満州国国務院(まんしゅうこくこくむいん)は、満洲国における行政機関。同国は議会を持たなかったため、事実上国政の最高機関であった。体制上は国家元首である溥儀の直属の組織であったが、実際の国務院には関東軍から送り込まれた日本人が要職を押さえていたため、溥儀であっても自由にできない組織であった。1932年の満洲国建国時、国務院は「国務総理」を頂点として、その下部組織として部を持っていた。各部の長は「総長」である。満洲国建国当初の国務院の主要要人は下記のとおりである。次官級の官僚の一部には日本人が登用されており、実務担当にも相当数の日本人が登用されていた。また、人事権については関東軍司令官との協議を必須としていたため、国務院には関東軍の意向が大きく影響した。1934年に溥儀が皇帝に即位すると、各役職名は変更された。1945年の日本の降伏によって満洲国は崩壊した。それまで幾度か各部組織・名称の変更はあったが、満洲国解体(終戦)時の国務院の主要要人は下記のとおりである。現在は吉林大学(旧白求恩医科大学)の校舎として利用され、一部“偽満州国国務院”という名称で博物館として公開されている。
出典:wikipedia
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