憲法改正論議(けんぽうかいせいろんぎ)とは、国政の基本原理である憲法の改正をめぐる議論のこと。「改憲論」、「改憲論議」、「憲法論議」ともいう。本記事では主に日本国憲法の憲法改正を巡る議論について記述する。日本国憲法は、形式上、大日本帝国憲法の改正手続を経て制定された。制定経緯、制定法理などの詳細は日本国憲法を参照のこと。硬性憲法とされる日本国憲法は、1947年に施行されて以来一度も改正されたことはないが、2016年の第24回参議院議員通常選挙で、改憲勢力とされる自由民主党・公明党・おおさか維新の会・日本のこころを大切にする党が初めて衆参両院で2/3に達することとなった。日本国憲法の改正は憲法上に第96条で規定されている。衆議院・参議院それぞれの所属議員の三分の二以上の賛同によって発議され、国会から国民に提案され、国民投票での過半数の承認によって成立し、天皇が国民の名において憲法と一体をなすものとして公布される。現在の憲法は戦後の占領体制下で公布されたものであるため、国際法においては日本がGHQによる占領統治を終え主権を回復した1952年4月28日を以て無効棄却と同時に新憲法制定が可能であるという憲法無効論も存在するものの、政府も国民も現在に至るまで「有効な最高法規」として適用し続けており、いわゆる改憲派は、現憲法上の規定に基づいての改正あるいは新憲法制定を唱える者が大多数となっている。なお、憲法改正における日本国民の有権者は、国内の選挙や地方自治体の住民投票とは別途に国民投票法により定められる。日本国憲法施行以来、自衛隊の合憲化や天皇元首化を提言する側からの憲法草案がいくつも発表されてきた。いくつか例を挙げると、中曽根康弘(1961年)、維新政党・新風(2003年)、愛知和男(2004年)、読売新聞(2004年)、PHP総合研究所(2004年)、自由民主党(2005年)、創憲会議(2005年)、大石義雄、中川八洋などのものがある。ポツダム宣言受諾後、日本国憲法制定までに大日本帝国憲法の改正案として提案された改憲案には、日本共産党、社会党、進歩党、自由党、憲法研究会、佐々木惣一、里見岸雄のものがあった。日本国憲法の制憲過程はGHQの意向が強く反映されたものであり、また原案策定中の1946年2月13日のホイットニーGHQ民政局長との面談席上でGHQ草案の採用が「天皇ノ保持」のため必要でありさもなければ「天皇ノ身体」の保障は出来ないなる主旨の「脅迫」めいた主旨の発言があったことは2月19日時点で幣原内閣の閣僚、3月には昭和天皇や枢密顧問官に報告されている。この経緯は1954年7月7日に憲法改正担当大臣であり直接の当事者であった松本烝治により自由党憲法調査会において広く紹介され、「これでは脅迫に他ならないではないか」という見方を広く導き出すことになった。この主旨での「押し付け憲法論」が広く国民の間に広がったのはこの松本演説によるところが大きい。ここから「日本国憲法は、太平洋戦争敗北後、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって作られ、押しつけられた憲法である。日本政府はGHQの憲法改正案を拒否すると天皇の地位が危うくなる(=国体護持の)ため、GHQの憲法改正案をやむをえず受け入れたものである」とする押し付け憲法論や「日本国民自らが定める憲法」にするために憲法を改正して自主憲法を制定すべき、とする自主憲法論が保守派の人々によって強く主張された。GHQによる憲法改正草案要綱をマッカーサーが承認した際、この問題にいち早く着目したのは米国のマスコミであり、1946年3月8日付けクリスチャン・サイエンス・モニターは「これは日本の憲法ではない。…日本に対するアメリカの憲法である」、3月7日付けデンバー・ポストは「表面に現れた形式に関するかぎり、マッカーサー元帥は日本の民主主義を作りつつある。」とし、3月8日付けポートランド・オレゴンのように憲法はアメリカ軍の占領期間中しか寿命を持たないだろうと予言したものもあった。極東委員会のメンバーたちも総じて、提案され、検討されている草案は基本的に連合国最高司令官とその司令部の作品であって、日本人の作品ではないと信じていた。押しつけ憲法を改正して自主憲法を制定し、日本を「真の独立国」とするために、三木武吉は保守合同によって改憲派で総議員の3分の2以上の確保を目指し、自主憲法の制定を実現させようとした。そして三木武吉、鳩山一郎らの努力によって1955年11月15日、日本自由党と日本民主党が合同し自由民主党(自民党)が結党した。これが保守合同である。自民党初代総裁には鳩山一郎首相(当時)が選ばれた。自由民主党は、初代総裁・鳩山一郎が日本の独立確保という視点から「新憲法制定」と「経済復興」を結党の理念に掲げ公約にして以降、今日に至るまでアピールの強弱があるものの憲法改正を訴え続けている。自民党は長らく政権政党ではあったが、憲法が国家権力の暴走を抑えるためのものでもあるため、具体的な改正内容については国会議員自らの権力や既得権益を減らすことになるような意見の分かれるテーマもあって、55年体制から長い間選挙や政局で改正発議を可能とするための衆参両院の2/3以上の議席を獲得するには至っていなかった。