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SMエンターテインメント

株式会社エスエム・エンタテインメント(S.M. Entertainment Co., Ltd.、以下「SM」)は、韓国ソウル市に本社を置くKOSDAQ上場の総合エンターテインメント会社。通称はSMエンターテインメント(SM)。韓国の大手芸能事務所及びレコード会社。韓国音楽産業協会正会員、韓国演芸製作者協会会員。韓国標準産業分類による業種は「記録媒体複製業」。アイドル歌手を中心とした音楽ソフト制作や芸能マネージメントが主な事業であり、レコード会社としては韓国最大手に位置している。このほか、番組制作やオンライン事業、傘下企業を通じて芸能スクール運営やカラオケ機器製造、カラオケ店運営、不動産開発なども行っている。韓国エンターテインメント界を代表する企業のひとつであり、業界への影響力の大きさなどから「SM帝国」とも称される。経営の実権は、社名の由来となっている創業者で筆頭株主のイ・スマン (Lee Soo Man) 理事が有している。1989年、SM企画が設立される。1995年, 株式会社として法人登記される。1990年代後半、組織的かつ戦略的なアイドル歌手の発掘・育成・宣伝体制を確立し、未成熟であった韓国のティーンエイジャー向け音楽市場を開拓。エイベックスを手本にエンターテインメント関連企業として初めてKOSDAQに上場した2000年以降は、上場により得た信用力と巨額な資金をもとに事業を拡大させ急成長した。当時の韓国では画期的であったこれらの手法は次第に業界内に浸透し、韓国におけるポピュラー音楽の商業化やエンターテインメント界の産業化に大きな役割を果たした。また、1998年頃から海外進出を開始し、2000年代には日本(2001年)、香港(2006年)、アメリカ(2008年)に現地法人を構えるなど、所属タレントの韓国国外での活動を積極的に展開した結果、中国では現地でのH.O.T.の人気によって韓流ブームが本格化するきっかけをつくり、日本ではエイベックスや吉本興業など現地企業の協力を得ながら、所属歌手に日本語を習得させJ-POPを歌わせる「現地化」戦略を取り、BoAをミリオンセラー歌手へと導く実績を上げている。これをきっかけに同社との関係を深めたエイベックスは、2004年に同社に資本参加し、2007年からは創業者に次ぐ大株主となっている。同社は、大衆や市場の心理を読み最も高い付加価値を持ったスターを創り出すCT(カルチャー・テクノロジー)戦略と、韓国の同業企業にとっては未踏の市場にいち早く参入するブルー・オーシャン戦略を推し進めており、前者は画一化された音楽や歌手を「商品」という形で量産し続け、結果的に韓国の音楽文化を荒廃させたとの批判が多い一方、後者は韓流の原動力となるなど業界の発展に大きく貢献したとして高く評価されている。2000年代後半以降、これらの戦略をさらに人材豊富な中国本土でも展開しており、これに日本の資本を加えることで現地から国際的スターを誕生させてアジア市場での主導権を握り、それを足掛かりに最終的にはタイム・ワーナーやディズニーに対抗し得る世界的な複合メディア企業に飛躍することを目指している。言論統廃合を機に芸能界に見切りをつけアメリカへ留学した元歌手で司会者のイ・スマンが、現地でのMTV人気に感化されて音楽プロデューサーへの転身を決意し、帰国後の1989年に前身となる「SM企画」を立ち上げたのが始まりである。スマンはまず、プロのブレイクダンサーをヒップホップ歌手に仕立て上げ、1990年デビューさせた。この歌手はヒップホップ・ブームの先駆者として一躍人気を得るも、その後、スマンは販売委託先の不渡りや歌手本人の麻薬使用による検察のアルバム押収騒ぎに巻き込まれ、大きな痛手を負ってしまう。1994年、イ・スマンは次の一手として男性アイドルグループの結成を決断し、翌1995年、新たにレコード会社として「株式会社エスエム・エンタテインメント」を設立しながら5人の少年を選抜、1996年に彼らを「H.O.T.」としてデビューさせる。