規定打席(きていだせき)とは、プロ野球において、リーグが発表する打撃ランキングの対象となるために必要な打席の数のことである。NPBおよびMLBにおいて、現在は野球規則10・22(a)により規定打席を次のように定めている。(小数点以下四捨五入。ただし、2008年までは小数点以下切捨て。)規定打席数は打者として1シーズンを通じて起用されたか否かの基準とされる場合もある。NPBのファーム組織(イースタン・リーグ、ウエスタン・リーグ)の規定打席は所属球団の試合数 × 2.7である。原則として首位打者と最高出塁率は規定打席を満たした選手が対象となるが、前記した野球規則10・22(a)但書には次のような例外規定がある。この例外規定については首位打者は1967年、最高長打率は1984年、最高出塁率は2008年から適用されている(ただし、最高長打率はリーグの公式な表彰項目には入っていない)。首位打者についてはメジャーリーグベースボール並びに日本の二軍ではこの例外規定適用での首位打者が実際に誕生しているが、一軍のセ・パ両リーグではまだ例がない。最高長打率については2003年のロベルト・ペタジーニと2011年の阿部慎之助がこの例外規定適用で最高長打率打者と認定されている。最高出塁率については2003年のペタジーニが出塁率.457であり、不足分を加算しても出塁率.436で、規定打席到達者1位(福留孝介の.401)を上回る例があったが、この時点では野球規則10.22(a)(当時は10.23(a))の但書には最高出塁率打者に関して記載がなかったため、同年の最高出塁率は福留が獲得した。したがって、例外規定適用で最高出塁率打者と公式に認定された例はまだ出ていない。ちなみに規定打席と同数の打席数で首位打者を獲得した打者は1975年の白仁天(太平洋クラブライオンズ)、1981年の藤田平(阪神タイガース)、1991年の平井光親(ロッテオリオンズ)と3人いる。また、この例外規定が適用されるのはあくまで首位打者・最高出塁率打者の時だけである。規定打席に到達していなければリーグが発表する公式な打率ランキングには名前が載らない。メジャーリーグでは原則として全試合中3分の2以上出場が規定条件であったが、1942年にアーニー・ロンバルディがわずか309打数(105試合出場)で首位打者になったことから、1950年から打数400が規定条件になった。日本プロ野球でも戦後一時期まで打数が規定条件であったが、メジャーリーグで1954年、テッド・ウィリアムズが首位打者となったボビー・アビラの.341を上回る.345を記録しているものの、136四球が影響し386打数で首位打者を逃したことから、1957年シーズン前にメジャーリーグで打席数を採用することが決定され、日本プロ野球もそれに倣った。採用当初は現在と同じくチーム試合数に3.1をかけた値を到達すべき規定打席としたが、端数が出ることを嫌ってか翌1958年は両リーグとも400を規定打席とした。ところが、この年のセ・リーグで児玉利一(大洋)と大和田明(広島)が共に401打席で規定打席到達となったため(児玉は打撃ベスト10の9位に入った)、翌1959年以降は再びチーム試合数に3.1をかけた値を到達すべき規定打席として現在に至っている(3.1の数字の由来は諸説あり不明)。2004年と2008年は夏季オリンピックの野球競技にプロ野球の選手を派遣したことに伴い、五輪派遣選手の規定打席の算出基準となる試合数は所属球団の総試合数から派遣期間中の試合数を減じたものとする特別措置が設けられた。この措置の適用で規定打席到達を認められた打者は以下の通り。※これにより、森野とG.G.佐藤は共に自身初の打率3割到達となった。2009年からは、規定打席の端数の処理方法が一軍二軍ともに切捨てから四捨五入に変更になった。たとえば一軍で5試合終了時点での規定打席数は、2008年までは15打席でよかったが、2009年からは16打席必要となる。「チーム試合数×x.x」の年は引き分け再試合制採用年
出典:wikipedia
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