2005年の日本シリーズ(2005ねんのにっぽんシリーズ、2005ねんのにほんシリーズ)は、2005年10月22日から10月26日まで行われた、セントラル・リーグ優勝チームの阪神タイガースと、パシフィック・リーグ優勝チームの千葉ロッテマリーンズによる第56回プロ野球日本選手権シリーズである。パ・リーグレギュラーシーズンで2位であったロッテが、プレーオフで福岡ソフトバンクホークス(レギュラーシーズン1位)・西武ライオンズ(同3位)に勝利しパ・リーグ優勝チームとなり、セ・リーグ優勝の阪神(セ・リーグはプレーオフ制度なし)と対戦することとなった。阪神・ロッテの対戦は史上初で、この年の交流戦ではロッテの3勝2敗1分けという対戦成績を残していた。両チーム監督の合意により、日本シリーズではの横浜ベイスターズVS西武ライオンズ以来7年ぶりとなる予告先発(両監督による紳士協定)が行われた。また、ドーム球場が増えたこともあり、開催球場がセパいずれも開放型であるのはこちらも1998年の横浜ベイスターズ(横浜スタジアム)VS西武ライオンズ(西武球場、この年は屋根が設置されていなかった)以来7年ぶりであり、2016年現在、本カードが最後となっている。そしてこの年からアジアシリーズ(日本・韓国・中国・台湾のクラブチームによる大会)が新設された事により今シリーズはその日本代表決定シリーズとしても行なわれることとなった。レギュラーシーズンでの勝率2位チームが日本一となったのは前回の西武ライオンズに次いで2年連続、アメリカ人監督による日本一は史上初となった。ロッテが日本シリーズ史上初となる3試合連続2桁得点を挙げるなどしたのに対して、阪神がこのシリーズで残した得点(4点)、防御率(8.63)、本塁打(0)などの記録はシリーズ史上最低記録(当時)で、ロッテが圧倒した(日本経済新聞2005年10月27日付p.37など)。阪神の惨敗から、本シリーズは両軍のスコア合計を取りインターネット上で「334」(または33-4)と呼ばれている。なお、パ・リーグは前年からプレーオフを導入したが勝率2位チームの日本一が続いたことで制度が見直され、5ゲーム差をつけることが条件だったアドバンテージが無条件導入されるなどの改定が行われた。ストレート4連勝での無敗優勝は過去の南海ホークス、の大洋ホエールズ、の西武ライオンズ、の読売ジャイアンツ以来5回目(引き分けを挟んでの4勝無敗優勝がの西鉄ライオンズとの阪急ブレーブスもあるため、無敗優勝としては7回目)と3年ぶりで、ロッテとしては球団史上初。1度もリードを許すことなくストレート4連勝したのは日本シリーズ史上初である。10月22日 千葉マリンスタジアム 開始時刻18:17 有料入場者数28,333人両先発はロッテが清水直、阪神は交流戦で完封勝利を収めた井川、千葉マリンスタジアムで初の日本シリーズ開催となった。1回裏、一死から今江が今大会第1号(初打席で初本塁打は歴代13人目)のソロ本塁打を放ちロッテが先制したが、5回表に藤本の犠飛で同点とする。その裏、渡辺正のレフト前ヒット、西岡のプッシュバントなどで無死一・二塁とし、今江とサブローがタイムリー2塁打を放ち4-1とした。6回裏、李承燁のソロ本塁打でリードを広げ、井川はここで降板となった。7回裏、ロッテが2番手の橋本を攻め、一死一・二塁から里崎が3ラン本塁打を放った。さらに安打によるランナーを置いて、ベニーが2ラン本塁打で10点目、二桁得点を達成した。ところが、試合中から千葉県の北西部に濃霧注意報が発表されるほどの霧が球場全体を覆ってしまい、試合が一時中断した。その後30分以上様子を見たが回復の兆しが見えないため、ベニーの本塁打を打った7回裏1アウト消化の時点を以てコールドゲームが宣言され、ロッテが先勝した。日本シリーズが自然現象のためにコールドゲームとなった事例は1953年第4回大会の読売ジャイアンツVS南海ホークスの第3試合、降雨により8回の攻撃終了を以て2-2の同点で打ち切りになって以来52年ぶりで、濃霧によるコールドゲームは日本シリーズ史上初となった。10月23日 千葉マリンスタジアム 開始時刻18:16 有料入場者数 28,354人先発はロッテが渡辺俊、阪神が安藤であった。