UK(ユー・ケイ)は、イギリスで結成されたプログレッシブ・ロック・バンド。1978年に結成し、1980年に解散した。1995年に突如再結成のニュースが報じられたが、アルバム録音中に空中分解状態になった。2011年に再結成し、2011年、2012年に日本公演を含む世界ツアーを行った。元キング・クリムゾンのメンバーであるジョン・ウェットン(vo.b)とビル・ブルーフォード(ds)が、キング・クリムゾンのようなインプロビゼーション主体のロックを再びプレイしようと話をしたことに端を発する。当初は元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドが参加するとも言われていたが、それは実現しなかった。1976年、ELPを発展させた音楽を作って米国の市場を開拓しようというコンセプトのもと、ウェットンとブルーフォードは元イエスのリック・ウェイクマンを誘い、キーボード・トリオ編成での活動を試みるが、レコード会社の問題(当時にウェイクマンの所属していたレコード会社 A&M が「リック・ウェイクマンのバンド」として売り出すことに固執したと言われている)、マネージメントの問題(ギャラの配分及びバンド名に個人の名称を入れるかどうかで意見が分かれたと言われている)で数週間のリハーサルのみで挫折。この時にリハーサルされた曲の一部は後にブラッフォードのソロ・アルバム『Feels Good To Me』にて別アレンジで公開されている。1977年、ウェットンがロキシー・ミュージックで一緒になったエディ・ジョブソン(kbd,vln)に参加を打診。リハーサルの途中でギタリストの必要を感じたので、ブルーフォードが自身のソロアルバム『Feels Good To Me』に参加していたアラン・ホールズワース(g)を誘い、ファースト・アルバムに参加する4人のメンバーが決定した。1978年、このメンバーによるファースト・アルバム『U.K.(邦題:憂国の四士)』をリリースしツアーを行う。ツアーでは新曲も披露されるが、この時点で音楽性の不一致は隠せない物となる。ホールズワースが解雇されることになり、ブルーフォードも脱退することとなった。ブルーフォードとホールズワースは、よりジャズ/フュージョン的な音楽性を求め、フュージョンバンド " を結成する。ジョブソン、ウェットンは、後任のドラマーとして、ジョブソンの知り合いでフランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションで活動していたテリー・ボジオを誘い、キーボード・トリオ編成でバンドを再スタートさせる。1979年、セカンド・アルバム『Danger Money(邦題:デンジャー・マネー)』をリリース(第2期メンバー)。同年、5月に、第2期メンバーで初来日(『デンジャー・マネー・ツアー』 東京・大阪・名古屋で、全5公演が開催)。来日公演でのライブ・アルバム制作に伴い公演を録音する。同年、日本公演のライブ・アルバム『Night After Night(邦題:ナイト・アフター・ナイト)』をリリースするものの、徐々にジョブソン色が強くなっていく中でウェットンとジョブソンの方向性に違いが生まれ、翌年、ツアー後に解散した。ウェットンのインタビューによると、「日本での異様な人気で、エディが有頂天になってしまい、手がつけられない状態になっていた」という。1995年にジョブソンとウェットンでUKを再結成するというニュースが広まった。インターネットを通じて、ドラマーにカール・パーマーが決定したとの情報が流れ、直後にウェットンはそれは根拠のないデマだと否定した。1996年からジョブソンとウェットンで録音を開始。ブラッフォード全面参加、ロバート・フリップ参加、ブルガリア女声合唱団をフィーチャー予定等と報じられたが、ジョブソンの作業の遅れ(CM音楽製作を優先)とウェットン/ジョブソンの仲違いによりUKは空中分解状態となった。結局この時の音源の一部はウェットンのベース、ヴォーカルを差し替える等してジョブソンのソロ名義「Voices Of Life」として2000年に発表された。2007年、ジョブソンを中心として、元キング・クリムゾンのトレイ・ガン、アレックス・マカセック(テリー・ボジオとユニットを組んだ事もあるアラン・ホールズワース的スタイルのギタリスト)ら5人編成で、UKZの結成が発表された。2009年6月、UKZとして、ジョブソンにとって30年ぶりとなる来日公演が行われた。2009年11月ジョブソンが新たに結成したEddie Jobson's U-Z Projectのポーランドでのライブにおいて、ウェットンとの共演が実現した。ライブでは、UK、キング・クリムゾンの曲も演奏している。 2011年、再結成したUKの4月の2度のアメリカでの公演の後、「UK」名義では、1979年5月の初来日公演後、32年ぶりでの2度目の来日公演。4月15日、16日、18日(追加公演)(全3公演が開催)、神奈川県川崎市川崎区のCLUB CITTA'に於いて、「CLUB CITTA' PRESENTS UK Reunion Japan Tour 2011」が催された。招聘元は、CLUB CITTA'。東日本大震災の影響等により、開催が懸念がされたが、メンバーの思いもあり催された。メンバーは、2012年5月にジョブソン、ウェットン、ボジオの第2期メンバーでアメリカ巡業をした。5月後半のヨーロッパ巡業にはボジオは参加せず、ドラムにゲイリー・ハズバンドを迎え、マカセックを再度入れた4人編成に公演している。6月14日~21日、「Night After Night 2012」が、ジョブソン、ウェットン、ボジオの編成にて日本公演を行った。