モリユウプリンスは日本の競走馬。トウケイニセイのライバルとして知られるほか、グレートホープ、スイフトセイダイら岩手県競馬組合の黄金期を支えた馬たちと激闘を繰り広げた。馬齢は当時の表記に合わせて旧年齢で表記する。1991年6月24日にデビュー後3戦し、いずれも4着と敗れ、初勝利は4戦目だったが、これが2.6秒差であったため注目を集めた。続くレースもミヤシロテュードオを破り重賞南部駒賞に出走したが、ミヤシロテュードオの3着に敗れた。条件戦を勝って、東北サラブレッド3歳チャンピオンに出走したが、ミヤシロテュードオに大差(1.9秒)をつけられた2着に敗れた。5月に始動したが3着に敗れ、続くやまびこ賞でもミヤシロテュードオに敗れ4着だった。しかし、次のダイヤモンドカップでミヤシロテュードオを破ると、不来方賞で重賞初勝利を挙げ、次のレースや東北優駿でも勝ち、岩手4歳勢の頂点に立った。しかし、ダービーグランプリではトミシノポルンガの4着に敗れ、桐花賞ではスイフトセイダイには先着したもののグレートホープにはアタマ差及ばず2着となった。1月のオープン戦を勝利、4月の桂樹杯では4キロ差ながらスイフトセイダイの2着に敗れるが、赤松杯では4キロ差ではあったが、スイフトセイダイ、グレートホープ相手に勝利を収め、シアンモア記念では3キロ差ながら再び両馬を破り勝利した。スイフトセイダイ、グレートホープは8歳馬であった。しかし、みちのく大賞典では同斤量のスイフトセイダイ、グレートホープには先着したものの、当時23戦22勝2着1回のほぼ完璧な成績を記録し、重賞初挑戦となった2歳年上の上り馬、トウケイニセイにレコードで走られ2着に敗れると、そして新潟競馬場で行われた東北サラブレッド大賞典、そして、北上川大賞典、南部杯、桐花賞といずれもトウケイニセイに連敗した。6歳になると、アフェクショネット、ユウユウサンボーイにも敗れるなど不振となった。続く赤松杯、シアンモア記念とトウケイニセイとのマッチレースになるが、いずれも僅差及ばず2着だった。みちのく大賞典で遂にトウケイニセイ、トウホクグラスとの叩き合いを制し、トウケイニセイに初めて先着した。しかし、続く重賞2戦はいずれもトウケイニセイに敗れ、3着、2着だった。シアンモア記念から始動するが、またもトウケイニセイに敗れると、中央競馬に矛先を向け吾妻小富士オープンに出走するも、15着に大敗した。しかし、みちのく大賞典で再びトウケイニセイを破り2連覇を達成した。その後トウケイニセイが出走しなかった北上川大賞典や青藍賞では勝利するが、トウケイニセイが出たレースではことごとく先着を許した。トウケイニセイは引退したが、モリユウ自身も衰えは隠せず、人気ながら敗戦が続いた。しかし、秋になると調子を上げ北上川大賞典を連覇した。2月26日、動脈瘤破裂を起こし急死した。1992年東北優駿、1992年不来方賞、1993年シアンモア記念、1994年みちのく大賞典、1993年青藍賞、1995年みちのく大賞典、1995年青藍賞、1995年北上川大賞典、1996年北上川大賞典トウケイニセイとの直接対決15回のうち、トウケイが13回先着したが、岩手の天皇賞といわれるレースであるみちのく大賞典で2年連続トウケイニセイを破っている。トウケイニセイが生涯で先着を許している馬は4頭いるが、2回先着した馬はモリユウプリンスだけである。
出典:wikipedia
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