自民党は、党是の第一条に憲法改正して自主憲法制定を目指すことを明確にした。鳩山一郎は憲法改正が必要であるという考えを明確に示し、「この1600億円の大金を使っている、警察予備隊は、あれは一体、巡査(警察)なんですか?兵隊(軍隊)なんですか? それは、軍隊でありますから、私は憲法改正が必要であると思います。」と発言し、憲法改正を実現させる決意を示した。そして鳩山内閣と自民党は保守勢力を増やすために公職選挙法を改正して小選挙区制度を導入しようとしたが(ハトマンダー)、これには野党だけでなく自民党内からも懸念の声が噴出し、小選挙区を導入することはできなかった。また、鳩山内閣は改憲を実現するために内閣憲法調査会設置法を国会で成立させた。なお、当時の自民党有力者は「自主」憲法の制定を主張する一方で、「押し付け」た側であるアメリカ合衆国政府から資金援助(「共産主義の影響を排除する為の、プロパガンダ的秘密支援計画」の一環として)を受けていたことが、米国の外交資料により明かになっている(米国の対日政策の転換については「逆コース」を参照)。その後も自民党は1965年までに憲法調査会(第一次)を設置するなど憲法改正について積極的な動きを見せていたが、国民の間には憲法9条を改正しようとする動きに対しての反発があり、社会党など改憲反対派の強固な反対もあり、自民党は改憲が発議できる3分の2以上の国会における議席を確保するには至らなかった。戦後の世論の動向が憲法改正に積極的でなかった事から、自民党も当面の目標として改憲を掲げなくなった時期があった。世論動向から改憲を掲げる事が政党にとって必ずしも有利にはならないという判断から、政治の場で改憲を語る事への自粛が求められ、大臣など政府の公職に就いている人物が改憲を積極的に主張し難い状況が続き、憲法議論そのものがタブー視される時期が続いた(80年代には自民党内にも党綱領からの削除を求める意見があった)。平成に入って消費税課税も始まり、1990年代以降団塊ジュニアがバブル崩壊のアオリを受けて不況も続いていた中、55年体制は崩壊し自民党は2/3どころか単独過半数すら喪失し、議論は党派を超えて交渉や協議を重ねることが要求された。2005年、自民党が立党50年を機に第一次素案 を発表した(この素案は、“自衛軍”の保持、軍事裁判所(軍法会議)の明記以外にも、環境権など新しい人権の追加という国民に受け入れやすい要素を合わせ持っていた)。この後、与党優勢を背景に国民投票法制定も含めて憲法改正に関する環境整備を進めようとする改憲派と、主に戦力の不保持と交戦権の放棄を規定している日本国憲法第9条を守ろうとする護憲派が対立した。日本共産党や社会民主党は、特に第9条を取り上げて憲法改正を「憲法改悪」と表現して反対した。護憲派では九条の会などが結成された。2007年の日本国憲法の改正手続に関する法律案をめぐる与野党協議の決裂で自民党と民主党の協力関係が崩れたことに加え、改憲を公約に掲げた自民党が参院選で大敗した。2004年〜2005年の世論調査では、改憲賛成に「議論した結果改正することがあってもよい」という容認を含めれば、60-80%台に増えている(読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本世論調査会)。ただし、9条改正の賛成、反対のみを問うアンケートでは、賛成57%、反対36%(日本世論調査会)、賛成・反対ともに39%(NHK) といった数字も出ている。もっとも、「マガジン9条」(現在は「マガジン9」) が2006年1月に実施したアンケート で、「9条を変える」が82%、「9条を変えない」が18%となった。一方、2007年4月の読売による世論調査では、改憲賛成が過半数を占めたものの、大きく数を減らした。なかでも9条に関しては改正賛成が35%にとどまる一方で、改正せず解釈で対応するべきとの意見及び厳密に守るべきとの意見が合計で約6割になった。特に、民主党支持層で改憲反対が増え、9条については改正反対の意見が根強いことを示した。2008年4月に同紙が行なった調査ではわずかながら改憲反対が賛成を上回った(42.5%に対し43.1%)。一方で、各政党が憲法議論をさらに活発化させるべきだと思う人は71%であり、時代にそぐわない部分が増えているとの認識も根強いと読売は分析している。なお、自民党「憲法改正草案大綱(たたき台)」(2004年11月17日)は、ときの防衛庁長官・中谷元の要請に応えて防衛庁勤務の三等陸佐が作成した「憲法草案」を採り入れていたことが判明。「自衛隊に使い勝手のいい(=容易に軍事行動を起こせる)改憲案だ」との批判を受けて撤回した。主要な左派・革新派が過去に社会主義的改憲を主張したこともある。しかし、近年は憲法改正反対派が主流となっていることから、主要な左派・革新派から日本国憲法の改正案などの発表はされていない。