプロデューサーの下でリリース。また、収録曲"All Over Tonight"のミュージックビデオが制作された。1985年、3作目のアルバム『I Am the Night 』をリリース。収録曲"Hot and Heavy"が、2作目のミュージックビデオとして制作された。音楽性の相違から1986年にテレンスが脱退。バンドは新しいヴォーカリストを探し、1987年にニューオーリンズ出身のフィル・アンセルモと出会い、バンドに迎える。1988年、新体制のもとで4thアルバム『Power Metal』をリリース。同作は1980年代のハードロックとスラッシュメタルを融合したサウンドを持ち、彼らの過去の作品と比較して最もヘヴィなものに仕上がる。これにはアンセルモの重く鋭いヴォーカル・スタイルが影響していた。これに手応えを感じたバンドは、それまでのグラムメタルの音楽性やイメージを捨て去ることを決意。後にグルーヴ・メタルと評される独自の音楽性を追求し始める。なお、『Power Metal』を含む初期の4作はオフィシャルサイトのディスコグラフィにも掲載されず、現在では入手困難となっている。1989年、リードギタリストを募集していたメガデスにダレルが招かれたが、兄のヴィニーもドラマーとして一緒に加入することを要求したため、加入は実現せず。結局、メガデスはマーティ・フリードマンを新しいリード・ギタリストとして迎えた。同年、パンテラはアトランティック・レコード系列のアトコと契約。念願のメジャーレーベルに所属することになった。1990年7月24日、5thアルバム『Cowboys from Hell "-カウボーイズ・フロム・ヘル-"』をリリース。エクソダス、スイサイダル・テンデンシーズとツアーを行う。1991年9月にはモスクワで行われたライブフェスティバル「Monsters of Rock」にメタリカ、AC/DCらと共演。1992年2月25日、6thアルバム『Vulgar Display of Power "-俗悪-"』をリリース、全米チャート44位を記録する。アンセルモによる歌唱はハイトーンボイスから力強いハードコア系へと変わり、ギターサウンドもより重いものとなった。セールス面ではダブル・プラチナムを記録し、収録曲の「Walk」や「Mouth For War」、「Fucking Hostile」は代表曲となった。この時期からダレルはダイムバッグ・ダレル、レックスはレックス・ブラウンと名乗るようになる。同年7月には初の日本でのライブを行い、その後はブラック・サバスやアイアン・メイデンと共にヘヴィメタル・フェスティバル「Monsters of Rock」へ出演する。1994年3月22日、7thアルバム『Far Beyond Driven "-脳殺-"』をリリース、全米・濠でチャート1位を獲得する。オリジナル。ジャケットは、ドリルで肛門を突き刺すというものであったが、規制を受けて頭蓋骨の頭部をやはりドリルが突き刺すというものへと変更された。5月にはWHITE ZOMBIEをオープニング・アクトに迎え、2度目の来日公演を行った。6月4日には「Monsters of Rock」へ出演するが、音楽雑誌ケラングにおけるヴィニーのイラスト描写に対する不満をめぐって、ヴィニーとダレルは雑誌記者と殴り合いの喧嘩を起こす。さらに6月末には、アンセルモがライブ中にステージへ上がるファンを止めたガードマンに対して暴行をしたとして起訴される。翌日彼は5000ドルの保釈金を払って保釈された。裁判は3回にわたって延長されたが、1995年3月には彼が謝罪すると共に罪を認め、100時間の地域奉仕活動を命じられた。1995年、アルバム『Far Beyond Driven』からのシングル"I'm Broken"がバンドとしては初のグラミー賞、『ベスト・メタル・パフォーマンス』部門へのノミネートを獲得する。アンセルモが酒とドラッグにのめり込むようになり、同時に、自身のサイドプロジェクト「ダウン」や「スーパージョイント・リチュアル」に時間を費やすようになったことから、アンセルモとアボット兄弟が次第に距離を置くようになる。1996年5月7日、8thアルバム『鎌首 - "The Great Southern Trendkill" - 』をリリース。7月13日、アンセルモがヘロインの過剰服用により心停止、何とか一命を取り留めるも、バンドメンバーとの溝が更に深まる。1997年、ライヴアルバム『ライヴ〜狂獣 - "OFFICIAL LIVE 101 PROOF" - 』をリリース。2000年3月14日、結果的に最後のスタジオ盤になった9thアルバム『Reinventing the Steel "-激鉄-"』をリリース。2001年8月26日、日本のヘヴィメタル・フェスティバル「Beast Feast 2001」にスレイヤーとのダブル・ヘッドライナーとして出演する。結果的にこれがパンテラの最後のライヴとなった。2003年、サイドプロジェクトに注力するアンセルモとパンテラの活動継続を望むアボット兄弟の溝が決定的になり、解散に至った。2003年、ダイムバッグ・ダレルとヴィニー・ポールは、パトリック・ラックマン、ボブ・ジラらと共に、新たなバンド「ダメージプラン」を結成。2004年12月8日、オハイオ州コロンバスの「アルロサ・ヴィラ」というナイトクラブで行われたダメージプランのパフォーマンス中に、ダイムバッグ・ダレルが観客に射殺される。犯人はパンテラの解散の原因がダレルにあると逆恨みしたファンの男で、その場で射殺された。2006年、ヴィニー・ポールがマッドヴェインのメンバーらと新バンド「ヘルイェー」を結成し、翌2007年4月にデビュー・アルバムをリリース。2010年、『Cowboys from Hell "-カウボーイズ・フロム・ヘル-"』発売20周年を記念して、リマスターされた3枚組デラックスエディションが発売(国内未発売)。2012年、『Vulgar Display of Power "-俗悪-"』発売20周年を記念して、リマスターされたデラックス・エディション(未発表曲「PISS」収録)が発売。2014年、『Far Beyond Driven "-脳殺-"』発売20周年を記念して、リマスターされたデラックス・エディション(DVDとの2枚組)が発売。1990年代以降のパンテラの特徴として、ギターとバスドラムの音が挙げられる。基本的にはエクソダスなどのスラッシュ・メタルの影響下にあるものだが、さらに極端に過激でありながら聴き心地の良い音を出している。従来スラッシュ・メタルのギターサウンドではハイゲインのチューブ(真空管)ギターアンプ(マーシャル JCM-800、メサ・ブギーMark-iv等)が一般的であったが、パンテラはソリッドステート(トランジスタ)アンプのランドールRG-100を使い、それまでのスラッシュメタルよりも切っ先鋭いギターリフを刻んでいた。またファーマンのパラメトリックイコライザーも重要な役割を担っており、400〜500Hzが持ち上がった(逆に1kHz付近は若干カット)中低域の太いギターサウンドでもあった。『鉄板の上でゴム鞠をついた様な』とも形容されることがあるバスドラムは、手数の多い楽曲でも演奏が判別出来るようにアタック音が極端に強調された音で、さらにドラムトリガーを使用することにより50Hz付近の超低音域を補正、ギターサウンドに負けない強力な存在感のある音になっている。なおこれらの音はサウンドガーデンやデフトーンズとの仕事でも知られるプロデューサーのテリー・デイトと協力して作り上げた。※OUTRAGEがオープニングアクトを務めた※今回の来日はWHITE ZOMBIEが前座を務めた。

出典:wikipedia

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