佐藤 蛾次郎(さとう がじろう、1944年8月9日 - )は、日本の俳優・タレント。大阪府高石市出身。本名は佐藤 忠和(さとう ただかず)。E・NESTO所属。息子は俳優の佐藤亮太。1953年に朝日放送児童劇団に入団する。1961年に『神州天馬侠』の泣き虫蛾次郎を演じてから、芸名を佐藤 蛾次郎とする。1968年にはテレビドラマ『男はつらいよ』に出演。1969年からは映画『男はつらいよ』に柴又題経寺の寺男源吉(愛称:源公)役で出演。 最終作の1995年まで出演し続け、本シリーズに欠かせない存在となる。ファンからは全48作全てに出演したと思われているが第8作の『男はつらいよ 寅次郎恋歌』のみポスターに名を重ねているが撮影直前に交通事故に遭い緊急入院したため出演していない。1970年代 - 1980年代にはアフロヘアーにしていたが、テレビドラマ『柳生一族の陰謀』、映画『戦国自衛隊』、テレビドラマ『服部半蔵 影の軍団』などの時代劇でも丁髷のカツラを被らず、人の良い男をコミカルに演じ、そのヘアスタイルは佐藤の売りにもなっていた。料理が得意でその腕前をバラエティー番組『ふるさとZIP探偵団』で披露しているほか、東京都中央区銀座でスナック「蛾次ママ」を営業。常連客には千葉真一・桜木健一・小沢真珠・矢部美穂・渡嘉敷勝男・城咲仁・猫ひろしがおり、かつて経営していたカレーハウスで出されていた二日酔いしない薬膳カレーを、「蛾次ママ」では「寅さんカレー」として限定裏メニューになっている。薬膳酒の知識も豊富で自分で作った薬膳酒を山田洋次に飲酒させたため酔いつぶれた山田が寝込んでしまい『男はつらいよ』の撮影が一時ストップしてしまったというエピソードがある。1970年の映画「反逆のメロディー」の劇中ではギターを弾きながら2曲の歌を披露している。『男はつらいよ』の共演者・前田吟(佐藤と同い年)からは「蛾次やん」の愛称で親しまれている。持ち前の面倒見の良さから、松田優作ら当時の若手俳優からは「蛾次兄」 と慕われ続けている。『時効警察』で共演したオダギリジョー、麻生久美子ら若手俳優達からは役者としての姿勢を絶賛されている。普段はコミカルな雰囲気を漂わせている『男はつらいよ』の源公と異なり、長い髪を束ねどことなくダンディーさを漂わせている。長髪にしている理由は『男はつらいよ』の源公を演じた時に既にスケジュールが多忙になっており、散髪に行くにも行けなかったので気が付いたら長髪が似合っていたからである(本人談)。実息の佐藤亮太は、特撮ヒーロー作品『魔弾戦記リュウケンドー』で蛾次郎が演じた源公をモデルとしたキャラクター「ガジロー」を演じている。『トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ!』の同時上映作『爆走!トミカヒーローグランプリ』では息子との親子共演を果たしている。尊敬する人物は嵐寛寿郎。『男はつらいよ』シリーズの渥美清を、作中の寅次郎と源公の間柄と同じ様に兄貴分として慕っていた。結婚式を挙げる費用がなかった事が渥美の耳に入り、その計らいで撮影所にあった紋付き袴・花嫁衣装を着せてささやかながら撮影所で結婚式を挙げている。佐藤の誕生日である8月9日は奇しくも渥美が亡くなったことを全国に報道された日であり、自分が当時52歳を迎えた当日に渥美が逝去した事が報道されて驚いたという。『男はつらいよ 寅次郎紅の花』では、渥美が着た服を衣装さんから貰い着ている。『男はつらいよ』シリーズでのロケの際には自らカレーを作って振る舞っており、渥美も好んで食べていたがいつも半分しか食べなかったという。しかし最終作では全てを食べ終えて「おいかったよ。いつもありがとう。ご苦労さん」それが佐藤の聞いた渥美の生前最後の言葉となったという。佐藤が演じる寺男の源公はほとんどがチョイ役であるが、映画の前身となったテレビドラマ版では寅次郎の父親違いの弟である雄二郎を演じ、最終回では寅次郎の最期をさくら達に語る重要な役を果たしている。最初はスクープの獲れない記者だった(実際には獲れなかったのではなく、スクープを物にする方法が分からず抜かれてばかりだった)梨元勝に対し「なんにもナシモト」とのあだ名を付けている。
出典:wikipedia
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