政党などの憲法に関する意見表明としては、平和や人権を強化する「護憲的改憲」(日本新党など)、21世紀の日本のかたちを構想して自由濶達に議論する「論憲」(民主党)、創造的議論で国家権力の恣意的解釈を許さない基本法にする「創憲」(民主党)、憲法9条は別として新しい人権を加える「加憲」(公明党)、憲法を活かす「活憲」(辻元清美など)、憲法を修正する「修憲」、米国憲法のように補正を加えていくなどの「追憲」、「廃憲」などの造語競争が起こっている。自民党のなかでも野中広務元官房長官は改憲に反対であった。当初は第9条が大きな争点であった憲法改正論議は、その後の情報化社会の到来や国民のプライバシーに関する意識変革と相まって、多様な論点での議論が求められはじめ、また護憲を党是に掲げている社会党に替わって1996年に民主党が野党第一党となった事などから、政治の場で憲法を議題にする事をことさらに問題視すべきでないといった認識も広まり、2004年には自民党だけでなく、公明党、民主党などの各党憲法調査会が結成され、改憲論議が広く交わされる事となった。なお、民主党は憲法無効論による創憲が党是とされるなど、近年は憲法無効論による意見が増えている。2012年3月、たちあがれ日本応援団長の石原慎太郎東京都知事は「憲法改正は時間の無駄。もし新党の党首に私がなるとしたら憲法無効論を党是とする」と語った。石原を共同代表に迎えた日本維新の会は綱領に“日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し…”と明記した。改憲に積極的に賛成している層は、近隣諸国(想定としては自衛隊が定義する対象国)による侵略からの防衛・抑止のために、また、日本国外に派兵して国際貢献もできるようにするために軍の保持を明記して合憲にすべきと主張している。改憲に積極的に反対している層は、新しい人権に関しては現行憲法の人権規定で対応可能であり、改正は不要だとしている。積極的賛成ではないが容認する中間層は、新しい人権を追加する改憲に賛成である。また北朝鮮や中国の脅威などから自衛隊から軍への昇格にもあまり反対しない状況が生じている。社会保障費の増大や日本の財政問題に対して、2009年8月の衆議院選挙で消費税増税に明確な反対をした民主党が308議席を獲得して、自民党は1955年の結党以来初めて衆院第1党から転落した。当時の大阪府知事であった橋下徹は地方が国の奴隷となっている行政の矛盾を参議院改革に絡めて訴え、また民主主義にはある種の愚行権(幸福追求権)も認められるところ一時は憲法改善が大きく取り上げられた。2010年には自民党・憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)が“憲法改正論点整理の要旨”を発表。天皇の明文元首化や国歌国旗の制定、永住外国人の参政権否定の他に、徴兵制度を定めることについて検討すると明記されていたことが論議を呼んだが、大島理森幹事長は「公式なものではない」と話して徴兵制度の導入を否定した。2011年3月の東日本大震災に際して、民主党のいわゆる素人政治による官僚の活用力不足が見られ、また改憲には国会議員が自らの既得権益を手放す覚悟も求められたため、やがて民主党は財政再建のためには増税が不可欠であると主張を転換した。国民の政治不信が膨らむ中、2012年に大阪維新の会が一院制への移行を含めた憲法改正の方針となる「維新版・船中八策(維新八策)」を提示し、9月には自らの身を切る議員定数削減の覚悟を踏まえて現在の衆議院議員も半減する方針を明記した。2012年4月には自民党も2005年に作成していた改憲草案を修正して、野党として保守色を高めた新憲法改正草案を国会へ提出する方針を示していた。いずれも国家運営の体制改革を意図したものであった。その後、2012年12月に民主党が消費税の増税を断行し、解散総選挙によって民主党は議席を約4分の1に減らし、自民党が与党に復帰した。2013年7月の参議院選挙では、自民党・公明党が連立与党として過半数を大きく超える議席を確保し、その後は他の党とも連携して、具体的な改正内容を精査し現実的な改正手順も模索されている。リチャード・アーミテージとジョセフ・ナイは、憲法第9条と集団的自衛権について、「―何も日本は憲法を改正する必要はないということです。(以下略)」(アーミテージ)、「個人的な見解ですが、“九条改正”という戦いに精力を注ぐよりも “解釈改憲”で行くべきだと思います。(以下略)」(ナイ)と述べているという。もっともアーミテージは、2012年7月22日の読売新聞への寄稿では、「……だが、こう言わなければ正直ではあるまい。日本の憲法上の制約は今後、日米同盟にとって、さらに重大な問題になるだろう。」と述べている。2015年には、安倍内閣が安保法案に関して集団的自衛権に対する解釈改憲を進めたため、9条を根拠として憲法を改正する必要性が薄らいでしまった。政教分離問題や一票の格差問題に対して、最高裁判所において憲法違反あるいは違憲無効といった判例を出す裁判官がおり、また憲法を改正すべきだとする意見が過半数を占める世論調査結果もあり、改正に賛成する政治家は増えている。