藤原 明衡(ふじわら の あきひら、永祚元年(989年)? - 治暦2年10月18日(1066年11月8日))は平安時代中期の儒学者・文人。藤原式家、山城守藤原敦信の子。従四位下・右京大夫。字は耆莱(きらい)・安蘭(あんらん)。元々儒家の出身でないことから対策(文章得業生となるための試験)に合格するのに歳月を要し、1032年(長元5年)にようやく合格し左衛門尉に任命された、対策制度の因習をにがにがしく思い、後輩に対策の答えをひそかに教え二度にわたり罰せられたこともある。その後、後冷泉天皇朝において式部少輔・文章博士・東宮学士・大学頭などを歴任し、従四位下に至った。詩文に秀で『本朝文粋』『本朝秀句』を編修し、『新猿楽記』『明衡往来』などを著している。
出典:wikipedia
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