芹川 ゆかり(せりかわ ゆかり、1977年9月29日 - )は、1990年代に活躍した女優、タレント。東京都出身。本名は芹川祐佳里、後期の芸名は夏川 ゆかり(なつかわ ゆかり)。所属事務所はMISエステー企画→ヤザ・パパ。劇団あのに所属したのち、高校2年生だった1994年9月に当時落成したばかりのTBS新放送センター(通称ビッグハット)でTBSラジオ主催の第2回シンデレラドリームオーディションに合格。前年1993年の第1回に合格した黒住祐子や松宮麻衣子ら含め、同オーディション前に芸能活動の経験がある数少ない一人で、すでに当時のちに大女優となる松嶋菜々子がいたMISエステー企画に所属、10月からスタートしたABC・テレビ朝日系ドラマ「八神くんの家庭の事情」に出演し、そして翌年1995年春にはTBS系ドラマ「天までとどけ4」、さらに夏には映画「ひめゆりの塔」への出演がそれぞれ決まっていた。オーディション合格後、TBSラジオの深夜番組「シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー」(以下ミッドナイト☆パーティーと略す)のシンデレラとなった。翌年1995年3月までの半年間はレギュラー出演はなく、毎月行われる定期イベントのみ参加だった。実年齢では1つ年下だが、ミッドナイト☆パーティーシンデレラでは先輩に当たる松宮麻衣子が主催し、11月に行われたイベント第1回の「松宮麻衣子TOMATOスタジオ」では後藤明子ら同じ第2回オーディションで合格したシンデレラ2期生と一緒にゲスト参加した。番組にレギュラー出演が決まったのは1995年4月からで松宮麻衣子が月曜深夜1部に昇格したのに伴い、深夜24時(午前0時)台に放送される新コーナー「真夜中の放送室」と次のミニコーナーにのみ出演。しかし24時台のみの出演のため、当時同番組が放送されるネット局5局のうち、彼女の出演の部分が放送されたのはTBSラジオと山陽放送(RSK)、琉球放送(RBC)の3局だけで、深夜1時からネットする北海道放送(HBC)とRKB毎日放送(RKB)には放送されず、1時台にごくたまに出演する時だけしか放送されなかった。8月には「チャレンジャーゆかぽん(彼女の愛称)の○○○(毎週いろんな言葉が入っていた)」のタイトルで彼女自身でコーナーをもつことになった。また同月の金曜深夜の「東京深夜探検隊」に神田うののものまねで電話出演したが、リスナーには最初から神田うのが電話出演してることを信じ込ませたうえで、最後にメインの石本祥が「ということで、芹川ゆかりでした」という最後にオチがつくドッキリだった。レギュラー出演していた5月からは自身が出演した映画「ひめゆりの塔」(沢口靖子・後藤久美子主演)が上映された。10月にミッドナイト☆パーティーが終了し、自身のレギュラー出演はわずか半年だった。後継番組である「ウィークエンド・ミッドナイト☆パーティー」にもゲスト出演したが、当時高校3年生で大学受験が控えており、10月6日深夜(7日未明)のミッドナイト☆パーティー最終回出演を最後に年末までの2ヵ月半受験のために休業、推薦入試が終わり合格が決まった年末最後の12月30日深夜(31日早朝)放送の番組内でかつて一緒だった松宮麻衣子が担当するコーナー「松宮麻衣子のあのねそれはね」に2ヵ月半ぶりにようやく初めてゲスト出演した。ミッドナイト☆パーティーシンデレラではもっとも遅い同番組初出演となったが、1996年の年明け以降は高校卒業することから松宮麻衣子のコーナーだけでなく、黒住祐子と四元都華咲が務めるメインのほうにもゲストで生出演した。しかし3月の番組終了(実際は4月だが、自身の出演は3月まで)及び高校卒業を機にこれまで所属していたMISエステー企画を退社。4月からは大学進学とともに芸能活動継続のために新たな事務所を探すことになり、入学早々再び休業状態となった。そして夏にミッドナイト☆パーティー仲間だった松宮麻衣子と蛭田有希子が所属しているヤザ・パパに移籍し、これを機に芸名を夏川ゆかりに改名した。これで翌年1997年春に蛭田有希子が引退するまで同事務所に同じ番組の出身者が3人も所属することになり、当時松宮麻衣子と蛭田有希子は週1回のレギュラーをもつほどの事務所内では大人気タレントだっただけに期待も大きかった。その後は「探偵MONOモノ物語」(日本テレビ系)、「心療内科医・涼子」(読売テレビ・日本テレビ系)などに出演。11月からは休業する松宮麻衣子に代わって「スーパーカレッジ」(JFN系列局)のアシスタントを務めた(〜1998年3月)。以降ミッドナイト☆パーティー出身は彼女だけとなったが、新たな夢である歌手を目指すため、女優業を休業したが、1年もたたぬうちに復帰。復帰後も「救命病棟24時」(フジテレビ系)に出演。1999年5月には「フォーティンブラス」(東京・天王洲T.Y.ハーバーシアター)に出演、自身にとって初の舞台となった。こうして女優業とともに、夢である歌手デビューも近いうちに実現できるかと期待されていたが、大学卒業間近という現実が重くのしかかるようになり、結局同年9月ヤザ・パパを退社し、そのまま引退した。太字はレギュラー出演
出典:wikipedia
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