堀川 通具(ほりかわ みちとも)は、平安時代末期から鎌倉時代前期の人物。公卿、歌人。正二位大納言。堀川大納言と号す。内大臣右大将源通親の次男。堀川家の祖。主として後鳥羽院歌壇で活躍した。建仁元年(1201年)には和歌所寄人となり、同別当となる。『新古今和歌集』の撰者の一人にも選ばれるが、父・通親の代理という意味合いが強い。また「千五百番歌合」などに出詠し、『新古今和歌集』に入集しているが、後鳥羽上皇や親友・藤原定家からの歌人としての評価はあまり高くなかった。後に妻の俊成卿女とは離別したが、藤原俊成の息子である定家とは親しく交際を続けた。定家は通具の父の通親とは対立していたが、通具死去の報を受けた際、深く悲しんだという。道元も通具の子であるとする説があるが、道元は異母弟であり、通具はその養父であったという説もある。
出典:wikipedia
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