豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年6月26日 - )は、高知県宿毛市出身で時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名は梶原大樹(かじわら だいき)、愛称はカジ、いきちゃん。身長169cm、体重158kg、血液型はA型、星座は蟹座。得意技は左四つ・寄り・下手投げ。明るい性格。趣味は音楽鑑賞、カラオケ、釣り、ボウリングなどと多種多様である。最高位は東関脇(2012年5月場所)。座右の銘は「三年先の稽古」。小学生のときに相撲を教わった恩師の言葉だという。その言葉は自身のブログのタイトルにもなっている。また、自身と同じブログ力士である、雅山、普天王らとも仲が良い。下戸であり酒は飲めない。持病としててんかんを持っている。夫人は、元歌手の竹内沙帆。はとこに、女子サッカークラブAC長野パルセイロ・レディースの國澤志乃がいる。豆腐店の長男として生まれる。小学校1〜3年生まではサッカーをやっていた。中学3年時に全国都道府県中学相撲大会で個人・団体優勝を果たし、宿毛高校へ進学後、2001年に行われた宮城国体では県少年選抜チームの1人として相撲競技の団体優勝に貢献した。因みに、宿毛高校相撲部時代の恩師は土佐ノ海の弟であった。高校卒業直前の2002年1月場所に初土俵、父親の知人が時津風部屋の後援会長をしていた縁もあり、時津風部屋に入門。同期入門に中学時代からのライバルであり親友でもある琴菊次(現・琴奨菊)がおり、序ノ口、序二段では琴菊次との優勝争いを制している。第15代時津風親方には「相撲人生を左右する時期に、いい意味で厳しく育ててもらった」と後年述懐しており、第15代時津風親方の付き人を務めたこともある。第15代時津風親方が指導を巡る事件(後述)を起こしてからは二度と直接会うことがなかったが、訃報を聞いた際には「おかげで関取になれたので」と好意的な立場であることを示した。2004年5月場所に新十両へ昇進し(西十両13枚目)、第二検査受検合格者としては初の関取となった。十両は2場所で通過し、同年9月場所に新入幕(西前頭15枚目)。その場所では6勝9敗と負け越し、翌11月場所は十両へ陥落(東十両筆頭)するも、翌2005年1月場所で再入幕(東前頭17枚目)。同年7月場所は東前頭16枚目で6勝9敗と負け越し、翌9月場所には再び十両へ陥落(西十両筆頭)。その場所では14勝1敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、翌11月場所において2度目の再入幕を果たして以降は幕内に定着した。2007年1月場所では優勝争いに絡む活躍を見せて、12勝3敗の好成績を挙げて初の敢闘賞と技能賞を受賞した。自己最高位となる西前頭筆頭にまで躍進した翌3月場所でも2大関を破る活躍を見せて8勝7敗と勝ち越しを決め、翌5月場所では新三役となる小結への昇進を果たした。これも第二検査合格者としては初の快挙である。しかし、2007年4月30日に時津風部屋へ出稽古に出向いてきた横綱・朝青龍との稽古中に、右膝と足首の靱帯を負傷した。豊ノ島は全治2週間と診断され、朝青龍には大きな批判が寄せられたが、豊ノ島自身は自身のブログで「稽古中の事故」としている。同年5月9日には時津風親方(元小結・双津竜)が休場の可能性を示唆したが、10日には怪我が完治していないものの強行出場することを明らかにした。その初日に朝青龍と対戦したものの、立合いからすぐに豊ノ島が腰から落ちて敗れてしまった。結局、この5月場所では豊ノ島は4勝11敗と大きく負け越してしまった。翌7月場所でも怪我が完治していない中で出場したが、結果的には7勝8敗と負け越した。続く同年9月場所では、11日目に横綱・白鵬から自身初となる金星を挙げ(白鵬が初めて配給した金星でもあった)、さらに琴欧洲・琴光喜の2大関を破る活躍を見せて8勝7敗と勝ち越し、初の殊勲賞を受賞した。