『幸福の黄色いハンカチ』(しあわせのきいろいハンカチ)は、1977年(昭和52年)10月1日に公開された山田洋次監督による日本映画。1971年に『ニューヨーク・ポスト』紙に掲載されたピート・ハミルのコラム『Going Home』をベースに、北海道を舞台に撮影された日本のロードムービーの代表作である。高倉健・倍賞千恵子といったベテラン俳優から、映画初出演となる武田鉄矢、その共演に桃井かおり、さらには脇役に渥美清を据えるなど、これ以上ない布陣で臨んだ同作品は、俳優陣の演技はもちろんのこと、シンプルながら観衆の心情に深く訴えかけるストーリーが高い評価を得た。第1回日本アカデミー賞や第51回キネマ旬報賞、第32回毎日映画コンクール、第20回ブルーリボン賞や第2回報知映画賞など、国内における同年の映画賞を総なめにしている。後にキャスティングを変え、テレビドラマ化や日本国外でも映画化された。恋人の伸子と失恋してヤケになった花田欽也(武田鉄矢)は、勤めていた工場を突然退職。その退職金で真っ赤なファミリア(4代目のFRファミリア)を購入し、失恋の傷を癒すため、一人フェリーに乗り北海道を目指す。釧路から網走にやって来た欽也は、駅前で片っ端から女の子に声を掛け始める。一方、網走刑務所からは、刑期を終えた元炭鉱夫の男・島勇作(高倉健)が出所して来る。その後、食堂に寄ってビールを飲みながらラーメンとカツ丼を注文する。ちょうど網走にいた欽也は同じく、職場で恋人を同僚に取られ東京から一人、傷心旅行に来た女の子、朱美(桃井かおり)をナンパして一緒に食事する。食事を済ませ郵便局に寄った勇作は、葉書を一枚書いて出して行く。そして欽也は朱美とウキウキとドライブを始める。海岸にやって来た2人は、同じくそこに立ち寄っていた勇作に写真を撮ってもらう。2人はその縁で彼を車に乗せ、3人旅を始めることになる。その晩、阿寒湖温泉の宿で、まんまと朱美と同室になった欽也は朱美を口説き始め、「キスだけ」と言いながらも朱美にのしかかっていく。抵抗していた朱美は急に動かなくなり、泣き始める。隣室に泊まっている勇作はその騒ぎを聞き、欽也を一喝する。3人は何かと崩れそうになりながらも旅を続けてゆく。ある日、蟹を食べながら雑談していたところ勇作と欽也が同じ福岡県出身ということが判明する。その後、運転途中で腹痛を覚えて路上に車を置いたままトイレに駆け込んだ欽也に代わり、対向車のトラクターを通すため「これでも仮免まで行った」という朱美がハンドルを握るが、車を脱輪させてしまった上に農地を暴走し、干し草の俵に車を突っ込ませてしまい、欽也と朱美はそのことで口論になり、朱美は泣き出してしまう。勇作の交渉の結果、その農家に泊まることになる。欽也と同室になった勇作は、今までの欽也の朱美に対する不節操な態度に対し「お前、それでも九州の人間か」「そう言うのを草野球のキャッチャーってんだ、ミットもないってことだ」と叱責する。そして、車中の会話から、勇作はかつて暮らした夕張に向かっていることが明らかになる。帯広の駐車場では、欽也が邪魔なリンカーン・コンチネンタルを無人と思い込み蹴り飛ばす。その結果、乗っていたヤクザ風の男(たこ八郎)に殴りつけられるが、勇作の反撃で難を逃れる。しかし、そのまま勇作が車を運転していったことで、物語は大きく展開していく。彼らの車は強盗事件の一斉検問に引っ掛かり、勇作が無免許運転であったことが判明。無免許の理由を問われ、一昨日までの6年間、殺人罪で刑務所に入っていたことを話す。最寄の警察署に連行されるが、そこには、かつて勇作の事件を担当した渡辺係長(渥美清)が偶然勤務しており、彼の温情で事無きを得る。刑務所帰りがばれた勇作は汽車で行くと言うが、結局3人旅は続いて行く。車や旅館の部屋の中で、勇作は徐々に自分の過去を語る。スーパーのレジ係だった妻・光枝(倍賞千恵子)との出会い、結婚、そして幸せな新婚生活。その後、光枝が妊娠したらしいということで喜ぶ勇作。父親が戦死したため親を知らずに育ってきたので余計うれしかったのだ。医者に行くという光枝に早く知りたいと言い、「もし妊娠していたら、竿の先に黄色いハンカチを揚げておく」という光枝の言葉に、勇んで仕事に出て行く。仕事帰りに、竿の先にはためく1枚の黄色いハンカチを見つけた勇作は、天にも昇る気持ちだった。しかし数日後、「無理をするな」と言ったのに、力仕事をした光枝は流産してしまう。病院で勇作は光枝の過去を知ることになる。それは5年前の流産。それに立腹してヤケ酒をあおりながら、「俺は隠し事をする女は嫌いだ」と言った。光枝が「流産の話を聞かなかったから」というのに、絶望した勇作はヤケになり、夜の繁華街に繰り出し、偶然肩が当たったチンピラ(赤塚真人)と喧嘩を始めてしまい、遂には相手を死なせてしまう。