なお、改正反対をとなえる反戦団体・市民団体の動きもあって、平和主義の堅持など一定の条件を満たすことを前提に一部の改正を容認している人はいるものの、いわゆる9条改正の賛成派が過半数で常態化したことはない。他の党からも現憲法の問題点の改善に向けた具体的な改憲案や方策の提示はなく、国家権力の制御に関する国民的な議論が求められている。日本国憲法は、第9章第96条に改正の手続を定めている。この規定を実施するためには法律の制定が必要になるが、2007年になって日本国憲法の改正手続に関する法律が制定され、完全施行は2010年5月18日である。憲法の条文中の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」および「国民投票…の過半数の賛成」という改正の要件につき、その母数が明確でない(議員の母数につき議員の法定数か現に在職する議員数か、国民投票の母数につき有権者総数か有効投票数か)ため、その解釈には争いがあったが、同法は国民投票について有効投票総数を母数とした。日本国憲法の改正手続が、諸外国の憲法の改正手続きと比較すると厳格であるとする意見がある。改正手続き規定を改正できるかどうか、憲法学上は二分しているが、厳格であるとする立場から出された憲法改正大綱や草案では、改正手続きが緩和されていることがある(自民党、民社協会、維新の会、みんなの党など)。自民党新憲法草案では現行の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」という要件を、「各議院の総議員の過半数」に緩和する。その後の、国民投票の承認の要件は現行通りである。日本国憲法第96条にいう「改正」の意義について議論がある。学説は主に限界説と無限界説に分かれる。憲法の根本原理を改正の限界とする。限界説を前提とした憲法第96条の改正限界について、清宮四郎は、「例えば、国会の発議について両議院対等の原則を変更して衆議院の優位を認め、または、発議について特別の憲法会議を設けたり、あるいは、国会の議決における「硬性」の度合いをいくぶん変更したりする程度」の改正は許容される、とする。限界説に対しては、「改正に限界があるとすれば、天皇主権から国民主権への改正によって成立した日本国憲法は改正の限界を超えたものである」という批判(福田恆存)や、大日本帝国憲法発布の際の勅語にも「現在及将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負ふへし」(原文旧字カタカナ)という文言があるため上記の憲法尊重擁護義務を根拠とした限界は認められないとする批判がある。これに対し限界説は、八月革命説を用いて反論している。すなわち、ポツダム宣言の受諾により法的には一種の革命があったものと捉え、大日本帝国憲法と日本国憲法との連続性を否定することで、上記の批判を失当とする。改正に限界がないとする。阪本昌成・現近畿大学教授は、無限界説を前提に、憲法第96条について、「…無限界説に立つ以上、憲法を改正するに当たって、権力主体としての国民は、改正手続に関し、「国会による発議権を否認し、国民が発案する」という憲法改正案であれ、「国民投票を不要とする」という改正案であれ、いずれの案であってもこれを承認することができる。」と述べている。法的連続性が切断された「新憲法制定」と憲法改正との相違点は、「改正」の定義の差にすぎないとする指摘がある。改正の限界を超えた改正も、改正後の憲法が国民から広く受け入れられて安定した秩序を形成することができれば、新しい根拠によって憲法の効力が承認されていると見なすことができ、改正憲法か新憲法かを判断する標識であるにすぎないとされ、その権利が改正権者自身の手にある限り、理論上の新憲法制定が改正の名において行われることはありうる。憲法の変遷とは、憲法の規定の文言になんらの改定が加えられることなく、内閣行政府による有権解釈に基づく国家実行が行われ、議会が明示的ないし黙示的に追認することによって、事実上規範の意味が変化し、憲法改正されたのと同じ結果を生ずることを意味する。一般的には事態を客観的に観察した結果を示す言葉であるが、これに司法的性格を持たせることができるか議論がある。実効性が失われた憲法規範は法としての性格を持たないとして、これを肯定する見解がある。他方、違憲状態はあくまでも事実にしか過ぎず、司法的性格をもちえないとして、これを否定する見解がある。日本での憲法改正をめぐる論点はいくつかある。その他、今の憲法前文には、日本の歴史・伝統・文化の記述が無いので、歴史・文化・伝統を憲法に明記すべきという意見もある。また、国会が行政を監視する機能を作るないしは強化すべきという意見もある。以下に主な論点の内容を概説する。トーマス・ジェファーソンによれば、政府とは信用してはならないものであり、憲法とは国家の暴走・国民に対する横暴を抑えるためのものである。またフランス人権宣言曰く、「権利の保障が確保されず,権力の分立が定められていないすべての社会は,憲法を有しない」(第16条)。こういった考え方がある一方で、諸国の憲法は歴史的にも国民の諸義務を明示するのが趨勢であり、消極国家観にのみもとづかない憲法観も存在している(→近代的立憲主義の現代的変容)。