しかし、この9月場所の直後に時津風部屋力士暴行死事件が発覚し、それ以降、自身のブログの更新を自粛している。2008年1月場所と続く3月場所ではいずれも6勝9敗の成績に終わった。一時期は147kgまで体重が増加し、さすがに廻しが取れなかったりする弊害が出てきたため、体重を142kgまで絞った同年5月場所では11勝4敗の好成績を挙げた。それでもまだ腰にかかる負担が多かったのか、西小結の位置で迎えた翌7月場所では腰にM字型のテーピングをしながらの出場となったが、初日に土俵際の捨て身の投げで朝青龍を破り、3日目には前場所に優勝した琴欧洲を破り、10勝5敗という好成績で三役では初となる勝ち越しを果たし、翌9月場所では関脇へ昇進した。時津風部屋からの関脇は蔵間以来30年ぶりのこととなった。その9月場所では6勝9敗と負け越し、翌11月場所では平幕へ陥落した。2009年1月場所では西小結へ復帰したが、7日目の魁皇戦で小手投げで敗れた際に左肘を負傷してしまい、翌8日目からは休場した。休場は自身初のこととなった。その後の数場所は幕内中位であまり芳しい成績は収められなかったが、2009年11月場所において11勝4敗の好成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。2010年1月場所では東前頭筆頭の位置で8勝7敗と勝ち越しを決め、翌3月場所では関脇へ復帰した。しかし、同年6月に発覚した大相撲野球賭博問題に関与したという理由により、謹慎処分を受けて同年7月場所を全休し、翌9月場所では十両へと陥落してしまった。なお、大相撲野球賭博問題に関しては、本人は2011年3月3日に賭博開帳図利容疑で書類送検されている。西十両筆頭の位置まで番付を落とした2010年9月場所では、幕内経験を生かした圧倒的な強さを見せ付けて、14勝1敗の成績を挙げて2回目の十両優勝を果たした。再入幕となった翌11月場所では3日目に旭天鵬に敗れた以外は連勝を続け、把瑠都・魁皇の2大関も破る活躍で千秋楽まで優勝を争い、14勝1敗の好成績を挙げて優勝決定戦まで進出した。優勝決定戦では横綱・白鵬に敗れて優勝は逃したものの、3回目の敢闘賞と3回目の技能賞を同時に受賞した。しかし、2010年11月場所における関脇・栃煌山と鶴竜が揃って7勝8敗で小結に下がり、また小結・栃ノ心と阿覧が平幕に陥落したものの、東前頭筆頭の稀勢の里と西前頭筆頭の琴奨菊が関脇に上がったため、2011年1月場所では三役への昇進を果たせずに東前頭筆頭の位置に留められた。平幕で14勝以上しながら翌場所でも平幕に留められるのは史上初のこととなった。その1月場所では初日に大関・把瑠都を破った後、2日目から7連敗を喫したが、その後は一転して7連勝を果たして8勝7敗と勝ち越しを決めた。小結へ復帰した同年5月技量審査場所では5勝10敗と振るわなかったものの、大相撲八百長問題により多数の力士が引退した影響もあり、翌7月場所では西前頭2枚目とわずかな番付の降下に留まった。その7月場所では9勝6敗と勝ち越し、小結へ復帰した翌9月場所では9日目まで1勝7敗と振るわなかったものの、またもそこから一転して7連勝を果たして8勝7敗と勝ち越しを決めた。前場所と同じ東小結の位置に留め置かれた翌11月場所でも9勝6敗と勝ち越しを果たした。関脇へ復帰した2012年1月場所では5勝10敗と大敗してしまい、翌3月場所では平幕へと陥落してしまったが、その場所で11勝4敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞し、翌5月場所に関脇へ復帰した。その5月場所では9日目に久々に白鵬を破ったものの、取組が組まれなかった琴欧洲以外の5大関には全く勝利できず、最終的には7勝8敗と負け越した。西小結の位置で迎えた翌7月場所では鶴竜・琴欧洲の2大関を破ったものの5勝10敗と大敗した。2011年4月に同じ時津風部屋の霜鳳が大相撲八百長問題に関与したという理由により引退勧告を受けて引退したため、それまで霜鳳が所有していた年寄・錦島の年寄名跡を譲られた。