タレンティドガールは日本の競走馬および繁殖牝馬である。1987年、桜花賞と優駿牝馬(オークス)の二冠を達成し、メジロラモーヌに続く2年連続牝馬三冠を目指したマックスビューティを阻止した馬である。半兄のニッポーテイオーは、マイル戦線で活躍した名馬である。"馬齢表記は旧表記を用いる。"4歳1月にデビュー、3戦目で勝ちあがった。このときの騎手はマックスビューティの手綱を取ることになる田原成貴であった。続く初の芝レースでもメジロライアンの姉であるメジロフルマーを振り切って2勝目をあげた。しかし次走のフラワーカップで11着に惨敗、詰まったローテーションもあり目標をオークスに絞った。そしてオークスでは、圧倒的1番人気に応え勝利したマックスビューティの3着に食い込むが、当時は注目を集めなかった。北海道の条件戦を勝利するも、エリザベス女王杯(当時は〈旧〉4歳牝馬のみが出走でき、古牝馬には開放されていなかった)の前哨戦であったクイーンステークスで3着に敗れたタレンティドガールは4番人気だった(1番人気はマックスビューティ)。レースでは直線で先頭に立ったマックスビューティを、外から差し切り重賞初制覇をGI優勝で飾った。その名の由来は馬主の夭折した娘にちなみ「才媛」と言う意味でタレンティドガールと名付けられており、このエリザベス女王杯の日がちょうど13回忌だったという。また兄のニッポーテイオーもこの秋に天皇賞とマイルチャンピオンシップを勝っており、1ヶ月で兄妹あわせてGI3勝という記録を達成している。その後有馬記念と中山牝馬ステークスに敗れ引退した。生まれ故郷の千代田牧場で繁殖入りした。ライバルであるマックスビューティ同様ヨーロッパに渡りナシュワンやソヴィエトスターと交配されるなど期待されたが不受胎が多く、自身の産駒ではセントライト記念とアルゼンチン共和国杯でともに3着に入ったシンコウシングラーが出世頭であった。2008年11月13日に老衰のため安楽死の措置がとられ、24歳で死亡した。孫(ライジングサンデーの子)にエーシンホワイティ(ファルコンステークス、新潟ジャンプステークス)、曾孫(エミネントガールの孫)にホエールキャプチャ(ヴィクトリアマイル)がいる。
出典:wikipedia
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