有限会社ハセミモータースポーツ(HASEMI MOTOR SPORT)は、元レーシングドライバーの長谷見昌弘が代表を務める日本の企業。星野一義率いるホシノインパルと並び、日産系チームとしてNISMOに次ぐ地位を占めるレーシングチームであった。2010年まで後述するようにプロトタイプレーシングカー・ツーリングカーで争われる各種レースに参戦していたが、2011年のSUPER GT参戦を断念し、現在はレース活動を中断。アフターパーツの販売を中心に企業活動を継続している。1983年から1987年まで、日産のエンジンを搭載するグループCカーで参戦。ワークス活動を再開する前の日産のセミワークス的立場にあった。1988年にNISMOが直接エントリーすることになり、撤退することとなる。1986年から1995年まで、日産の車両で参戦(1994年はNISMOワークスのみでハセミの参戦はなし)。日産のセミワークス的立場で、1989年、1991年、1992年にはタイトルを獲得した。1996年からはハセミモータスポーツでの参戦はなくなり、長谷見自身はHKSのオペルでシリーズに参戦した。1994年~2000年は日産・スカイラインGT-RでGT500(GT1)クラスに参戦していた。参戦初年度から好調だったが、成績は次第に低迷した。2001年~2003年は予算の関係並びに日産の意向により日産・シルビア(2001年・2002年)や日産・フェアレディZ(2003年)でGT300クラスに参戦。2003年はシリーズチャンピオンに輝く。2004年にフェアレディZでGT500クラスに復帰。2008年より車両が日産・GT-Rに変更。2010年は、再度日産の意向によりフェアレディZでGT300クラスに参戦、シリーズチャンピオンを獲得した。長年、ユニシアジェックス(現・日立ユニシアオートモーティブ)をメインスポンサーとしていたが、2003年はエンドレス、2004年・2005年はG'zox、2006年から2008年はイエローハットがメインスポンサーとなっていた。2009年はメインスポンサーはなくなったが、トミカ(タカラトミー)とEBBRO(エムエムピー)が車名に冠された。マシンのカラーリングは、シルエットフォーミュラ時代を髣髴させる赤と黒の復刻カラーリングで、長年のスポンサーであるトミカへの感謝を表したものでもある。この年からタイヤをミシュランに変更した。エンジンチューナーは東名エンジンなど。
出典:wikipedia
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