当時、韓国ではニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックやソテジワアイドゥルが大人気となるなど10代の消費力が音楽市場を席巻しつつあり、これに注目した、受け手と同世代のダンスグループをつくるべきとの結論に達して企画したものであった。この読みは的中して、H.O.T.はデビュー直後から瞬く間にティーンエイジャーから爆発的な人気を呼び、彼らのアルバム販売と韓国では初となる肖像権のライセンシングによって、スマンは経営者として初めて大きな成功を手にする。その後もスマンは攻め、発掘・育成システムの整備を進める一方で、練習生の中から1997年に女性3人組の「S.E.S.」、翌1998年に男性6人組の「神話」をデビューさせる。そして、SMは彼らをスターへと押し上げることで模倣し追随する他社を振り切り、H.O.T.の登場で一気にアイドルグループ全盛の時代に突入した韓国の歌謡界において確固たる地位を築いていった。1998年、SMは韓国の同業他社に先んじて、設立以来の目標であった海外進出を開始する。最初の進出先は日本で、スカイプランニングと提携を結びS.E.S.をJ-POP歌手としてデビューさせた。しかし、これは失敗に終わり、日本ではヒットさせるまでに時間が掛かることを痛感させられたイ・スマンは、その期間を逆算して次はもっと若い歌手を送り込もうと社運を賭けたプロジェクトを起こす。それは総額30億ウォン(結果的には50億ウォン)という手持ちの資金も軽く吹き飛ぶ大金を投じるものであった。イ・スマンは、この計画のためにスカウトしたまだ小学生のBoAをホリプロの力も借りながら約2年かけて「日本の歌手」に育成する。そして、海外進出の中で障害になっていた信用力のなさを解消するため、当時エイベックスの会長兼社長を務めていた依田巽からのアドバイスを受けて、SMを韓国の芸能関連企業としては初めてKOSDAQに上場させたり、吉本興業やエイベックスと共同で日本での活動拠点「SMジャパン」を設立したりと万全の準備を整えた上で、2001年5月に日本でデビューさせた。結果は大成功で、韓国よりも先に日本でスターダムへと登りつめたBoAは、1年間だけで40億ウォンの原盤印税収入をもたらすなどSMの経営を潤すとともに、韓国のポップス歌手を日本市場に向かせるきっかけをもつくった。一方、中国にはアルバムのリリースにより人気が出ていたH.O.T.を進出させ、2000年には北京での大規模コンサートを成功させる。この公演は中国本土でのティーンエイジャー向け音楽市場の顕在化や韓流ブームの本格化をもたらし、またイ・スマンが公演直前に後援側である韓国文化観光部の長官に働きかけたことで、渡航制限のある兵役前の韓国男性でも芸能人なら例外的に出国回数の制限がない「複数旅券」が発給されるようになり、H.O.T.をはじめとする男性タレントの海外展開が容易になる契機ともなった。2002年4月、SM所属歌手のマネージメントとタレントの養成を請け負っていたイ・スマン所有のフォーエムイーを吸収合併し、一度分けていた業務の一本化を遂行、SMはレコード事業と芸能マネージメント事業を併せ持つ総合エンターテインメント会社へと転換する。そのさなか、同年1月の文化放送 (MBC) の報道をきっかけに始まった、歌手の宣伝費にまつわる芸能界とテレビ局・新聞社との一大スキャンダル、通称「PR費事件」に関するソウル地方検察庁(現・ソウル中央地方検察庁)強力部の捜査の過程で、上場前年の1999年にSMの資金約11億ウォンが横領され、資本金の水増しに使われていたことが発覚。この横領などの疑いでSMの当時の代表理事社長が同年7月に、帰国せず国際手配されていた理事も翌2003年5月に逮捕され、その後、代表理事には懲役1年6か月・執行猶予2年、理事には懲役2年・執行猶予3年の判決が言い渡された(理事のみは2007年2月実施の財界人を主対象とした大統領就任4周年記念恩赦により赦免(特赦及び復権)されている)。2003年には子会社を通じて「スターライト・アカデミー・システム」(現・SMアカデミー)を開校し、歌手、俳優、マネージャーなどを育成する芸能スクール事業に乗り出す。