M551 シェリダンは、アメリカ合衆国で開発され、アメリカ陸軍で使用された水陸両用の空挺戦車である。愛称のシェリダン(Sheridan)は、南北戦争の英雄の一人であるフィリップ・H・シェリダン将軍にちなんで命名された。M551は、1950年代に使用されだしたM41軽戦車と空挺部隊用のM56スコーピオン空挺対戦車自走砲を統合し代替する、AR/AAV(Armored Reconnaissance/Airborne Assault Vehicle:装甲偵察/空挺突撃車両)計画により開発が開始された。特にM56の防御力はオープントップの自走砲ゆえ皆無に等しく、これを早期に交代させる必要があった。そこでまとめられた新型空挺戦車の基本構想は、水陸両用で空中投下に耐え、さらに既存の軽戦車をしのぐ機動力と火力を持ち、車重は10t以内に収めるという厳しいものであった。また、火力の強化に関しては、当時開発が進められていたM81 152mmガンランチャーの搭載が要求された。計画に応募した12社のうちキャデラック社の提出した設計案が採用され、1960年6月にはXM551として開発契約が結ばれた。1961年12月には最終モックアップが完成、1962年に試作車が完成し各種試験を重ねた後、1965年11月にM551として正式採用された。1966年6月から生産が開始され、1970年11月までに1,662輌が生産された。M551は長期に渡って装備されていたため、現役期間中には非正式の現地改造品であった車長用機関銃防盾を正式に装備、主砲同軸機銃や発煙弾発射機、暗視装置を新型のものに交換するなどの各種の改修が行われている。代表的な改修型としてはレーザー距離計を搭載し、火器管制装置などを改良したM551A1がある。また、ベトナム戦争に投入された車両には、故障車の主砲をM41軽戦車の主砲に換装した現地改造型も存在した。アメリカ陸軍ではM551の発展型として共通の車台を用いた各種の派生型が構想され、それらを装備した「空挺突撃車両戦闘部隊」の編成が検討されていたが、M551の運用結果が芳しくなかったこともあり、いずれも試作もしくは計画のみに留まり、部隊の編成も構想のみに終わっている。M551の特徴は、空挺戦車として要求された重量や浮航性を得るために車体がアルミ合金で構成されていることである。これは、アメリカ陸軍の制式戦車としては初めてのアルミ合金採用車となった。同様に、エンジンにもアルミ合金が、トランスミッションにはマグネシウムが用いられるなど、各部に軽量化が図られている。車体はアルミ合金製であるが、砲塔は圧延防弾鋼板を溶接したものとなっていた。車体側面部は中空構造とされ、内部にはウレタンフォームを充填して浮航性を確保している。車体前面上部には起倒式の波切板を、車体上部外周部には防水スクリーンが装備されており、水上航行時にはこれを展開して浮上航行する。主武装としてM81 152mmガンランチャーを装備している。これは、M41軽戦車が装備していたM32 60口径76.2mm戦車砲に比べて軽量であり、MGM-51A シレイラ対戦車ミサイルと通常弾の両方が発射可能である。通常弾は多目的弾のHEAT-MPを使用し、通常弾とミサイルを合わせて30発を搭載可能。M81用の燃焼式薬莢は燃え滓が薬室内に付着するという問題が発生したため、発砲後に高圧空気を吹き込むことで砲身内を清掃する機構(CBSS(Closed Breech Scavenging System:砲尾閉鎖残渣除去システム)が増備された。なお、CBSSの装備に従って主砲排煙器は廃止されている。副武装として主砲同軸に7.62mm機関銃M73/M219(M73A1)を装備し、予備弾薬3,000発を搭載している。同軸機銃は後にM240機関銃に換装されている。 砲塔上面の車長用展望塔には12.7mm重機関銃M2を装備し、予備弾薬1,000発を搭載する。なお、機関銃用の予備弾薬箱の一部は砲塔の外周に装着して装備される。砲塔前面下半部には左右それぞれ4基の発煙弾発射機を備え、夜間戦闘用にAN/VSS-3赤外線/白色光サーチライトが装備されているが、パッシブ式の暗視装置は1980年代の後期に改修が行われるまでは車長用に12.7mm重機関銃M2のマウントに装着するスターライトスコープがあるのみであった。エンジンは、デトロイトディーゼル社製の6V-53T V型6気筒液冷ターボチャージド・ディーゼルエンジン(300hp)で、戦車としては軽量なこともあり、機動性は良好であった。試験での路上最大速度は69.2km/hを記録している。