福藤 豊(ふくふじ ゆたか、1982年9月17日 - )は北海道釧路市出身のアイスホッケー選手。ポジションはゴールキーパー。日光アイスバックス所属。日本人初のNHLプレイヤー。小学3年でアイスホッケーを始め、釧路景雲中時代は全国優勝。東北高等学校に進み、U-18世界選手権・世界ジュニア選手権などに出場。3年時には高校生初の日本代表入り。2001年、コクド(現プリンスホテル/SEIBUプリンス ラビッツ)に入社。2002-03年はECHLのシンシナティ・サイクロンズでプレーし、2004年6月27日にNHLのロサンゼルス・キングスから日本人では三浦浩幸に次ぐ史上2人目のドラフト8巡全体238位で指名された(架空の日本人プレイヤー“ツジモト・タロウ”が1974年バッファロー・セイバーズに指名されたこともあった)。2004年、キングス傘下のトップファームであるAHLマンチェスター・モナークスと1年契約を結ぶも(コクドは休業補償扱い)、2004年から2005年のNHLロックアウトによるNHL2004-2005シーズンの中止に伴い、NHLの選手がAHLでプレーするケースが増え、押し出される形でその下部のECHLベーカーズフィールド・コンドルスでのプレーを余儀なくされた。2005年8月9日にロサンゼルス・キングスと2年契約を結び(キングスとAHLマンチェスターと2ウェイコントラクト契約)、日本人初のNHL契約選手となった。9月17日に左足内転筋を痛めオープン戦には出場できず、9月21日にマイナー行きを通告され、AHLマンチェスターに降格。さらに10月7日にはECHLレディング・ロイヤルズへの降格を通告され、結局2005-2006シーズンもECHLで開幕を迎えることとなった。その後、AHLマンチェスターへ昇格。同年11月26日、日本人初のAHL出場を果たした。2006年12月15日、NHLに初昇格を果たし(キングズのGK負傷による特別ルールによる48時間の期限付き昇格)、日本人として初めてNHLのベンチ入りを果たした。期限切れ後AHLマンチェスターへ降格したが、2007年1月13日、NHLに再昇格し、同日のセントルイス・ブルース戦の第3ピリオドから初出場、名実ともに初の日本人NHLプレーヤーとなった。キングスとの2年契約が終了後、2007年6月26日キングスは再契約をせずFAとなった。2007年9月、古巣でもあるECHLのベーカーズフィールド・コンドルスと契約。同時にAHLのマニトバ・ムースのトライアウトに合格し、トレーニングキャンプに参加。2008年秋にSEIBUプリンスラビッツを正式退部。2008-2009シーズンはECHLベーカーズフィールド・コンドルスでプレーした。2009-2010シーズンはオランダリーグのデスティル・トラッパーズでプレー(1年契約)した。2010-2011シーズンはアジアリーグアイスホッケーの日光アイスバックスに加入、日本に復帰した。以降2013-2014シーズンまで所属。2014-2015シーズンはデンマークリーグのエスビャウ・エナジーでプレー。2015-2016シーズン途中の9月に日光アイスバックスへの加入(復帰)を発表。
出典:wikipedia
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