青原行思(せいげん ぎょうし、諡号:弘済禅師、生年不詳 - 740年(開元28年)12月13日)は、中国唐代の禅僧である。吉州(江西省)の安城県(『宋高僧伝』では盧陵)に生まれる。俗姓は劉氏。一説には生誕年を673年としているが、定かではない。子供の頃に寺に入り、暫く修行した後に曹谿(広東省)の慧能を尋ねて師事した。その後、故郷に帰って青原山に静居寺を開いて布教した。『宋高僧伝』では、大師号を、洪済大師としている。髪塔は帰真塔といい、会昌の廃仏時に廃毀されたが、後に法嗣の者が重建したとする。後に弟弟子に当たる石頭希遷が慧能の死後に、第一座の勧めで来訪して弟子となり、その法を発展させ、その弟子筋からは、曹洞宗、雲門宗、法眼宗が派生し、臨済宗、潙仰宗を派出した同じ慧能門下の南嶽懐譲と共に、後世、禅の二大祖師として並び称されるようになった。青原の仏法は、師の慧能の頓悟禅を受け継ぎつつも、相手が納得するまで論じる丁寧さを持ち合わせ、比喩を用いて教えるなど、後世の禅宗三派の思想の発端が見られる。
出典:wikipedia
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