ルスツリゾートは、北海道虻田郡留寿都村(ゴルフ場コースの一部は喜茂別町)にあるリゾート。1年を通して滞在・利用することができるリゾート地になっており、遊園地、スキー場、ゴルフ場、テニスコート、宿泊施設などのアミューズメント施設が充実している。北海道内屈指のアトラクション数(60種類以上)を誇り、ゴルフ場の4コース72ホール、スキー場のコース数37、総滑走距離42km・毎時輸送能力30,728名は北海道内一であり、スキー場のゴンドラ数4基は日本国内一である。2008年(平成20年)7月7日〜9日に開催された『第34回主要国首脳会議』(北海道洞爺湖サミット)では国際メディアセンター(IMC)として使用され、MICEに対して積極的な姿勢を示している。また、イギリスの国際的スキー専門誌『グレート・スキーイング&スノーボーディング・ガイド』の「2008年世界のベストリゾート20ヶ所」に日本国内から初めて選出されて「ベスト・スモール・リゾート賞」を受賞、トリップアドバイザーが発表した「日本のテーマパークランキング 2015」トップ10にランクインし、日本経済新聞社が選ぶ「雪の新体験が満喫できるリゾート」ランキングでは全国1位に選出された。2012年(平成24年)にリゾートホテルとしては日本国内初となる「ローカルハラル」を取得し、本格的にハラル(ハラール)を取り入れており、2015年(平成27年)から海外版オンラインサイトにPayPalを導入している(ファストブッキング経由)。ルスツリゾートの前身は、1972年に埼玉県に本社を置く大和観光が橇負山(そりおいやま)の土地を購入して開発した「大和ルスツスキー場」である。現在のウェスト(West Mt.)にスキー場とボウリング場付宿泊施設をオープンしたことに始まり、好調な集客によりスキー場を拡大していった。ところが、1978年に不動産投資の失敗によって大和観光が倒産。スキー場の運営は現地子会社が続けていたが不安定な経営を余儀なくされ、村は新たにスキー場を経営する企業を探した。1981年、加森観光が買い取り、名称を「ルスツ高原スキー場」と変更して営業を開始。1982年から加森観光は積極的な投資を行って遊園地・ゴルフ場・宿泊施設などを順次建設し、通年型リゾートへの転換をした。一方、スキー場の拡張も行い、1987年に国道230号を挟んだ貫気別山(点名は風防留山)山麓にゲレンデを造成してイースト(East Mt.)を、翌1988年にイーストの隣にイゾラ(Mt. Isola)をオープンし、コースの増設、ゴンドラやリフトを新設した。1989年度には加森観光が単一の索道経営(リフト運営)企業として北海道内一の輸送人員となった。これら一連のリゾート開発が成功した背景にはバブル景気やレジャーブームの影響などがあり、大規模な開発計画が立案しやすい状況が揃っていた。バブル崩壊後は拡張計画を縮小しながらも、レジャー施設の充実やコース・リフト増設などを行い、着実にリゾート全体の開発を推進。1990年代後半、経営が悪化するリゾート事業者が続出する中、加森観光による段階的な投資がリゾートの魅力向上に繋がり、北海道外からの観光客やリピーターを獲得し、リゾート開発の数少ない成功事例の1つとなっている。全日本スキー連盟(SAJ)公認スキースクール・日本スノーボード協会(JSBA)公認スノーボードスクールがある。夏場はウェストマウンテン山頂を「羊蹄パノラマテラス」として開放しており、パワースポットになっている。ウェスト Mt.イースト Mt.Mt.イゾラノースウィングホテルサウスウィングホテルハイランドロッジウェスティン ルスツリゾートゲレンデレストランノースウィングホテルサウスウィングホテルルスツアリーナウェスティン ルスツリゾート全270室あり、Wi-Fi対応している。ルスツスキー場開業当時からの旧館。23階建て全室スイートタイプの客室。イースト山麓まではフード付高速リフトで直結している。ノース&サウスウィングホテルハイランドロッジ・別館トラベルロッジログハウス・コテージウェスティン ルスツリゾートノース&サウスウィングホテル夏冬インドアルスツリゾートでは、1年を通して各種イベントやコラボレーション企画を実施している。札幌・新千歳空港からルスツリゾートまでの直行バスを運行している。道南バス「ルスツリゾート」バス停下車。
出典:wikipedia
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