2012年自民党改憲案は国民に対し憲法の擁護を義務付けている(第99条)。日本国憲法12条・13条・29条は、国民の生命・自由・財産権・幸福追求といった日本国憲法の柱である基本的人権の尊重が保障されている条項であり、この条項の人権制限条件である「公共の福祉」の法解釈に論争があった。現在の通説(一元的内在制約説)において、人権相互の矛盾衝突を調整するために認められる衡平の原理のこととされている。この条文が2012年自民党憲法改正草案において「公益及び公の秩序に反しない限り」に差し替えられている事に対する論議。自民党憲法調査会の趣旨説明としては戦後導入された「個人主義」が(国民に)正しく理解されず利己主義に変じて家族と共同体の破壊につながっているので、そのように変更したい」という説明である。一方、弁護士9条の会は、自民党草案を(大日本帝国憲法・全体主義国憲法と同じ)『外在制約』型人権条項とみなし、「憲法12条・13条自民党案は、時の為政者により「公益」「公の秩序」と判断された基準により(国民の生命・身体や言論の自由等の基本的)人権の制約することを可能とするものである。」、「自民党12条、13条改正案の文面置き換えは『これが可決されると、政治家が公益・公秩序名目で勝手に国民の人権を制限する事が可能になり、近代民主政の基盤の立憲制が根底から覆りかねない』内容を含んでいる」と主張している。自民党憲法調査会での発言。この分野における本プロジェクトチーム内の議論の根底にある考え方は、近代憲法が立脚する「個人主義」が戦後の日本においては(国民に)正確に理解されず、「利己主義」に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか、ということへの懸念である。国民の生存権等基本的権利が国民の何らかの義務を伴い、国民の身体や言論の基本的自由が国民の何らかの責任を伴うことは自明の理であり、家族・共同体における責務を明確にする方向で、新憲法における規定ぶりを考えていくべきとする視点や、国民を「被統治民」ではなく「統治実権の担い手」とする視点から立脚している。自民党の指摘するように、自由民主主義の源流は、政府の権力を制限し、個人の自由を重んじる個人主義である。しかし、国民が個人主義を伸張すること(愚行権思考の拡大)で利己主義になったという自民党憲法調査会の評価には、「憲法で人権制限立法を認める危険を軽視している」との批判(弁護士9条の会による批判)がある。立正大学法学部教授で護憲論者の金子勝は、自民党の憲法12条、13条改正草案が仮に修正されずに国民投票に掛けられた場合「公益及び公の秩序」を守るという名目で基本的人権の制限が可能となり、日本は基本的人権のない国になると主張する。日本弁護士連合会は、国家的利益や全体的利益を優先させた場合、基本的人権の制約は容易となり、人権制約の合憲性についての司法審査もその機能を低下させることとなるという見解を出している。憲法12条・13条改訂は憲法3原則のうち国民主権・基本的人権尊重の根幹に触れると批判されているが、国会議員による説明や問題提起は積極的には行われておらず、主として法曹界からの問題指摘が中心である。また、自民党が国民投票法を一括投票にして各条項(9条と12・13条等)の抱き合わせ採決を可能にしたことは日本弁護士連合会など複数の団体が批判している。なお、自民党憲法草案において「政府が公益・公秩序の維持を名目に国民の人権を制限できるようにすべき」と明言した自民党議員はおらず、外在制約型人権条項を優先解釈される可能性について議論がなされたのかは明らかになっていない。国民の「責任(責務)」として明文改憲すべきであり、納税など従来の義務規定のほかに、新たな人権を明記する一方で権利と衡平する責務規定を設けるべきとの主張がある。また現状のままで良く、詳細は法律によればよいとする立場がある。一方で現行憲法の納税の義務を含め、義務規定の憲法上での明記は最小限にすべきとの主張がある。象徴天皇制のあり方について議論がある。第二次世界大戦が終わると、共産主義や近代政治学(丸山眞男ら)の立場などから天皇制批判が数多く提議された。1950年代から1960年代には、共産主義者を中心に天皇制の廃止を訴える意見が一定数存在していたこともあった。しかし、2004年の時点で日本共産党が綱領を改正。元首・統治者ということを認めないという条件の下、天皇制の是非については主権在民の思想に基づき国民が判断すべきであるという趣旨に改めており、また憲法(特に第9条や生存権関連規定)改正に反対する立場を堅持していることから、かつてのような強硬な天皇制廃止論は影をひそめているのが現状である。また、各種の世論調査では、象徴天皇制の現状維持を主張する意見が大多数となっている。ただし、護憲派の中には、天皇制廃止論者もいる(つまりその限りでは改憲派であり、厳密には護憲派ではないともされる)。そのため、天皇条項を含めた護憲派と対立する場面も見られる。