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ロッキー・マルシアノ

ロッキー・マルシアノ(Rocky Marciano、1923年9月1日 - 1969年8月31日)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。マサチューセッツ州ブロックトン出身。本名はロッコ・フランシス・マルケジャーノ。イタリア系アメリカ人。ボクシング世界ヘビー級王者史上、唯一全勝無敗のまま引退した第19代世界ヘビー級王者。全階級通じても、引き分け無しの無敗のまま引退した世界王者は、スベン・オットケ(スーパーミドル級、2004年引退)が出現するまでマルシアノただ一人であった。「ブロックトンの高性能爆弾」の異名を持ち、身長180.3cm・体重83kgと現代では一階級下のクルーザー級の体格ながら、無類のタフネスと破壊的な強打で並みいる強豪を次々とマットに沈めていった。イタリアからの移民の両親の元、マサチューセッツ州に生まれる。幼少期から野球に興味を持ち、高校時代も野球に打ち込んでいたが、他の野球リーグに参加したことが校則違反となって高校を中退する事になる。その後は石炭掘り、トラックの運転手、靴屋などの職業を点々とする。1943年3月に徴兵される。3年間の兵役中にボクシングと出会い、アマチュアで8勝4敗の戦績を残す。1947年3月にプロデビューし、3回KO勝ちを収めた。1947年3月下旬、当初はプロ野球選手を目指していたことで、24歳の時に現在のシカゴ・カブスのプロテストを受けるが、3週間2軍チームで過ごした後カットされ挫折、ボクシングに専念する事を決定する。マルシアノの出世試合は1951年10月に行われた、元世界王者ジョー・ルイスとの試合である。ジョー・ルイスは37歳になっているとはいえ、世界王座を25度も防衛した国民的英雄であった。しかし、マルシアノはこの英雄を8回にリング外に叩き出すノックダウンを奪い試合を終わらせた。試合後、尊敬するルイスに勝ってしまったため、泣きながらルイスに謝っていたと言う。そして1952年9月23日、いよいよ世界王座に挑戦する時がやってきた。当時の世界王者ジョー・ウォルコットに挑戦したマルシアノは初回に強烈なダウンを奪われる大苦戦を強いられることになる。12回まで圧倒的に不利なラウンドが続いたが、13回にドラマが訪れる。高性能爆弾とも形容されたマルシアノの強烈な右フックがチャンピオンの顔面を直撃すると、チャンピオンは前のめりに崩れ、そのままカウントアウトされた。チャンピオンの首がねじ切れんばかりの、この超破壊的な右フックは「スージーQ」と名付けられた。以降1年に2試合のペースで防衛戦をこなしたが、1955年9月アーチー・ムーアと6度目の防衛戦に9回KO勝ちしたのを最後に「もう戦う相手はいない」という名台詞を残し1956年4月に引退した。1969年8月31日、アイオワ州において搭乗していたセスナ機の墜落事故により死去。46歳の誕生日を迎える前日の出来事であった。また、晩年は現役時代の打ち合うスタイルのためか頭痛に悩まされていたと言う。

出典:wikipedia

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