2013年に入ってからは稽古不足の影響で7月場所まで4場所連続負け越しを喫するが、9月場所は初日から4連敗しながらも8勝7敗と5場所ぶりに勝ち越した。翌11月場所は3日目に琴奨菊から不戦勝を得る幸運も手伝って14日目に勝ち越しを手にする。2014年3月場所で小結に復帰(東小結)。小結は2012年7月場所以来10場所ぶり。2014年5月場所では西前頭4枚目で相撲をとっていたが、13日目に腰を痛め、休場した。本人曰く「同日朝に腰を突然痛め、相撲を取れる状態ではなくなった。ぎっくり腰のような感じ。背筋を伸ばして歩くことができない」とコメントしている。この場所は前日の12日目で負け越しが決まっていた。なお、この場所では6日目に横綱・日馬富士に押し出しで勝ち、3つ目の金星を得ている。休場明けとなった7月場所では12日目に勝ち越しを決め、14日目の隠岐の海戦で不戦勝を得る幸運もあって2012年11月場所以来の2ケタ勝利となる10勝5敗の好成績。翌9月場所は西前頭2枚目まで番付を戻したものの初日の稀勢の里戦で敗れた際に左膝の靭帯を痛め、2週間の治療と安静が必要と診断されて2日目から途中休場。なおこれにより、2日目の対戦相手であった豪栄道は不戦勝の形で大関として初めての白星を得る結果となった。それでも「番付の枚数をあまり落としたくない」という理由で6日目から再出場を果たし、中日に休場を含めての負け越しが確定したものの初日の出た9日目から千秋楽までに6勝するなど終盤に大きく追い上げた。2015年11月場所は5日目の琴奨菊戦で肩透かしを決めたように見えたが行司差し違えで黒星を喫する。結局この場所は13日目に負け越しが確定したばかりか14日目から左足底筋断裂により途中休場の憂き目にあった。東前頭7枚目で迎えた2016年1月場所は、10日目に勝ち越しを決め好調であった。13日目には3横綱を破り無敗だった琴奨菊にとったりを決め勝利し、平幕で唯一終盤まで優勝争いに加わり続けた。14日目の嘉風戦に勝利した際に左膝を痛めた影響で、千秋楽は栃煌山に突き出しで敗れて3敗目を喫し、優勝争いから脱落(この取組の後、琴奨菊は14勝1敗でこの場所初優勝)。それでも12勝3敗の好成績で場所を終え、優勝した琴奨菊に唯一の土を付けた事が評価されて3度目の殊勲賞を受賞した。2016年3月場所は、最高位である2012年5月場所の東関脇以来23場所(約4年)ぶりの関脇復帰(西関脇)となった。初日にいきなり横綱の鶴竜を破る最高のスタートを切ったが、2日目から8連敗。9日目にして平幕落ちが確定する。10日目には横綱日馬富士を破り、意地を見せたが結局3勝12敗と大きく負け越した。7月場所は東前頭11枚目の地位となったが、場所前の稽古中に左足のアキレス腱を断裂したため、休場を発表した。このため、続く9月場所では2010年9月場所以来6年ぶりとなる十両へ陥落した。その9月場所も全休に甘んじ、これにより75場所連続で務めた関取の地位から離れることとなった。相手の懐に潜り込み、鋭い左差しやもろ差しを決めての速攻相撲を得意とする。小さい体であるにもかかわらずまともに胸を出すような立合いをするのが弱点であるが裏を返せば169cmの小兵でありながら胸から当たっても幕内で通用するという意味であり、元和歌乃山は「176cmの僕より小さいのに胸から行く立合いをするので、それを考えれば器用だ」と評していた。豊ノ島の体質について尾崎勇気(元関脇・隆乃若)は「腰が強く柔らかいので土俵際でよく残された」と現役時代の取組の感触に基づき証言している。浦風は「内容的にはケガをしてもおかしくない相撲だね。見ていてヒヤッとするからね。土俵際であんなにエビ反って大丈夫か」と心配しつつ「そこが余裕になってしまっているから。残れるというね。そこがこの男の持ち味と言えばそうなんだけど」と反り腰・残り腰の強さを評している。2016年9月場所終了現在
出典:wikipedia
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