また、日本を立憲君主制とみなす立場からは、天皇を名実ともに国家の元首と明記すべきだという意見もある。関連して、外国大公使の親授式や国会開会の「おことば」など天皇の国事行為と準国事行為とされている行為についても整理して明記すべきとする意見もある。憲法9条では、戦争放棄と戦力の不保持を規定しているが、一方でGHQの意向で再建された軍事力である自衛隊が存在している。1945年から1952年の間の日本占領の期間内で1947年頃から、米国の対日政策が初期の「武装解除・再武装阻止」・「民主化の促進」に重点を置いた方針から、「経済復興」・「限定的再軍備」の方針に変換した事は“逆コース”と呼ばれ、指摘されている。その変換は、日本が共産主義体制化する事に対する危惧(ドミノ理論)と、当時の中国での共産党の国民党に対する優勢化と、その結果生じる、大陸の共産圏勢力に対する「反共主義・封じ込め」を唱えたジョージ・ケナンやジョン・フォスター・ダレスらによる立案とされる。。自民党、民主党および保守的論客は、現在の憲法9条と自衛隊の存在の間の矛盾を解決するために、戦争放棄を定めた第9条第1項の平和主義の理念は守りながら、第9条第2項を改正して戦力の保持(自衛“隊”から自衛“軍”すなわち国防軍へ)を認めるべきと主張してきた。なお政府見解によれば、国家は、急迫不正の侵害から自国を守る権利を有し、かかるいわゆる「個別的自衛権」は、その性質上憲法9条によっても放棄されない。そのために必要最小限の実力を持つことは可能であり、その実力組織に該当するのが、自衛隊である。場合によっては、防衛用核兵器もこの実力に該当する可能性はある、といった説明がされている。この点については非核三原則を参照。護憲派は、条文をそのままに自衛隊の行動を控えさせるという立場もあれば、自衛隊を廃止して非武装中立の立場をとるべきだとする意見もある。しかし自衛隊を廃止すると国の防衛が一切不可能になってしまうことや、災害時の復旧活動も自衛隊なしでは困難なため、護憲派を含め、この自衛隊を廃止する見解には反対する意見が多数を占める。また、「自衛隊が憲法上明記されていないことにより、自衛隊が合憲なのか違憲なのか曖昧な状況が続くのは問題である」とする意見も多く、自衛隊について明記することが検討されている。さらには自衛隊が戦前の陸軍のように暴走するのを抑えるため、文民統制を改憲によって強化することも検討されている(現在、日本国憲法第66条第2項に文民条項がある)。自由民主党のうち1955年の合併前の旧民主党に近い勢力は自衛隊を法理論的にも合法なものにするために、第9条に対する改憲論議を行ってきた。しかし、旧自由党に近い勢力は現状維持を求め、改憲には反対であった。1990年、イラクがクウェートに侵攻・占領。これに対し国際社会は猛反発し、アメリカやフランスなどの多国籍軍が、イラク軍と戦ってクウェートから撤退させた(湾岸戦争)。日本は第9条を理由にして軍事行動には参加せず、巨額の財政援助をした。しかし国際社会がこれを評価しなかった(もっとも援助の殆どはアメリカに流れていた。典型的対米従属)ことなどから、日本国内では、国際貢献のあり方についての議論がおきた。左派からは財政援助による貢献を評価されるよう理解を求めるべきとの主張もなされたが、結局具体的な活動による貢献・援助を拡大すべきとする主張が主流となった。その後、PKO協力法が制定されPKO活動が始まった。自衛隊の海外でのPKO活動は高い評価を受けたが、「憲法違反だ」との主張が根強くあり(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法#適用上の問題点)、そのためPKO活動を完全に合憲とするために憲法を改正すべきという意見が多くある。この点については、専守防衛・集団的自衛権も参照。2002年に、小泉純一郎首相の北朝鮮訪問によって、過去に北朝鮮が日本人の拉致を行ってきた事実を認めた事が明らかになると、日本が第9条を掲げていても他国がこれを無視して日本の国民の生命を脅かす行為を防ぐ事は出来ないとする意見が高まり、第9条改正論への追い風となった。2004年の始めには、イラクへ人道支援のために自衛隊を派遣した。イラクが戦闘地域であるため、自衛隊のイラク派遣は憲法上問題がある、それ以前に米国などによるイラク戦争は侵略戦争であるから、それに加わることはできないという意見が出た(国連による武力制裁決議はされていない)。米国が自衛隊を「有志連合」の一員として(つまり通常の軍隊として)扱ったこと、自衛隊が米軍の燃料補給を行ったこと(武器・弾薬については行っていない)も問題視された。それ以外にもテロ戦争で流動化した現在の国際情勢においては、テログループなどを対象とした国防・治安維持を想定に入れる必要があり、第二次世界大戦当時の大国の事情で作られた憲法9条はもはや現状にはそぐわない時代遅れの事項とする意見もある。このほかには、有事法制との関係で、非常事態における国家緊急権の確立などについての議論がある。現時点での各党の第9条改正に関する意見は次の通りである。自民党憲法改正推進本部では徴兵制導入の検討も1つの論点となっている。