この学校からは、その後SMが需要に応じて市場へ送り出した「東方神起」「スーパージュニア」「少女時代」や、他の芸能事務所からデビューした「バトル」(Battle)、「エースタイル」(A'ST1) といったアイドルグループのメンバーらを輩出した。2005年頃からは、韓国のレコード市場が衰退の一途を辿るなか、音楽産業への依存体制から脱却するべく、実績あるコメディアン・俳優の招聘や所属歌手の俳優業への進出を推し進めるとともに、ミュージカル興行、ドラマや映画を中心とした映像制作、そして韓国ではレコード市場を完全に凌駕する市場規模にまで成長していたカラオケ業など異業種に次々と参入して事業を拡大させる。また、本業の音楽制作・芸能マネージメント事業においても、いずれ世界最大の市場になると目される中国で強固な地盤を築くため、2006年、香港に現地法人を設け、韓国側で育てた現地歌手を送り込む試みを行っている。(登記役員のみ。2008年9月現在)(設立・グループ加入順。2008年11月現在)(グループ離脱順)(五十音順。2008年11月現在)(五十音順。SMジャパン・SMアジアに所属の歌手・タレントも含む)(五十音順。SMジャパン・SMアジアに所属の歌手・タレントも含む)1999年以降、毎年夏と冬にSM所属の歌手が集結し、SMTOWN名義でコンピレーション・アルバムを発表している。制作されない季節や年もある。販売形態はCDとカセットテープの2種。収録されている曲は、ここでしか聴けないものが大多数を占めている。2001年1月、音楽番組「SBS人気歌謡」の音楽チャートにおいてS.E.S.が3週目の1位獲得に失敗したことから、SM側が同チャートの公正性に疑問を呈し、所属歌手のSBSへの出演をしばらくの間取り止める騒ぎが発生した。2007年11月には、スーパージュニアのメンバーが文化放送 (MBC) のテレビ番組にレギュラー出演しているにもかかわらず、SBSの裏番組にレギュラー出演するようになったことに対し、MBCの芸能局が「商道徳に反する」としてSM側に改善を求めたものの、SMがこれを拒否し双方は対立、同芸能局が担当するMBCの音楽番組やバラエティ番組からSM所属のタレントが一斉に姿を消す事態が起きた。その後、一旦両社は和解の姿勢を見せたものの解決する様子は見られず、翌2008年2月に東方神起が国内活動を再開した際はMBCの番組だけ出演を避けるなど、こじれた関係は長く続いたが、同年9月に両社は電撃的に和解をし、翌10月に正常化された。人気アイドルを多く抱え、タレントだけでなく練習生にも多くの熱狂的なファンが付く特性もあって、SM側の言動に反発したファンらによるデモや不買運動などがたびたび起きており、SMは長年対応に苦慮している。2002年1月には、前年にSMを離籍したH.O.T.の元メンバー3名が、新たに結成した「JTL」のプロモーション活動を始めた直後に、突然複数のテレビ局から予定されていた番組出演やPV放送のキャンセルを通告され、収録済の番組も出演シーンがカットされて放送されたことから、JTLのファンらが原因はSMによる放送局への圧力だと主張してSMの本社前でデモを行った。これに対しSMやテレビ局側は圧力の存在を否定したが、10日後、演奏家協会や音楽評論家団体などで構成される連合体「大衆音楽改革のための連帯会」が記者会見を開き、放送局が有する編成権や編集権を侵害するような行為を改めるようSM側に求める事態にまで発展した。2008年3月には、スーパージュニアのメンバー追加を進めるSMに対して抗議を展開していた同グループのファンらが、「小額株主会」を結成し共同でSMの株式を購入した上で、株主の立場からSMの経営陣に対抗するとの声明文を韓国の各報道機関に送った。この団体が取得したのは全発行株式の0.3%余りであったため、経営に影響を与えることはなかったものの、このようなことは過激なファン文化を持つ韓国でも例がなく、現地では大きな話題となった。

出典:wikipedia

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