逮捕され、刑務所に入った勇作は離婚を決意する。面会に訪れた光枝に勇作は「今ならお前はまだ若いし、その気なら良い男もいるかも知れん、幸せになれ」と諭す。「あんたって、勝手な人だねぇ、会った時もそうだったけど」と光枝は泣いてしまうが、これが不器用な生き方しかできない、彼流の男の愛情表現だった。しばらくすると、刑務所に判を押した離婚届が届いた。責める朱実に「俺があいつにしてやれることはそれだけだ」「どうしてこんなヤクザに生まれついたのかな」と嘆く。「明日は札幌でお別れだな」「仕事なかったら東京へ行くかも」ともいう。欽也は涙にくれる。統一劇場の人々が「銀座カンカン娘」を歌っている側を通るが、勇作は空にはためく鯉のぼりを見て感慨深げ。勇作は1人で夕張に向かうという。理由を尋ねると、出所直後の網走で光枝宛てに葉書を出していたことを告白する。葉書には「もし、まだ1人暮らしで俺を待っててくれるなら…鯉のぼりの竿に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ。それが目印だ。もしそれが下がってなかったら、俺はそのまま引き返して、2度と夕張には現れない」と書かれていたという。それを聞いた欽也と朱美は、迷わず一緒に夕張に行くことを決心する。「やっぱり引き返そう」「どう考えたってあいつが一人でいるはずがない」「誰かと一緒になっているよ」と揺れる男の気持ちと、それを励ます2人。「あいつが俺を待っているはずはない」と臆病になる勇作は、引き返すことを要求し1度はそうするが、朱美の「万一ということがあるでしょ、万一待っていたらどうするの?」という言葉で再び夕張に向かう。車は夕張の町に入って行く。もう外を見ていられない勇作に、朱美が景色を逐一説明し、勇作はそれに答える。「踏切越えたわよ」の声に勇作は道を説明する。子どもたちの「背くらべ」の歌が聞こえてくる。欽也は「もしかしたら引越してしまっているかもしれないな」と万が一のことを考える。やがて車は止まり、欽也と朱美は外へ出て辺りを見回す。見つからずに「今、風呂屋の前にいるんだけど」と欽也が言うと彼の視線にある物が映っていた。朱実が欽也に声をかけると「ほらー、あれ!」と叫ぶ。視線の先には、なんと何十枚もの黄色いハンカチが風にたなびいていた。力強く勇作の背中を押し出す2人。2人の再会に、言葉は要らなかった。2人は見つめ合い、そして仲良く家の中に消えて行く。それを見届けた欽也と朱美は、車中で自然に手を握り合い、強く抱き合い、キスをする。夕張の街を背景に幸福の黄色いハンカチがたなびく。1982年(昭和57年)、TBSで菅原文太主演で連続ドラマ化された。映画を監督した山田洋次は、当初からテレビドラマ化を考えており、自ら設定や脚本の手直しをするなど、全面的に協力している。また、誠の運転する車は三菱・デリカスターワゴンである。日本テレビ系列で、2011年10月10日の21:00 - 23:18(JST)に放送。副音声では音声多重放送(解説放送)を実施、そのアイパートナーは石丸博也が務めた。東日本大震災をきっかけに、物語の背景を2011年に変更、ロードムービーであった映画版に対し、舞台を北海道北西部の苫前郡羽幌町内に固定し、一行の目的地を同町に属する焼尻島に変更した。島勇作を演じるのは阿部寛で、小川朱美役は堀北真希、島光枝役は夏川結衣がそれぞれ演じる。なお、映画版で花田欽也役の武田鉄矢が渡辺署長役で、光枝役の倍賞千恵子が房江役でそれぞれ出演する。また、堀北真希扮する朱美が運転する車はスバル・プレオの初代モデルである。視聴率11.6%。1981年、タイで『もしあなたがまだ私を愛しているなら』(チャートリーチャルーム・ユコン監督)としてリメイク。ユコン監督はタイ王族の一人で、日本版がタイに輸入公開されないのに業を煮やし、自分で撮影してしまったという作品である。2008年、アメリカで『イエロー・ハンカチーフ("The Yellow Handkerchief" )』としてリメイク。高倉健、倍賞千恵子が演じた役を、ウィリアム・ハート、マリア・ベロが演じている。2007年、米国版のプロデューサーのアーサー・コーンが来日し、山田洋次監督と会談した。製作発表は、2007年2月12日におこなわれた。2007年3月下旬に撮影開始、5月に撮影終了。日本公開は2008年春の予定であったが、延期になり2010年6月26日に公開。監督は、インド系イギリス人のウダヤン・プラサッド。桃井かおりが、モーテルの女主人役で特別出演した。この作品の原作「Going Home」を元にしたとして作者のピート・ハミルが提訴したが、後に取り下げた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。