日本国憲法において、基本的人権の尊重は三大原則の1つである。日本国憲法のうち「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とうたっている第25条の生存権や教育権などの人権に対しては、解釈が分かれている1、2の視点であれば、具体的権利を個々に記載するためには憲法改正が有効に働くといえる。第13条も当初は、プログラム規定説に似た一般原則規定説で「具体的権利ではなく第14条以下に規定する基本的人権の総称」と解釈されていた。しかし、1960年代以降、幸福追求権は憲法に列挙されていない新しい人権も包括する権利で、それら新しい権利は裁判上の救済を受けられる具体的な権利であると解されるようになり、判例も認めている。(補充保障説)。これは具体的権利を個々に記載する憲法改正は不必要という人の論拠になろう。人権追加の改正が必要かどうかというテーマに関して、解釈の範囲内で運用すれば十分であるという反対論と、もはや現代では不十分となってしまったので明記すべきだという推進論とがある。まず、反対論者は「人権明記とセットで発議されることで第9条の改正が可決されやすくなる」ことを危惧している。基本的人権は「人間である以上誰でも当然にもっている権利」であって、憲法が書いたから与えられるものでも、国民が国家機関から恭しく押し頂くものでもない。そして、上記の具体的権利説や補充保障説のように憲法が新しい人権も将来にわたって包括して保障しているから、細目を追記するための憲法改正は不必要であるという。また、一部の憲法学者からは人権条項とセットで、国民の義務を規定する条項が挿入されることに反対する意見が出ている(後述)。一方、推進論は、主に、自由民主党、公明党などの改憲・加憲派が主張している。推進論者は、日本国憲法制定時に想定されていなかった人権を、現代社会の必要性に応えて他の人権と同様憲法に明記していくのは必要だという。これはプログラム規定説、抽象的権利説、一般原則規定説などがとられて、司法、行政などによって拡大解釈、縮小解釈などのブレが起こってしまうのを防ぐためという。自由民主党が2012年新憲法草案 で明記した新しい人権は次のとおり。この憲法草案では、人権が追加された一方で、歯止めとして、国民には「自由及び権利には責任及び義務が伴う」ことが追記された。同時に、「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に置き換えられた。第21条における言論の自由・表現の自由を大韓民国(第六共和国)憲法第21条4項の規定などに倣い「青少年の保護」を主な理由に「公衆道徳・社会倫理を逸脱する表現は対象外」とするものがその代表例である。但し、表現の自由に対する制約は自民党・保岡私案において明記されたのを始め党内でもこれを支持する意見が優勢であったが、2005年公表の党草案からは除外されている。この他、同草案では両性の平等を規定する第24条を「両性は家庭を保護する責務を負う」とする内容に改める案が提示されているが、この案に対しては「戦前の閉鎖的な家制度への回帰を目指すものだ」との反発も出ている。上記のような論点に関して批判派は、「公共の福祉」は他の個人の人権との衝突を国家が調整することを指す言葉であって(→公共の福祉#一元的内在制限説(通説))、戦時の秩序維持のための人権制限や、国家事業のための個人の財産の収用までも意味しかねない「公益及び公の秩序」への置き換えは行き過ぎである、一元的外在制約説への逆戻りである、権利・自由は義務や責任を果たす事への対価として下される物ではなく別個に存在する物である、あるいは義務に関することは法令で規定すればよく、そもそも憲法で規定することではないと指摘する。憲法で国民の義務や権利の制限を記述することは「憲法とは人民を入れておく檻ではなく、政府を入れておく檻である」(トーマス・ジェファーソン)との原則に反するとの主張がある。「自由及び権利には責任及び義務が伴う」については、自由や権利は“義務を果たし責任を取る事の代償に与えられる”性質のものではない(先国家的なものとしての人権、あるいは天賦人権)との意見がある。現在、世論調査では、9条を除いて新しい(人権明記を含めた)憲法への改正に賛成かどうかとの問いに、6割 - 8割が賛成している。現状は、衆議院において最大勢力を占める多数派が選出した者が内閣総理大臣となる仕組みであるが(連立与党を組んでいる場合には第二党の党首の場合もある)、総選挙の結果とは無関係に決まってしまう場合があることを問題視して首相公選制の導入が主張されることがある。ただし、「首相公選制」の内容は論者により異なり、実質的な大統領制への転換を目指すべきとする意見、議院内閣制の原理の一部に修正を加えるべきとする意見、政党の党首選挙において一般党員による予備選挙を行うことで実質的な首相公選を目指すべきとする意見などがある。このうち大統領制のように国民を直接的に選出する制度を採用する案の場合や、議院内閣制の下で憲法に政党条項を加えて衆議院議員総選挙を憲法上も内閣総理大臣選出のための選挙として運用する案をとる場合には憲法改正が必要になる。