NIGO®(ニゴー、1970年12月23日 - )は、日本のファッションデザイナー、クリエイティブディレクター、および音楽プロデューサー。1990年代に裏原宿系ファッションの火付け役となったファッションブランド「A BATHING APE®」(ア・ベイシング・エイプ)の創業者。高級ストリートファッションの先駆者として知られる。DJなどの音楽活動もあり、実業家でもある。現在は「A BATHING APE®」の仕事からは離れ、フリーランスとして自身のブランド「HUMAN MADE」のデザインを手掛けるほか、ユニクロのTシャツブランド「UT」のクリエイティブディレクターや、カレーショップ「CURRY UP」、ヒップホップグループ「TERIYAKI BOYZ」のプロデュースなど幅広い分野で活動を展開している。本名は“長尾 智明”(ながお ともあき)。群馬県生まれ。。妻は女優の牧瀬里穂。名前の由来は藤原ヒロシに似ている事から“藤原ヒロシ2号”と愛称がつき、その中の“2号”をローマ字表記にしたもの。®が付いている通り、商標としても登録されている。「A BATHING APE®」は裏原宿系ブランドの代表的存在として知られ、猿のキャラクターをデザインに配したTシャツで大ブームとなった。1993年設立のアパレル企業「株式会社ノーウェア」の展開によるファッションブランドで、その製品は世界各地に約50店ある「BAPE STORE®」とよばれるショップで独占的に販売されている。2005年に「裏原宿」にThe Neptunesのファレル・ウィリアムスとアパレルブランド「BILLIONAIRE BOYS CLUB®」と「ICE CREAM™」を共同で立ち上げ、東京、ニューヨーク、香港にも出店した。2011年に「BILLIONAIRE BOYS CLUB®」の運営及びデザインからは退いている。文化服装学院在学中にDJ、ライター、スタイリストとしてのキャリアをスタート。卒業後の1993年、当時アンダーカバーをデザインしていた高橋盾(愛称:ジョニオ)とともに、東京・原宿にアパレルショップ「NOWHERE」(No whereとNow hereを掛けている)をオープンし、若者に爆発的な人気を得た。オリジナルのカモ柄を使ってデザインをしたアイテムが世界的なアイコンとなった。2004年には米ニュース誌『TIME』の特集「アジアの英雄20人」に選出。翌2005年にはアンディ・ウォーホル創刊の米雑誌『インタビュー』の日本特集号の表紙に登場。撮影はシャネルのデザイナーにあたるカール・ラガーフェルドであった。2007年、日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(第30回)のTシャツをデザイン。2008年には雑誌『GQ JAPAN』主催の「MEN OF THE YEAR」を受賞。2009年には株式会社ノーウェアの代表取締役社長を辞任(ブランド指揮業務は継続)、同社からの独立という形で新会社の「NIGOLD」(ニゴールド)を設立した。2010年、セレクトショップ「ビームス」限定展開の新ブランド「HUMAN MADE」(ヒューマン・メイド)を立ち上げる。さらにアイウェアメーカーのクレイドルより「EFFECTOR by NIGO®」を発表。2011年に負債をかかえた株式会社ノーウェアを香港のセレクトショップ運営企業「I.T」が買収。「A BATHING APE®」のクリエイティブディレクターとして2年の契約を締結した。2012年にはコンバースとのコラボレーションによるスニーカー製品「CONVERSE ADDICT by NIGO®」(コンバース・アディクト・バイ・ニゴー)を発売。2013年、香港I.Tとの契約終了に伴い「A BATHING APE®」のクリエイティブディレクターを退任、フリーとして様々な分野での活動を開始することとなる。同年ユニクロのTシャツブランド「UT」のクリエティブディレクターに就任。2014年には「アディダス・オリジナルズ」との長期パートナーシップ契約を締結。コラボレーションによるコレクション「アディダス・オリジナルス・バイ・ニゴー」(ADIDAS ORIGINALS BY NIGO)がさっそく始動するに至った。同年にはデザイナー歴25周年を記念したオークション「NIGO® ONLY LIVES TWICE」をサザビーズ香港で開催。ユナイテッドアローズとの協業によるスーツを主体としたブランド「NIGOLD® by UNITED ARROWS」(ニゴールド・バイ・ユナイテッドアローズ)の発売もあった。2014年11月、ファッションデザイナーの西山徹とブランド「ダウトフル・アズ・ダブル」(DOUBTFUL AS DOUBLE®)を立ち上げ、同ブランドの展覧会を原宿表参道で開催。2015年よりZOZOTOWNにて販売が開始されている。国内外問わず多数のミュージシャンと交流を持つ。DJ歴23年。18歳の時に西麻布にあったクラブ「P.Picasso」よりキャリアをスタートさせる。2002年、m-floのVERBAL、RIP SLYMEのRYO-ZとILMARI、WISEらとともに音楽ユニットTERIYAKI BOYZ®を結成。