ダン・ヘンダーソン(Dan Henderson、1970年8月24日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。カリフォルニア州ダウニー出身。チーム・クエスト所属。元Strikeforce世界ライトヘビー級王者。元PRIDEミドル級王者。元PRIDEウェルター級王者。レスリング大国アメリカの代表として長く活躍したことから、PRIDEでのキャッチコピーは「THE アメリカン・アスリート」。グレコローマン・レスリングをバックボーンに持ち、組みの強さを活かしたダーティーボクシングと「Hボム」と呼ばれる右のロングフックを得意とする。Hボムはガードが下がるリスクがあるが、当たれば一撃で相手を失神に追い込む絶大な破壊力を持つ。カリフォルニア州で生まれ、5歳のときからレスリングを始める。ビクターバレー高校に進学した後、カリフォルニア州レスリング選手権で2度メダルを獲得した。その後、カリフォルニア州立大学フラトン校やアリゾナ州立大学でレスリングを学び、1993年には全米大学体育協会 (NCAA) 主催の大学レスリング選手権に出場した。またグレコローマン・レスリング選手として2度のオリンピック出場を果たし、1992年のバルセロナオリンピックでは82kg級10位、1996年のアトランタオリンピックでは同級12位という成績を残す。しかし、実生活では電気代が払えないほど貧窮し、賞金稼ぎのために総合格闘技との二束の草鞋を履く(その後、総合格闘技に専念)。2000年に開催されたシドニーオリンピックには85kg級での出場を目指していたが、適わなかった。ロシアには旧ソ連時代から、大会参加や練習のために渡っていた。本人によれば17-18回ほど行ったことがあり、17歳のときに初めて渡ったという。自身初の総合格闘技のタイトルは、1997年にブラジルで開催された「ブラジル・オープン・ファイト」というライト級での4人制トーナメントでの優勝だった。1997年10月11日、アメリカ合衆国で開催されたグラップリング大会The Contendersでフランク・シャムロックと対戦。開始56秒、アンクルホールドで一本負け。1998年5月15日、UFC 17で行われたUFCミドル級(現ライトヘビー級)トーナメントにおいて、アラン・ゴエス、カーロス・ニュートンに判定勝ちを収め優勝を果たした。1999年10月28日、リングスKOKトーナメントに参戦。予選Aブロックで、ゴキテゼ・バクーリ、金原弘光に勝利。翌2000年2月26日、リングスKOKトーナメント決勝ラウンドで、ギルバート・アイブル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、レナート・ババルとすべて判定勝ちし、優勝を果たした。2000年12月23日、PRIDE初参戦となったPRIDE.12でヴァンダレイ・シウバと対戦し、シウバをKO寸前まで追い詰めるも、0-6の判定負け。2003年11月9日、PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦のミドル級(-93kg)グランプリリザーブマッチでムリーロ・ブスタマンチと対戦し、パウンドでTKO勝ち。2005年4月23日、PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦のミドル級グランプリ1回戦でアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。2005年9月25日、PRIDE 武士道 -其の九-のウェルター級(-83kg級)トーナメント1回戦で長南亮と対戦し、KO勝ち。準決勝で郷野聡寛と対戦し、KO勝ち。2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005のウェルター級トーナメント決勝戦でムリーロ・ブスタマンチと再戦し、2-1の判定勝ちを収め優勝を果たした。2006年3月31日、初代PRIDEウェルター級王座に認定された。2006年8月26日、PRIDE 武士道 -其の十二-のシード参戦で挑んだウェルター級グランプリ2回戦で三崎和雄と対戦し、0-3の判定負け。2007年2月24日、PRIDE.33のミドル級タイトルマッチでヴァンダレイ・シウバと再戦し、パウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功し、PRIDE史上初の2階級制覇となった。2007年5月26日のUFC 71に来場。ライトヘビー級王者クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンの持つ王座への挑戦を表明し、ジャクソンもこれを快諾。2007年9月8日、UFC 75でのライトヘビー級王座戦では0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗。この試合でUFC・PRIDEのライトヘビー級王座が統一され、PRIDEミドル級王座は消滅した。従来のライトヘビー級からミドル級へ階級を下げ、2008年3月1日のUFC 82でUFC世界ミドル級王者のアンデウソン・シウバに挑戦し、チョークスリーパーで一本負けを喫し王座獲得に失敗。この試合でUFC・PRIDEのミドル級王座が統一され、PRIDEウェルター級王座は消滅した。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2008年9月6日、UFC 88でホジマール・パリャーレスに判定勝ち。UFC 17以来、10年3か月ぶりのUFCでの勝利であった。2009年、リアリティ番組「The Ultimate Fighter」にてチームUSのコーチを務め、7月11日のUFC 100ではチームUKのコーチであったマイケル・ビスピンと対戦。右フックでダウンを奪った直後の飛び込みながらのパウンドでKO勝ちを収め、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。その後、UFCとの契約交渉がまとまらず、2009年12月に競合団体Strikeforceと契約した。2010年4月17日、Strikeforce初参戦となったでジェイク・シールズの持つ世界ミドル級王座に挑戦。1Rにはパンチでダウンを奪ったが2R以降は優位なポジションを取られ続け、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。2010年12月4日、でレナート・ババルと再戦し、パウンドでKO勝ちを収めた。2011年3月5日、の世界ライトヘビー級タイトルマッチでハファエル・カバウカンチと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。2011年7月30日、でエメリヤーエンコ・ヒョードルとヘビー級契約で対戦し、パウンドでTKO勝ち。ヘビー級契約ながら前日計量では94kgほどでヒョードルとは約7kg差あった。2011年11月19日、2年4か月ぶりのUFC参戦となったUFC 139でマウリシオ・ショーグンと対戦。5Rに渡る大激戦を制し3-0の判定勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2012年9月1日に行われる予定であったUFC 151でジョン・ジョーンズとライトヘビー級タイトルマッチを行う予定であったが、ヘンダーソンの膝の負傷により欠場。結果的にUFC 151は大会自体が中止された。2013年2月23日、UFC 157でライトヘビー級ランキング2位のリョート・マチダと対戦。この試合で勝てばジョン・ジョーンズとのタイトルマッチが約束されていたが、1-2の判定負け。2013年6月15日、UFC 161でライトヘビー級ランキング6位のラシャド・エヴァンスと対戦。3試合連続となる元王者との対戦となり、1-2の判定負け。2013年11月9日、でヴィトー・ベウフォートと対戦し、左ハイキックでキャリア初のKO負けを喫した。2014年3月23日、でライトヘビー級ランキング7位のマウリシオ・ショーグンと再戦し、パウンドでTKO勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトとパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2014年5月24日、UFC 173でライトヘビー級ランキング4位のダニエル・コーミエと対戦し、3Rリアネイキドチョークで一本負け。2015年1月24日、ミドル級復帰初戦となったUFC on FOX 14でミドル級ランキング8位のゲガール・ムサシと対戦し、TKO負け。2015年6月6日、でミドル級ランキング13位のティム・ボッシュと対戦し、KO勝ち。2015年11月7日、でミドル級ランキング4位のビクトー・ベウフォートと再戦し、パウンドでKO負け。2016年6月4日、UFC 199でミドル級ランキング14位のヘクター・ロンバードと対戦し、右肘打ちでKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
出典:wikipedia
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