実際には首相公選論を主張する論者によって、首相の議会解散権やこれに対する議会の公選首相に対する不信任決議を認めるべきか否か、法律案や予算案に対する首相の拒否権を認めるべきか否か、閣僚を占める国会議員の割合などといった点をめぐり、具体的制度像は論者ごとに大きな幅がある。小泉内閣の下での「首相公選制を考える懇談会」では、国民が首相指名選挙を直接行う案、議院内閣制を前提とした首相統治体制案、現行憲法の枠内における改革案の三案が制度構想として示された。首相公選制を採用している国は例が少なく過去にはイスラエルがあったが、対パレスチナ強硬派の人物が選ばれ、和平プロセスが崩壊して戦争状態となったために同国は首相公選制を取りやめている。両議院の構成と役割を大きく異なるものにするか、参議院の権限縮小・廃止により一院制を採用するか、など議院の扱いをめぐる議論がある。世界では一院制も両院制もあるが、主要な民主先進国は両院制が多い。また通常単一国家では一院制であることが多い。なお、両院制を採っている国でも民選制である代議院とは別の議員選出制度(アメリカ・ドイツ:連邦構成体の代表、イギリス:世襲の貴族、カナダ:政府による任命)を施行していることが多く、日本のように両院の議員がほぼ同じ方法で選挙され、かつ下院が優越している国は皆無である(比較憲法学者の西修曰く、「異質な制度が悪いわけではないが、合理性に欠ける点が問題)。両院制のメリットとして一方の院の暴走を止め慎重な審議を行うことができること、異なる投票形式・投票時期で得られた民意を反映できることなどがある。また伝統的に参議院は「良識の府」とも呼ばれ、衆議院のような党派的支配とは一線を画して審議を行なってきたと言われていた。そして衆議院、参議院の選挙が頻繁に行なわれることより政権政党に緊張感が生まれしっかりとした政権運用を期待することができると言われる。他にも衆議院解散後の国政上の緊急時において緊急集会により権力の空白期間をなくすなどの役割もある。しかし、近年では参議院も衆議院と同様な政党支配に置かれ、実質的に衆議院の採決と同様の採決を繰り返すに過ぎないことが多く、その存在意義が薄れてきたという意見がある。しかもあまりの選挙の頻発は逆に選挙への興味を削ぎ、投票率を下げるとも言われる。またその運用コストや選挙費用などの無駄も問題視され、改憲によって参議院の縮小・廃止論が浮上している。そのことから現在の憲法改正論議上では議題にあまり挙がっていない。なお、自民党・保岡私案では二院制を維持しつつも閣僚就任を衆議院議員に限定するなど、衆議院を優越させる規定が置かれていた点が同党の参議院議員から反発を招き、撤回している。軍事裁判所(軍法会議)は終戦まで、敵前逃亡や脱走など軍法違反行為を行った兵士を裁く特別裁判所として存在した。最前線の戦場では、裁判官なしのまま、上官による即決裁判で判決、銃殺刑の執行までが行われた時期もあった。日本国憲法第76条第2項では「特別裁判所は、これを設置することができない」として禁止された。よって、自衛隊の職種にも軍法会議・軍事裁判を担当し検事・弁護士・判事相当の将校が所属する「法務科」は存在しない。自民党新憲法草案では、「自衛軍」の保持を明記するのと同時に、「軍事裁判所」を置くとしている。しかし、新憲法草案でも「特別裁判所の設置は禁止」とされており、矛盾しているとの指摘がある。多くの国家の憲法、特に大陸法をとる国のほとんどの憲法には緊急権の規定があり、存在していない憲法は少数派である。英米法ではコモンローとしてマーシャルローの法理が認められており、イギリスでは第一次世界大戦後から個別立法制度が採用されるようになり、アメリカにおいてはウォーターゲート事件以降立法制度が多く採用されるようになった。イギリスの緊急権法、アメリカの戦争権限法や全国産業復興法がこれに該当する。大日本帝国憲法においては、天皇が国家緊急権を行使する規定が制定されており、緊急勅令制定権(8条)、戒厳状態を布告する戒厳大権(14条)、非常大権(31条)、緊急財政措置権(70条)などが存在した。日本国憲法においては国家緊急権に関する規定は存在しないとする見方が多数的である。さらに日本国憲法は国家緊急権を認めていないとする否定説、緊急権を容認しているという容認説の二つの解釈があり、また否定説は緊急権規定がないのは憲法の欠陥であるとみる欠缼説、緊急権規定の不在を積極的に評価する否認説の二つに大別される。1964年の内閣憲法調査会における「共同意見」において、この点は「重大なミス」であるとしている。「憲法の番人」として独立機関である「憲法裁判所」を設置すべきという意見もある。憲法裁判所の設置は、衆議院憲法調査会、自民党、民主党でも提案されたが、自民党新憲法草案には採用されなかった。現行の私学助成制度は、日本国憲法第89条に定めるに違反するので改憲するのならこれも直すべきといわれている。自民党新憲法草案もこの解決を含む。
出典:wikipedia
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