ジェームス・ダグラス・ジェニングス(James Douglas Jennings, 1964年9月30日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。オリックス・ブルーウェーブでの登録名は「D・J」。ブリバード大学から1984年のMLBドラフト2巡目でカリフォルニア・エンゼルスに指名され契約。、オークランド・アスレチックスでメジャーデビュー。、シカゴ・カブスでメジャー再昇格。、NPBのオリックス・ブルーウェーブに入団。開幕当初は不調だったが、7月に成績を伸ばし、打率.393、3本塁打で月間MVPを獲得。8月も打率.337、8本塁打で2か月連続で月間MVPを獲得した。8月8日から9日にはプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を放つ。この年、打率.266、16本塁打、60打点でチームの優勝に貢献。日本シリーズでも、チームが唯一勝利した第4戦で、延長12回表に伊東昭光から決勝ソロ本塁打を放った。は成績が下がったが、本拠地・グリーンスタジアム神戸での優勝を決めた9月23日の対日本ハムファイターズ戦では9回裏、2死無走者から代打で登場し、島崎毅からライトスタンドへ起死回生の同点本塁打を放ち、その次の回のイチローのサヨナラ二塁打での優勝を演出した。オフに解雇が検討されたが、大幅な年俸ダウンで残留が決まった。翌はクリス・ドネルスの加入もあり、外国人枠の関係でシーズンの大半を二軍で過ごし、この年限りで解雇された。帰国後は、アメリカ独立リーグ、マイナーリーグ、メキシカンリーグで所属を行き来しながらまでプレーした。現在はマイアミ近郊に住み、少年野球の指導などをしている。2015年6月13日、マイアミ・マーリンズの本拠地を訪れ、オリックス時代のチームメイトだったイチローと十数年ぶりに再会した。外野手登録であるが、日本では大半は一塁手として起用された。中西太曰く、「守備は下手くそやったけど、勝負強かった」。日本プロ野球史上初めて、姓名のイニシャルを登録名とした選手で、これは当時オリックス監督の仰木彬の発案による。新入団の年の春季キャンプで初対面したイチローから「本当にDJの人だと思った」と勘違いされた。以降、イニシャルを登録名とした選手にはクリス・ドネルス(C・D)、ジェレミー・パウエル(JP)、ジェレミー・ゴンザレス(GG)がいる。2013年9月22日放送の「世界の果てまでイッテQ!」で、出川哲朗がイチローの背面キャッチに挑戦する企画の際に、コーチとして登場した。1996年5月29日の試合でストライク、ボールの判定を巡って球審の佐藤純一に「NO」と抗議したところ突然退場を宣告された。このシーンは同年の珍プレー番組でも取り上げられた。
出典:wikipedia
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