向島(むこうじま)は東京都墨田区の地名。現行行政地名は向島一丁目から五丁目。住居表示実施済み区域である。墨田区中西部に位置する。隅田川・北十間川・曳舟川通り・鳩の街通りに囲まれた地域である。東は曳舟川通りを介して押上と、北東は鳩の街通りを介して東向島と接している。町の西端を墨堤通り(東京都道461号吾妻橋伊興町線の一部)、中央を国道6号、東端を曳舟川通りが南北に貫いている。最西端は隅田川に沿うかたちで首都高速6号向島線が通っており、一部は墨堤通りの上に架かっている。墨堤通りと国道6号の中間に見番通り(けんばんどおり)が同じく南北に通っている。見番通りは言問橋東交差点より北に伸びる700m程の道路であり、国道6号との分岐点近くに「牛島神社」がある。通りには南より「すみだ郷土文化資料館」、「小梅小学校」、「三囲神社」、「向島墨堤組合(見番所)」、「弘福寺」、「長命寺」などが隣接していて、北端は墨堤通りと合流する。合流点近くには王貞治の一本足打法のレリーフが掲げられている「隅田公園少年野球場」、「言問団子」、「長命寺桜もち」などがある。ここから、隅田川岸に出ると約100m下流に「桜橋」があり、この橋周辺の河岸に延々と桜が植えられており、現在でも「墨堤の桜」として親しまれている。向島墨堤組合を中心とした向島2丁目、5丁目付近に料亭が点在している。向島は広域地名として、墨田区のうちでかつて向島区であった北部地域に対しても使われることがある。旧向島区は現在の京島、墨田、立花、堤通、東墨田、東向島、文花、八広の全部と押上の一部にほぼ相当する。なお、なお、現行の向島一丁目から五丁目の区域は旧向島区ではなく、明治時代から1947年(昭和22年)の墨田区成立までは東京市本所区(1943年からは東京都本所区)に属し、現在でも本所地区の一部とされるので注意を要する。また、汎称地名としては浅草の対岸にあたる隅田川東岸地域(墨東)として用いられる。一説には、現在の都営白鬚東アパート付近に隅田川御殿という徳川将軍の休憩所があり、その北西にかつて隅田川に向かって流れていた内川(古隅田川)が隣接していたため、その対岸となる北西の島部を「将軍の向島」と呼んだことに由来するといわれる。これは現在の都立忍岡高等学校付近にあたる。しかし、隅田川東岸には「牛島」「柳島」「寺島」などといった地が点在しており、西岸地域に住む庶民がこれらを「川向こうの島」という意味で単に「向島」と総称したとも考えられ、特定は難しい状態である。なお、「向島」の名前が正式な行政地名としてつかわれるようになったのは1891年(明治24年)に向島小梅町、向島須崎町、向島中ノ郷町、向島請地町、向島押上町などといった町名が成立してからである。向島には花街(花柳界)が存在し、芸妓数は100名以上を誇り伝統文化を守り積極的に活躍している。向島百花園(東向島3-18)・向島警察署(墨田区文花3-18)・向島消防署(東向島6-22)・向島税務署(東向島2-7)は向島の名を冠するが地内にはない。また、現行の向島一~五丁目は、本所消防署、本所税務署の管内であり、また一部を除き本所警察署の管内になる。
出典:wikipedia
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