KONDO Racing(コンドー レーシング)は、近藤真彦がオーナー兼監督を務めるレーシングチーム。運営母体は「株式会社エムケイカンパニー()」(本社:東京都港区、設立:2000年3月)。歌手・俳優であり1984年からレーサーとしても活動していた近藤真彦が、1998年に当時所属していたレーシングチーム「TEAM TMS」の協力を得て「近藤真彦レーシングプロジェクト」を発足させ全日本F3に参戦。若手ドライバーの育成を図りながら、近藤自身もチーム監督としてレーシングチームの運営ノウハウを学んだ。その経験を基にして2000年に「KONDO Racing」を設立、フォーミュラ・ニッポンへの参戦を開始した。2002年から2004年にかけてル・マン24時間レースに参戦。2006年からSUPER GT・500クラスに参戦。2012年からは日産自動車大学校の5校(栃木、横浜、愛知、京都、愛媛)と共同でスーパー耐久にも参戦している。初年度より、元F1ドライバーのコマスと日産の成長株である柳田の強力ラインアップと好調な2006年型のZを投入したことで、非常に気合が入っていたものの、横浜タイヤは日産・Zとのデータはなく、まずはタイヤの開発が先決であった。第5戦からコマスが腰痛が原因で一時離脱し代わって荒聖治を起用。コマスはいったん第6戦で復帰するもののなかなか調子が戻らず結局今シーズンいっぱい離脱を余儀なくされ荒が最終戦まで柳田とコンビを組むことに。最終戦ではマシン救済もあって2位争いをした上で3位に入り念願の初表彰台を獲得した。前年の最終戦でようやく初表彰台を上げ、この年の目標は初優勝となりそのために必要な体制を作るべく体制強化を図った。ドライバーには2005年の全日本F3王者で前年ハセミモータースポーツから参戦したオリベイラを迎え、前年途中から起用された荒とコンビを組んだ。序盤戦は旧規定ベースの06年型で挑んだものの、特認だったため性能調整ウェイトが科せられ、さらに新規定のワークスマシンの方が前年の車よりも速かったため非常に不利な戦いを強いられた。第3戦から念願の新車にスイッチしたが、クラッシュによりリタイア。このように、2007年度は常に苦戦を強いられてきたが、第4戦のセパンサーキットでは、猛暑による路面の温度の上昇からタイヤの磨耗が早く、多くのチームが2ピット作戦を用いた中、熱い路面とタイヤとのマッチングが良く、タイヤの磨耗が他のチームに比べて遅かったことから1ピット作戦を成功させ、見事予選14番手から優勝を果たした。もちろんチーム初勝利であり、近藤は涙を流して歓喜した。前年は新車投入が第3戦からでその間は旧型マシンでの参戦だったため苦しんだが、今シーズンは開幕戦より新型マシンであるGT-Rを投入することとなった。既に多くのテストもこなしており、この年も前年に引き続いて優勝を狙いつつシリーズタイトル獲得も狙う。なお、マシン以外の体制は前年と同様である。開幕戦では、まだまだ不完全なところがあったのにもかかわらず5位入賞と比較的滑り出しのいいスタートを切った。その後GT-R全体に課せられた特別性能調整のウェイトによって苦しい状況になったものの、第4戦のセパンサーキットではトップ争いを繰り広げ、相手のミスを逃さずトップを奪いそのままチェッカーを受け、見事セパンラウンド2連勝を達成。しかし、その後安定したポイントを獲得できず、特に終盤戦ではノーポイントで終えるレースばかりだったことが大きく、全体を見渡すとあまりいい結果とはいえないシーズンとなった。前年より2009年規定を一部先取りしたGT-Rを投入したため、その車両を改良し参戦となったが、エンジンは2009年規定に沿っていないため、今年も特認車両となった。景気の減速から例年に比べ開幕前のテストの回数が減り、各チーム若干準備不足で迎えた開幕戦では、予選と決勝で大きくコンディションが変わったり、他チームの戦略ミスにも助けられ、国内初優勝という申し分のないスタートを切ったが、その後のレースでは中々良い結果が出せず、特に第5戦から3戦連続ノーポイントのレース続いてしまったこともあり、最終的にシリーズ8位に終わった。2008年より使用しているGT-Rを改良し参戦となり、エンジンは2009年規定に沿った3.4Lとなった。開幕前のテストでは新しいエンジンにまつわるトラブルが多発し、開幕戦でも予選中に車両後部を大破するアクシデントに見舞われたが、決勝でコンディションがめまぐるしく変わる中で、GT500では例を見ないタイヤ無交換作戦が功を奏し、2年連続開幕戦優勝という申し分のないスタートを切った。しかし、その後のレースでは表彰台に上がることができず、結果的にシリーズ10位に終わった。富士スピードウェイで行われたRd.4にて5年ぶりの優勝を遂げ、スポーツランドSUGOで行われたRd.6で3位表彰台を獲得するも、他でリタイヤを含むノーポイントとなり、チームランキング12位という結果に終わった。NISMOアンバサダーに就任したミハエル・クルムに代わり、MOLAから柳田真孝が移籍。佐々木大樹とコンビを組む事になった。Rd.4 SUGOにてタイヤ無交換作戦を敢行し、優勝を飾る。
出典:wikipedia
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