台湾神宮(たいわんじんぐう)は、かつて台北市に存在した台湾の神社である。廃座時の社格は官幣大社。当初には圓山(まるやま、円山)に建設予定したが、1901年(明治34年)基隆河の対岸のに台湾神社の社名で創建された。当初の祭神は、北白川宮能久親王および開拓三神(大国魂命・大己貴命・少彦名命)であった。明治33年4月地鎮祭、34年10月神殿が竣成し、勅使参向のうえ10月27日鎮座式が挙げられ、28日大祭が執行された。1944年(昭和19年)、天照大神が増祀され、台湾神宮に改称された。境内は10万余坪、諸家から献納された燈籠27基、花崗岩の大鳥居などがある。台湾神宮は台湾の総鎮守として、台湾で最も重要な神社とされた。台湾総督府は10月28日を「台湾神社祭」と定め、この日を全島の休日とした。祭典は祈年、新嘗、例祭のほか毎年6月17日、始政記念祭が執行される。当日、台湾総督府から総督が参向して幣帛を奉り、全島の平穏が祈請される。1923年4月12日、皇太子(後の昭和天皇)による台湾行啓の際、台湾神宮へ参拝するために、勅使街道(現:中山北路)という道路が作られた。1944年10月23日、台湾神宮のある円山の山頂に旅客機が墜落し、新しく造営され台湾神社祭のときに遷座される予定だった新社殿や、鳥居、石燈などを焼失した。1945年(昭和20年)の日本の第二次世界大戦敗戦の後すぐに、台湾にある全ての神社は廃止された。台湾神宮の跡は台湾大飯店(台湾ホテル)となり、1952年に改築され圓山大飯店となった。なお、台湾における日本円の発券銀行であった台湾銀行の紙幣には台湾神宮が殆どの紙幣で登場していた。神社入り口に置かれていた青銅製の牛の像は、現在国立台湾博物館の敷地内に設置されている。勅使街道は、三線道路の前広場(現・行政院)から、まっすぐに北へ、台湾神宮前明治橋南詰までの延長3190mの参詣道路であった。御成街道とも。
出典:wikipedia
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