1回裏、今岡の失策でロッテが1点を先制し、6回にはサブロー、フランコ、さらに2試合連続となる李承燁の3本塁打で5点と一気に突き放し、さらに8回には今江、橋本にもタイムリーが出て2試合連続の10得点。渡辺俊は9回を被安打4無四球と好投し史上11人目となる日本シリーズ初登板初完封を成し遂げ、ロッテが2連勝で2勝0敗とした。2試合連続の2ケタ得点はこの時点で日本シリーズ史上初である。今江が第1戦の4安打に続き4打数4安打、連続打席安打8の日本シリーズ新記録を達成した。阪神は金本と今岡が依然無安打、さらに2番手の江草が8回の対ベニーで1打席3暴投を記録するなど攻守とも精彩を欠きシリーズ2連敗を喫した。2003年の日本シリーズから続く敵地での連敗は6に伸びた。10月25日 阪神甲子園球場 開始時刻18:16 有料入場者数 47,753人移動日をはさみ、舞台は阪神の本拠地である甲子園球場へと移った。先発は阪神が下柳、ロッテが小林宏。2回表に二塁打と暴投で三塁に進んだサブローをベニーが犠飛で帰しロッテが3試合連続の先制。(この回、今江は三振を喫し連続打席安打は8でストップ。)その裏阪神はシリーズ初安打を放った今岡が関本の内野ゴロの間に生還し同点。4回表、ロッテは1死満塁から里崎の内野ゴロが併殺崩れとなり1点を勝ち越すと、続く今江が三塁への内野安打でもう1点を追加。阪神は5回で下柳をあきらめ、藤川を今シリーズ初めて投入する。藤川は6回こそ福浦とベニーから三振を奪うなど完璧に抑えたが、7回に先頭打者の里崎が遊撃手の鳥谷のエラーで出塁、続く今江が右中間二塁打、代打フランコは四球を選び無死満塁となる。ここで代打の橋本が9球粘ったのち中前に2点タイムリーを放ち、藤川はここで降板した。桟原がリリーフ登板するも、西岡のタイムリー、堀の四球を挟み福浦が満塁本塁打(シリーズ史上17本目)を放ちこの回一挙7点、試合を決めた。ロッテの先発小林宏は6回を投げ被安打3・失点1の好投を見せ、7回からは小野-藤田-薮田の投手リレーで意気消沈した阪神打線を抑えた。なお、ロッテは前の試合で達成した連続試合二桁得点記録を更に3試合に伸ばした。対する阪神はこの試合終了時で25イニング連続でタイムリーなし、4番金本が依然無安打の上、頼みの藤川まで打たれ早くも追い込まれた。1985年の日本シリーズ第5戦から続いた本拠地でのシリーズ連勝も4でストップした。10月26日 阪神甲子園球場 開始時刻18:15 有料入場者数 47,810人1回裏に無死1、2塁の絶好の先制機をつくるも無得点の阪神に対し、ロッテが2回表にフランコの2塁打から李承燁が2ラン本塁打を放ち4試合連続の先制、4回にも2番手の能見から李承燁がタイムリー2塁打で追加点を上げ3-0とする。4回、5回と併殺打でチャンスを潰した阪神は6回裏に1死1、2塁とセラフィニを攻め、代わった小野から今岡が今シリーズチーム初のタイムリーとなるテキサス安打、更に代打の桧山進次郎も右前打を打ち3-2と追い上げを見せるが、続く矢野が初球に手を出し3イニング連続となる併殺打に倒れ同点に追いつけない。阪神は6回表途中からウィリアムスが初登板、前日ノックアウトの藤川が2イニングを抑えると9回にはこれまた初登板の久保田が無失点に抑え、ロッテに追加点を許さなかった。このシリーズ中でようやく初めて「JFK」が揃い踏みした。一方のロッテは藤田が7回を、薮田が8回をそれぞれ抑え、1点差のまま迎えた9回裏に抑えの小林雅がシリーズ初登板、こちらも「YFK」が揃い踏みした。9回裏、阪神は先頭の片岡がストレートの四球で出塁するが、続く矢野の送りバントは3塁今江への小飛球となり、さらに1塁走者の代走・久慈が飛び出してしまい戻れずこの日4つ目の併殺打。阪神はその前の8回にもシーツが送りバントを失敗するなど、拙攻続きで点差以上に両チームの野球には大きな差があった。最後は小林雅が藤本を空振り三振に仕留めた。第1戦:10月22日第2戦:10月23日第3戦:10月25日第4戦:10月26日なお、5戦目以降は、第5戦よみうりテレビ(日本テレビ系列)、第6戦テレビ朝日、第7戦テレビ東京が中継する予定だった。第1戦:10月22日第2戦:10月23日第3戦:10月25日第4戦:10月26日
出典:wikipedia
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