水上航行用装備は5分以内での展開が可能で、排水用のビルジポンプを装備していることもあり、波のない湖沼や河川であれば本格的な水上航行が可能となっていた。M551は「空挺戦車」の名の通り輸送機からの空中投下が可能で、パレットに載せて固縛した状態で空中へ放出し、3個のパラシュートを開いて降下させる。また、(Low-Altitude Parachute Extraction System, LAPES, レイプス)と呼ばれる方法によっても降下させることができ、この場合は超低空を飛行する輸送機からパレットに載せた状態でパラシュートを開傘して機外に引き出し、そのままパラシュートによって減速して着地させる。なお、乗員は車両とは別個に空挺降下し、着地後に合流し搭乗する。同時期のソビエト連邦の空挺戦車(実際は対戦車自走砲)であるASU-85は空中投下は不可能であったため、M551の現役期間中は厳密な意味での空挺戦車はM551が唯一であった。この他、燃料と弾薬、および搭乗員を積載しない空虚重量状態であればCH-54 タルヘ重量物輸送ヘリコプターによる吊り下げ輸送も可能であった。M551は制式採用後、ベトナム戦争に投入された。アメリカ軍上層部は、北ベトナム軍は戦車を積極的には運用していない、と見ていたために対戦車戦闘は大して考慮されず、最大の武器であるシレイラミサイルは万が一車両が鹵獲(ろかく)されたり発射後に不発となったりした際に北ベトナムを通じてソビエトに渡る危険性があるとして機密保持の面から持ち込まれなかった。結果としてはM551を装備する部隊が本格的な対戦車戦闘を行う状況は訪れず、シレイラミサイルを必要とする局面はなかったとされる。また、ベトナムにおいて空中投下運用が行われた例はなく、水上航行能力が使用されたこともなかった。ベトナムに派遣されている間、高温多湿な熱帯雨林の気候風土のため152mm砲の砲弾が湿気を吸って不発になるトラブルが続出した他、ミサイルの誘導装置に高温多湿の環境が原因と見られる故障が多発した。この誘導装置は運用マニュアルによって綿密なチェックと調整が指示されていたため、当初はミサイルを搭載していないにもかかわらず毎日のように繊細な整備作業が必須となり、乗員の不評をかった。そのため、生産段階からミサイルの運用能力を省いた型が"ベトナム仕様"として生産された。これに加え、地雷による被害が多発したことから、車体底面に装着する増加装甲キットが装着された。M551の「空挺戦車」として軽量であることが求められたために、軽い車重は障害物を排除しながら強引に走行するのには不利であり、履帯の幅が狭いために接地圧が高く、車重が軽い割には湿地などでの機動性が悪く、総じて地盤の軟弱なベトナムでの運用には不向きであった。空挺投下を前提にした設計ゆえに装甲は厚いものではなく、軽合金を多用した構造は対戦車兵器や地雷などに対し脆弱であり、被弾時に搭載砲弾の誘爆で爆散した事例から、ますます乗員の信頼を失うこととなり、乗員の間で「M551に乗って戦死すると死亡が確認されたのに「行方不明」の扱いになる」というブラックジョークが流行した。ベトナム戦争が終結すると、ほとんどの車両が予備役に回されるかM60A1もしくはM60A3に代換されたが、緊急展開部隊である第82空挺師団にだけは配備が続けられた。一部の車両は、XM274 ARES 75mm高初速自動砲を始めとした各種兵装のテストベッドに用いられている。1989年のパナマ侵攻の際には、一個中隊10輌が実戦において初めてパラシュート投下されて運用されているが、着地時に損傷・故障する車両が続出し、降下後に実働したのは半数であった。1991年の湾岸戦争における砂漠の盾作戦の際には緊急展開部隊としてサウジアラビアに急派され、貴重な機甲戦力としてイラク軍のサウジ侵攻に備えている。湾岸戦争後には第82空挺師団からも引き揚げられて全車が予備役となり、後継として開発されていたM8 AGS(Armored Gun System)も量産/配備が中止されたため、アメリカ軍における、そして、世界でも厳密な意味での「空挺戦車」としては実戦で使用されたものはM551が現在のところは最後の存在である。また、アメリカ軍が制式化した「軽戦車」としても、M551が現在のところ最後の存在である。M551は現役の戦闘車両としては引退したものの、予備役となった車両を東側諸国軍用車両を模した外観に改造したものがカリフォルニア州フォート・アーウィンの「ナショナル・トレーニング・センター(NTC)」で戦闘訓練の仮想敵車両として運用されている。
出典:wikipedia
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