『BEEF or CHICKEN』をDef Jam Recordingsよりリリース。プロデュースにファレル・ウィリアムス、ダフトパンク、ビースティ・ボーイズ、コーネリアスらが参加。TERIYAKI BOYZ®全国ツアー「デリバリイッチョウツアー」開催。「ROCKIN'ON presents COUNTDOWN JAPAN 05/06」にてライブパフォーマンスを行う。2005年にはTERIYAKI BOYZ®が「MTV ASIA AWARDS 2005」にて、STYLE AWARDを受賞。翌2006年にはTERIYAKI BOYZ®のHeartbreakerのミュージックビデオが「SPACE SHOWER Music Video Awards 06」のBEST HIP HOP/R&B VIDEOを受賞した。映画『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』の主題歌をTERIYAKI BOYZ®で製作、プロデュースはThe Neptunes。FENDIのイベント「B.MIX PARTY」を総合プロデュースしファッションブランドとしては初めて国立競技場のグラウンドでイベントを開催。友人でもあるカニエ・ウェストがパフォーマンスを行った。2007年にはカニエ・ウェストプロデュースによる『I STILL LOVE H.E.R. feat. KANYE WEST』をリリース。カニエ・ウェストとともにミュージックステーションに出演した。同年には台湾の野外フェス「FORMOZ FESTIVAL 2007」や「SUMMER SONIC 07」東京公演などにも出演。2008年、音楽フェス「SUMMER SONIC」でフェス内フェスとしてスペシャルステージをプロデュース。カニエ・ウェスト、N.E.R.D.、TERIYAKI BOYZがパフォーマンスを行い、その後香港にて同イベントを開催。翌2009年にはTERIYAKI BOYZ®のセカンドアルバム『SERIOUS JAPANESE』とDVD『DELICIOUS JAPANESE』をリリース。カニエ・ウェスト、クリス・ブラウンらが参加した。初監督として手がけたTERIYAKI BOYZ®のミュージックビデオ『ZOCK ON! feat. PHARRELL and BUSTA RHYMES』がMTV JAPAN VIDEO MUSIC AWARDS 2009にて最優秀ヒップホップビデオ賞を受賞。『パークハイアット東京』のコンピレーションアルバム『TOKYO SUITE by NIGO®』が発売。コブクロのベストアルバム「ALL SINGLES BEST 2」のアートディレクションを手掛ける。2015年、Happinessのシングル『Holiday』のジャケットのアート・ディレクションとヴィジュアル・ディレクションを手がける。2016年、Happinessのシングル『Sexy Young Beautiful』のジャケットのアート・ディレクションとヴィジュアル・ディレクションを手がける。同年4月15日、ヒップホップユニットHONEST BOYZを結成し、DJと音楽プロデューサーとして参加。ファレル・ウィリアムスの命名によるカレー店「CURRY UP」(カリーアップ)の1号店を2010年に開店、全面プロデュースを手掛ける。2012年、ポラロイドフィルムメーカーのIMPOSSIBLEより「IMPOSSIBLE by NIGO®」のフィルムと写真集を発売。「A BATHING APE®」のアトリエを自ら撮影した『ATELIER BY NIGO®』も同年に発売した。2015年にはサイバーエージェントおよび同社の主力事業「Ameba」のロゴの刷新に伴う総合クリエイティブディレクターに就任、両ロゴのデザインを手掛けている。元「東京パフォーマンスドール」の一員で歌手の市井由理と1999年に結婚するも、2002年に離婚。2008年に女優の牧瀬里穂と再婚した。共通の知人を介して出会った2004年からの付き合いであったという。億万長者で、2003年度の納税額約1億8600万円・推定年収約5億1000万円。愛車はロールス・ロイス・ファントム、ポルシェ・カイエンターボ、AMG・300SL GULLWING V8-6.0。そのほか多数所有し、アメリカの有名車雑誌DUB MAGAZINEで2度表紙に抜擢。現在までに世界中で雑誌の表紙を飾った数は、約230誌に及ぶ。前歯にダイヤモンド製で固定式のグリルを装着している。笑っていいとも!のテレフォンショッキング出演時には、しみて冷たいものが食べられないと話していた。プロレスファンであり、スター・ウォーズやビートルズなど、ヴィンテージグッズのコレクターとしても有名。タレント、中山秀征のスタイリストを務めていた時期があり、当時乗っていた軽ワゴン車について指摘されたりするなどして、現在のスタイルに多少なりとも影響を与えている。
出典:wikipedia
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