招聘元は、CLUB CITTA' ほか(「UK」名義で3度目の来日。公演は、川崎・大阪で全6公演が開催)2013年11月8日、神奈川県川崎市川崎区のCLUB CITTAに於いて、「CLUB CITTA' PRESENTS U.K. Special Live 2013」が催された。招聘元は、CLUB CITTA'。(「UK」名義のスタジオ録音で発売した2枚のアルバム収録楽曲を、収録曲順に忠実に再現したライブ。「UK」名義ではの4度目の来日公演。)2014年4月、船上でのプログレ・ライヴ・フェスティバル "Cruise to the Edge" に出演。ドラムはだった。ファースト・アルバムでは、ブラッフォードやホールズワースの持つジャズ・ロック的要素、ジョン・ウェットンの持つハードロック的要素、シンセサイザーやエレクトリック・ヴァイオリンを用いたエディ・ジョブソンのインストゥルメンタル的要素が互いに絡み合い、ジャズとロックの要素がほぼ均等に導入された楽曲とアレンジを聴く事が出来る。2009年、UKZ来日とあわせて、Eddie自身によるリマスター版がリリースされる。セカンド・アルバムではブルーフォードやホールズワースがいないせいもあってか、インプロビゼーションの要素は後退し、ウェットンが当初考えていたような、ELPを発展させたような音楽を作り上げている。キース・エマーソン的なオルガンなどの伝統的要素を活かしつつも、シーケンサーやモダンなハーモニーを積極的に取り入れて同時代的な個性を築いた。UKの結成時の音楽シーンはパンクやニュー・ウェイヴといったジャンルが主流であり、1960年代-1970年代のプログレッシブ・ロック的な雰囲気を多く残し、演奏技術を前面に押し出す作風は時代遅れのものとして映った。日本およびヨーロッパでは歓迎されたものの、音楽の最大マーケットであるアメリカやバンドの母国であるイギリスではセールスにつながらなかった。結果としてバンドは解散するが、これを踏まえた形で、ジョン・ウェットンは1981年に、ポップ性の強いエイジアを結成した。6週間リハーサルを行い“Beelzebub”、“Back To The Beginning”等の曲を演奏。しかしマネージメント等の問題で崩壊。ウェイクマンが当時に所属していたレコード会社 A&M が「このバンドはウェイクマンのバンドである」ということで売り出そうとしていた事が原因だと伝えられている。上記の2曲はブラッフォードのソロ・アルバム「Feels Good To Me」で再演された。ウェットン、ビル・ブルーフォード、ジョブソンの3人でリハーサルを続けるがギターの必要性を感じ、ブルーフォードのソロ・アルバムに参加していたホールズワースを迎えて活動を開始。1st「UK」録音。ツアーでは新曲 "Caesar's Palace Blues"、"The Only Thing She Needs"、"Carrying No Cross"、"Forever Until Sunday"、"Sahara Of Snow" も演奏する。最後の2曲はインストゥルメンタル曲。この頃のライブ録音は、後年、「Concert Classics Vol.4」として(権利関係の手続きを経ずに)リリースされてすぐに廃盤となり、その後に正式にリリースされている。ツアー後、第2期 UK とブルーフォードに分裂。新曲 "Forever Until Sunday"、"Sahara Of Snow" はブルーフォードのファースト・アルバム "One of a Kind" に収録されている。2nd「Danger Money」録音。1979年、来日公演(デンジャー・マネー・ツアー)メンバー。招聘元は音楽舎1979年の来日公演時、日本公演を収録したライブアルバム「Night After Night」を制作。東京・代々木の日本青年館でのLiveを録音。公演開始直前に主催者側から「この公演がライブ・レコーディングされて世界で発売される」との旨の説明が、会場内にアナウンスされ、「U.K.!U.K.!」というコールを観客にしてもらい録音し、この声援をアルバム最後に重ねたほか、レコード制作に伴い、後でベースやオルガンなどの演奏をスタジオで新規に録音し、日本公演で収録したライブ音源と混ぜてミキシングしており、純粋なライブドキュメントとはいえない。ツアー中に作った新曲を2曲("Night After Night"、"As Long As You Want Me Here ")収録している。その後のアメリカ/カナダツアー中、(バイオリニストとしての)ジョブソン色の強い新曲を2曲披露。バンドはジョブソン独裁体制へシフトしていき、ウェットンとの相性が悪くなり解散へ至る。3rd「Legacy」を途中まで録音、結局空中分解状態となり未発表。4曲入りEP「Radiation」録音。2009年6月来日公演を行った。ライブでジョブソンのソロ曲、UK、キング・クリムゾン、マハヴィシュヌ・オーケストラのインスト曲等を演奏。ライブでUK、キング・クリムゾンの曲等を演奏。ライブでUK、キング・クリムゾンの曲等を演奏。2008年に初来日公演を行った。32年ぶりにUKとしての来日公演を行った。5月にアメリカ巡業を行った。2012年5月後半のヨーロッパ巡業を行った。3月末に船上でのイベント「Cruise to the Edge」に出演した。2014年4月に船上でのイベント「Cruise to the Edge 2014」に出演した。
出典:wikipedia
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