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MG 151 機関砲

MG 151は、1940年にナチス政権下のドイツでマウザー(Mauser)社が開発、製造した機関砲。第二次世界大戦中、メッサーシュミット Bf109(Me 109)やフォッケウルフ Fw190などドイツを代表する戦闘機だけでなく、爆撃機などドイツ空軍の航空機関砲の1つとして幅広く装備された。MGは、マシーネンゲヴェーア(Maschinengewehr)の略であり、機関銃を指すドイツ語である。日本陸軍でいう機関砲にあたるが、定義が異なり、ドイツではMKと略されるマシーネンカノーネ(Maschinenkanone)が機関砲である。なお、MG151(MG151/15とMG151/20)はプロペラ同調が可能、または容易に対応させることができるので、エンジンにマウントしたプロペラ軸内装備の場合は英語でモーターカノン、ドイツ語でモートルカノーネ(Motorkanone)に部類されるが、日本では単にプロペラ撃ちを避ける同調式構造を持っていればモーターカノンと呼んでいたという意見もある。ドイツは、ヴェルサイユ条約によってMG 34機関銃と同じように、それまで航空機関銃も製造が禁止されていた。ラインメタル(Rheinmetall)社は、スイスから輸入したMG 30を改良し、旋回機銃のMG 15や固定機銃のMG 17など7.92mm機関銃が生産され、主力戦闘機を想定していた初期型のBf 109には後者が搭載された。スペイン内乱での実戦経験のノウハウにより火力の増強が図られ、エリコン(Oerlikon)社製の20mm FFS機関砲を至急購入したが、寸法が大きくDB 601のシリンダーの間に納まらず、代わりにエリコンFFをもとに、給弾ドラムなどに改良を加えた20mm MG FF機関銃がライセンス生産された。しかし、Bf 109 E-2に試験的に搭載したところ、エンジンからの振動によるトラブルが多発、結局主翼に装備せざるをえない事や、初速や弾道性能などの評判がよくなかったことから、ラインメタル社とマウザー社のそれぞれに新型機銃が発注された。ラインメタル社は電気発火式(Electric Priming)によるプロペラ同調式の13mm MG 131機関銃を開発した。一方、マウザー社ではMG 151(口径15mm)が開発された。これは、より高威力を求めるドイツ空軍の要望を満たすため、小口径機関銃の高初速性能と大口径機関銃の火力を狙ったと思われる。初速が900m/sを突破するという驚異的数値を叩きだすが、15mmという中口径に見合わない重量と反動による航空機の機首強度、部品破損などが問題になったことから次期機関砲の開発が進められた。そこで、MG 151をベースに開発されたのが、MG 151/20(口径20mm)だった。※この時、口径識別のため従来の口径15mmをMG 151/15、20mmをMG 151/20と呼称するようになった。MG 151/20は、MG 151/15と大差ない重量であるにも関わらずMG 151/15の196cmというサイズよりも短く、フランスで開発されたイスパノ・スイザ HS.404機関砲の250cmと比較すると小さかった。そして、ドイツオリジナルの大威力の炸裂弾である薄殻榴弾(英:Mine Shell/独:Minengeschoss)を搭載できる。HE(M)と表記される薄殻榴弾は、弾丸の製造に精密なプレス加工を要し、従来の榴弾と比べると炸薬比率が高く、破壊力が大きいものだった。MG 151/15の後継とあって電気発火式も開発され、ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)社製など倒立V型エンジンへのプロペラ軸搭載も考慮された。モーターカノンとして搭載した場合、プロペラ同調装置を必要とせず機首搭載による命中率の向上が期待できる他、強固なエンジンマウントに実装する事で発射反動を吸収でき、小柄な機体でも大口径機関砲を搭載し易く、重量物が機体中心に集中するので慣性モーメント増大を防ぎ運動性に影響を与え難いなどの利点がある。だが、当初に計画された主力機であるBf 109の機首に搭載するには少々大きかった。それでも、ベルト給弾式のスマートで高威力な機関銃としてFw 190Aに翼内銃として搭載され、後にはBf 109でもF-4以降はモーターカノンや両翼下のガンポッドに搭載されるようになった。以降、戦闘機から爆撃機まで幅広く、従来の7.92mm機銃や、MG 151とは名コンビとなる13mm MG 131機関銃などと混載装備された。また、同盟国軍である日本陸軍航空隊にも約40万発の弾薬と合わせ、「マウザー砲」の呼称で800挺が潜水艦で輸入され、三式戦闘機「飛燕」一型丙に搭載された。マウザー砲は、1943年12月初旬に当時の最前線であるニューギニアのウェワクに展開する飛行第68戦隊や第78戦隊、上級部隊たる第14飛行団の各「飛燕」装備部隊に、補充機を兼ねたマウザー砲装備済みの新鋭機十機と、予備砲を含む現地機への取り付け改造用の砲が九七重爆3機にて工務員同伴で空路にて送られ、階級を問わずその部隊のエース・パイロットたる操縦士達に優先的に割り当てられた他、飛行第244戦隊や第56戦隊といった日本本土防空部隊にも配備された。日本におけるマウザー砲の評価としては、「B-25爆撃機の左翼がバタンとへし折れた(内翼部に命中時)」「貫通砲弾の出口に直径1m程の大きな風穴が空いていた(撃墜し海岸に不時着した敵機を見て)」といった、従来の日本陸軍機装備の航空機関砲を凌駕する強力な破壊力、初速も高く、狙ったところに一直線に飛ぶ弾道性能や命中率の良さ、装填不良や二重装填も計器のボタンを押すだけで回復し、油圧式でなく電気式による信頼性の高さから、歴戦の操縦士は勿論、全操縦士達から異口同音に絶賛され、数に勝り防備も固いアメリカ軍戦闘機や爆撃機相手に遺憾なく力を発揮した。なお、日本海軍も1943年末にMG 151/20を2挺輸入したものの、この時期にはMG 151/20と(あくまでもカタログデータ上ではあるが)遜色ない性能を有する九九式20mm二号機銃四型の量産が軌道に乗りつつあり、九九式20mm二号機銃四型の改良型やより強力な五式30mm機銃の開発も進んでいたためか、陸軍ほど興味を示さず、実用機に搭載した記録も残っていない。先述の日本陸軍に正式に供与されたマウザー砲の整備は、飛行戦隊に付属する武装担当の整備班の手に負える物でなく、元より現地の整備隊で迂闊に分解する事すら厳禁とされていた他、MG 151/15を鹵獲したアメリカがこのコピー生産を試みて製作されたのがフリッジデール T17 60口径(15.2mm)機銃が約300挺が製造された。しかし、コピーした機銃は重量増加と給弾機構不良や冷却などの問題に悩まされ、機銃改善と後継のT39、T51機銃が作られたが制式化されなかった。また、マウザー砲のもう一つの特色である薄殻榴弾は、日本だけではなくアメリカもコピー生産は不可能であった。

出典:wikipedia

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