アッシュール(アッカド語: - 、アッシリア語: - )は、アッシリアの最初の首都となったチグリス川西岸の都市、およびそれを中心とする地域、あるいはその主神。現在のイラクの(サラーフッディーン県)に位置する。アッシュールがメソポタミア諸都市の中でも特異な点は、「都市アッシュール」と、それを中心とした地域である「アッシュールの地」と、それらを守護する「アッシュール神」が全く同一の名前である点であり、粘土板文書では発音されない限定符によってこの三者が区別される。()・(アッシュール)と表記される。(アッシュール)・(キ)と表記される。アッシュール市そのものが神格化された神で、都市と同じ名前を持つアッシリアの最高神、その名前の意味や語源は不明。配偶神はムリッス女神(バビロニアにおける、エンリル神の配偶神ニンニル)。サルゴン二世(BC721~705)の治世、アッシュール神が世界創造時からの神であるとするために、エヌマ・エリシュにおいてアヌ (メソポタミア神話)の父とされるアンシャルと習合された。アンシャルが選ばれた理由は名前の類似による。次代のセンナケリブ(BC704~681)により行われたアッシュル至上主義的宗教改革により、マルドゥクのものであった、エヌマ・エリシュおよび、新年祭などでの主神の座を奪い、名実共に最高神の地位に就く。その治世の間のほぼ20年間、バビロンより奪われたマルドゥク神像はアッシュール市に留め置かれ、バビロニアでは新年際が開催されることはなかった。(ディンギル、)・(アッシュール)と表記される。紀元前14世紀後半からアッシュールナシルパル2世の世まで新アッシリア国王の都市として栄え、アッシュールナシルパル2世によって紀元前883年にカルフ(ニムルド)へ首都が移された後は、イシュタルとアッシュールの神殿とともに、アッシリアの宗教的な中心としてその重要性を維持し続けた。アッシュールはシン・シャル・イシュクンの治世の紀元前614年に新バビロニアのナボポラッサルとメディア王国のキュアクサレス2世の連合軍によって征服された()。今日、考古学的な調査は、ドイツの調査団によってなされている。2003年7月2日、アッシュール遺跡はイラクの2件目の世界遺産に登録された。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。