テント(1951年5月16日 - 2016年9月27日)は、日本の漫談家、タレント。本名:三浦 得生(みうら とくお)。吉本興業所属。放送メディアにめったに出演しない姿勢から、未確認生物になぞらえ、「お笑い界のツチノコ」または「ツチノコ芸人」と評されたほか、先鋭的な芸風から、師匠の上岡龍太郎に「出てくるのが10年早かった」と言わしめたり、「21世紀型芸人」と形容されたりした。大阪府八尾市出身。生家はテント商を営む。近畿大学附属高等学校卒業後の1970年、川上のぼるに入門。その後1973年に松竹芸能の漫才教室に入る。1974年11月11日11時11分、新世界の新花月で初舞台。旧芸名は大空 テント(おおぞら テント)。その後家業の手伝いなどを経て、上岡龍太郎に弟子入り。漫才コンビ星空まあちと「テント・シート」を結成するも解散。その後の1981年、幸つくると「大空テント・幸つくる」を結成。同年の第12回NHK上方漫才コンテストで優秀賞を受賞し、一躍脚光を浴びたが、数年後にテント・つくるは解散。ヤマトと「ざっと31」を結成も解散、その後ピン芸人として活動を始めた。テントの漫談は1990年代の終わりごろから口コミで話題になり、「テントさんの芸が面白い」というよりも「テントさんが芸をしているところが面白い」という、カルトな人気を持つに至った。中島らもやみうらじゅんらから高く評価され、彼らの主催のライブに出演したほか、一時期、小ホールなどで行なう彼のライヴのチケットは即完売し、手に入りにくいという状況にまでなった。また、このころから、回数は少ないながらテレビ番組に出演し、芸を披露するようになった。晩年は東京・新宿にある吉本興業の劇場「ルミネtheよしもと」に出演し、ネタコーナー「7じ9じ」のトリを務めたり、ワッハホールにて「得別奇角」と題するイベントを定期的に開催したりした。2016年9月27日19時50分頃、大阪市天王寺区の地下鉄谷町九丁目駅上の横断歩道を横断中に乗用車に撥ねられ、心肺停止の状態で病院に搬送されたが、同日22時50分頃、死亡が確認された。65歳没。通夜は9月29日、告別式は9月30日に、八尾市の葬儀場で営まれ、師匠の上岡をはじめ、弟弟子のぜんじろうや、オール巨人、板東英二、二代目桂ざこばら芸人仲間も参列し、早すぎる死を悼んだ。とぼけた淡々とした調子で、合間にギャグをはさむ漫談を行い、最後に「人間パチンコ」のような珍芸を披露した。テントの漫談は短いネタを唐突に次々と繰り出す形式であり、決まって下記のようなボヤキを入れて落とした。年末には決まって、忠臣蔵を題材にした長編漫談を演じた。
出典:wikipedia
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