パルメニデス(、 紀元前500年か紀元前475年 - 没年不明)は、古代ギリシアの哲学者。南イタリアの都市エレア出身、エレア派の始祖。アナクサゴラスの弟子・クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。名門の家柄であり、祖国エレアのために法律を制定したともいわれる。クセノパネスやエンペドクレスにならって、詩の形で哲学を説いている。その中でも教訓詩『自然について』が断片として現存する。感覚で捉えられる世界は生成変化を続けるが、そもそも「変化」とは在るものが無いものになることであり、無いものが在るものになることである。理性で考えれば「無」から「有」が生じたり、「有」が「無」になるのは矛盾である。パルメニデスは感覚よりも理性に信を置いて真に在るものは不変だと考えた。このことから感覚より理性を信じる合理主義の祖であると考えられている。以上は、古代から存在し、現在でも最も「古典的な」パルメニデス解釈である。しかしながら、例えば、アリストテレスの『形而上学』第一巻において、上記のような学説を概ね弟子のメリッソスのものとし、「素朴で検討に値しない」とした。一方、パルメニデスについては「より深い洞察を持って語っている」とし、「一者」は、存在の定義についての概念であるとした。また、パルメニデスは『自然について』の第三部において、「死すべき人の子らのまことの証なき思わく」として、自然現象の「火」と「土」を原理に置く詳細な説明を展開している。これも、アリストテレスの解釈では、経験事実をふまえ、それを説明するための積極的な試みとされている。古代のプラトン主義者たちは、パルメニデスの思想の中にイデア説の原型を見出している。つまり、理性でのみ把握される不生不滅の「有」の世界と、感覚で把握される生成流転する世界の二層構造を初めて見出したのがパルメニデスだ、というのである。この解釈においても、パルメニデスは、感覚的経験を理性の下位においているのではあるが、決して無視しているわけではない。現在でも、「ある」を存在の意味解釈するのか、叙述の意味でとらえるのか、第三部の自然学的説明にどのような地位を与えるのか、などの点において様々な議論があり、その解釈は一定していない。パルメニデスの思想を直接伺うことができるのは、教訓詩『自然について』のみであるが、断片しか残っていない上に、詩という表現の形式が解釈を難しくしている原因と思われる。いずれにせよ、ソクラテス以前のギリシア哲学者の中では、古代から現代にいたるまで、圧倒的に高い評価を得ている哲学者であり、後世に甚大な影響をもたらした。このことは、先のアリストテレスの扱いからも見てとれる。また、プラトンも、『パルメニデス』という対話編を書いている。この中で、ソクラテスはイデア論をもってゼノンを論破したのちにパルメニデスと対話するのだが、今度は散々に論破されてしまうのである。しかし、論破後、逆にパルメニデスはイデア説を一転擁護してみせる。そして、最後の第三部で、イデア論の最も微妙な議論が展開されてゆくのである。これから読み取れることは、プラトンがパルメニデスを高く評価していたこと、また、そのイデア論がパルメニデスの深い影響下で成立したことである。プラトンのイデア論はパルメニデスの不生不滅の考えとヘラクレイトスの万物流転の考えを調和させようとした試みであるとも言われている。
出典:wikipedia
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