常総市(じょうそうし)は、茨城県南西部にある市である。県の下位区分では、県西地区に属する。市の中心である水海道地区は、江戸中期頃までは中宿(現・水海道元町)から新町(現・水海道本町)までの通りが村の唯一の大通りである寒村であったが、江戸時代末期以降、「鬼怒川の水は尽きるとも、その富は尽くることなし」と称されるよう、鬼怒川の河川水運によって周辺地域の中核都市として発展した。昭和後期からは隣接する県南地域の発展とは裏腹に衰退するが、市中心部にある五木宗のレンガ蔵や鍵屋河岸倉庫などの建築物に周辺地域の中核都市であった名残を見ることができる。東京都心から鉄道や高速道路などを利用して1時間弱とアクセスしやすく、緑や歴史的建築物などが多いため、映画やドラマを中心としたロケ地として利用されることが多い。日系人の子孫がブラジルなど中南米から就労しており、水海道駅周辺には日系ブラジル人向けのスーパーなど、日系人が経営する店舗、私立のブラジル人学校などがあり、ポルトガル語の案内・表記が多い。常総市は茨城県南西部に位置し、東京都心から約50km、茨城県の県庁所在地である水戸市からは約70kmの圏内にある。海抜平均10mから20mの平坦な土地が広がる。東に小貝川、市中央に鬼怒川が流れる。この鬼怒川を境に東部地域には市役所と水海道駅、石下駅を中心とする市街地や水田、西部地域には水田、畑、森林、工業団地などが広がっている。また、市の西部、坂東市との境界地域には首都圏近郊緑地保全区域および茨城県自然環境保全地域に指定された菅生沼があり、市の北東部は筑波研究学園都市に隣接している。常総市の地名は、旧市町村によって以下のように区分される。平成の大合併において、水海道市は当初、筑波郡伊奈町および谷和原村と合併を目指し、その新市名を一般公募に基づいて「常総市」に決めたが、水海道市議会で新市の市役所位置について意見がわかれ、多数の議員が「伊奈、谷和原に振り回され水海道を馬鹿にしている議会も執行部もしっかりしろといいたい」、「合併しても伊奈、谷和原の議員のほうが多いので、水海道の立場が悪くなる」と発言し、合併協議を一方的に破談にしたため、その後、下妻市等との合併協議が破談となった北隣の石下町との合併協議会を設置した。そして石下町を水海道市に編入する形式ながら、市名を「常総市」に改称するという、珍しいケースとなった。既存の市が周辺町村を編入して、市名を改称する事例は、平成の大合併では他に新潟県新井市 → 妙高市がある。但し「編入合併と同時に自治体名を変更」という手法は茨城県内でも過去に常陸太田市(太田町が機初村・西小沢村・幸久村・佐竹村・誉田村・佐都村を編入。同時に「太田」→「常陸太田」と名称変更)、鹿嶋市(鹿島町が大野村を編入。同時に「鹿島」→「鹿嶋」と名称変更)及び常陸大宮市(大宮町が山方町・美和村・緒川村・御前山村を編入。同時に「大宮」→「常陸大宮」と名称変更)の例があるので、決して前代未聞というわけではない。水海道市長と常総市長の出典:平成26年度版統計書の歴代市長(常総市ホームページ)※西中学校がふたつのため旧町名をつけ、正式名称とした。市の南西部の「常総ニュータウンきぬの里」地区では、守谷駅を結ぶ路線バスと東京駅を結ぶ高速バスが発着する。最も主要な交通手段は自家用車で、国道294号と国道354号が主要な交通手段となる。また、市の中央部を流れる鬼怒川を横断して国道354号のバイパスを接続する水海道有料道路がある。水海道駅から守谷駅までは快速で8分。関東鉄道常総線取手駅にてJR常磐線へ乗り換え、水戸駅へ。取手駅〜水戸駅の所要時間は普通列車で1時間半前後である。水海道駅から取手駅までは快速で30分。関東鉄道常総線を利用し、守谷駅でつくばエクスプレス線に乗り換えることで1時間前後で東京都心へ移動可能。また、東京駅八重洲口への高速バス(常総ルート)が水海道駅より発着している。かつて水海道町には電燈会社があった。1912年(明治45年)5月に水海道電気を設立し、11月事業開始。供給区域は筑波郡谷田部町、福岡村、十和村。結城郡水海道町、大生村、水海道町に発電所(瓦斯力、出力75kw)を設置。1918年(大正7年)5月帝国電灯に合併される。ロケの街として多くの映画やドラマなどが撮影されている。その理由としては、常磐道を使えば都心から1時間前後で到着出来るうえ、自然や歴史的建造物、市街地などが多数あり、様々な撮影のニーズに応えられるためなどが挙げられる。また、多数のエキストラが必要とされる場合があり、エキストラ収集のためのプロダクションがある。
出典:wikipedia
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