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スーパーカセットビジョン

スーパーカセットビジョンとは、日本で1984年にエポック社がカセットビジョンの次世代機として発売した家庭用ゲーム機である。次世代機ではあるが、カセットビジョンとの互換性は無く、カセットビジョンのカートリッジや周辺機器は一切使用できない。1981年にエポック社によって日本市場へ投入されたカセットビジョンは発売以来、順調なセールスを遂げて40万台(資料によっては45万台)もの売上げを記録し、当時の日本の家庭用ゲーム機シェアの7割を獲得する成功を収めた。ところが日本市場では任天堂のファミリーコンピュータやセガ(後のセガゲームス)のSG-1000など相次いで他社より次の世代のゲーム機が登場したため、カセットビジョンと他社機との性能差が大きく開く事となる。そこでエポック社は新たに、NECがハードウェア開発を担当して共同開発を行った家庭用ゲーム機・スーパーカセットビジョンを日本で、本体価格14800円で1984年7月17日に発売する。日本市場では1987年までに30タイトルのソフトが発売され、日本以外ではYENOよりフランスにてOEMで15タイトルが発売された。日本では一部の固定ファンに支えられ、ユーザーには「スパカセ」の愛称で呼ばれた。エポック社での略称はSCVである。アメリカ市場でアタリの家庭用ゲーム機Atari 2600が登場後、日本市場でも1970年代後半から1980年代前半にかけ様々なメーカーがこぞって各社各様のゲーム機を発売した。しかし、次第に淘汰が進み、本機スーパーカセットビジョン登場で、残存ハードメーカーは任天堂・セガ・エポック社の3社にほぼ絞られ、当時の一部ゲーム雑誌等では「3大ハードメーカー」と称される。ただし「3大ハードメーカー」と言っても、ハードウェアが当時としてはずば抜けて高性能であり、かつサードパーティの参入があってソフトが大量にリリースされていた任天堂・ファミコンのシェアが95%に達しており、本機はマイナー機の部類に属する。そのため、ファミコンブーム(テレビゲームブーム)下でゲーム雑誌が乱立した時期にも関わらず、本機関連記事が取り上げられる雑誌は『Beep!』(ソフトバンク刊)と『ゲームボーイ』(マガジンボックス刊)の2誌のみだった。なお、Beep誌には特定店でリサーチした毎月のソフト売り上げランキングが毎号掲載されており、『ドラゴンボール ドラゴン大秘境』は発売後、ほぼ不動の一位を守り続けた。本機はファミコンのブームが認知されつつあった1984年に登場した、ファミコンよりも1年ほど新しい機種であり、特にファミコンが品薄のときに順調に売上を伸ばしていった。しかし発売から1年以上経過した1985年後半になると業界に大きな動きが訪れる。ファミコンでは決定的なキラータイトルが登場して急速にシェアが拡大。さらに本機とともに業界2番手を競っていたセガからはファミコンにも匹敵する高性能機セガ・マークIIIが登場したため、本機はハードウエア性能でも劣勢に立たされた。エポック社も巻き返し策としてなども行ったが、功を奏したとは言えず、この時点でシェア争いからの脱落は確定的となった。しかし当時すでに任天堂・セガ・エポック社以外の競合機種はほぼ展開を終了していたこともあり、その後も本機は業界3番手として1987年を迎える頃まで地道な展開が続けられた。最終的なタイトル数は30本に及び、展開期間で平均すれば実に毎月1本のペースで新作ソフトが発売されている。これは単一のメーカーの実績としては決して低いものではないが、積極的なサードパーティ戦略をとった任天堂や、豊富なアーケード資産を抱えていたセガには遠く及ばなかった。エポック社は1986年末にゲーム市場から一時撤退、その後1989年12月15日発売の『ファミコン野球盤』でファミリーコンピュータのサードパーティとして参入し、ゲームソフトメーカーとなった。一方で本機のハードウエアを担当していたNECグループは、1987年に本機と入れ替わる形でNEC-HEからPCエンジンを発売し、家庭用テレビゲーム市場に参入を果たしている。フランスでは、セガSC-3000も販売する等、日本のゲーム機を積極的にOEM販売していたYENOによってOEM販売された。独自のソフトは発売されず、日本で発売された一部タイトルが提供された。最後のタイトルは『スタースピーダー』で、それよりより後のタイトルおよび『スーパー麻雀』・『スーパーベースボール』・『ルパン三世』・『ミルキープリンセス』は発売されていない。『アストロウォーズII』は『バトルインギャラクシー』というタイトルで販売された。と、当時のライバル機を一部では凌駕する性能を持っていた。だが、などの欠点もあった。上記の通り拡張端子が無かったため、周辺機器も発売されなかった。『ベーシック入門』というプログラミングソフトが発売されているが、キーボードもプリンタも外部記憶装置も用意されていなかった。なお、コマンドや文字の入力は本体のセレクト12キーやコントローラーを用いて一覧から選択する形で行い、ソースはカートリッジ内に記録できた。BASICやRPGのようにバッテリーバックアップが必要なROMカセットでは単3乾電池×2本を採用し、ユーザーの手でバッテリの交換ができるようにされていた。その際、動作中にカセット内の電池を交換すれば記録内容は消えないと説明されている。ただし振動による端子の接触不良で誤動作する可能性があった。写真のように、向かって本体上面左にカセット挿入口がある。中央右には電源スイッチがあり、リセットキーとポーズキーがすぐ近くに配置されており、慣れないと押し間違える可能性もある。その右にはいわゆるテンキーに相当するセレクト12キーが並んでおり、数字の0 - 9およびCL(CLEAR)、EN(ENTER)の12個がある。このうち数字キーの並びはPCのテンキーと同じ配置である。背面には2系統の出力がある。RF出力はTV/ゲームの切替スイッチの付いた専用スイッチボックスを介し、テレビのアンテナ端子に接続される。アナログRGB出力は8ピンのDINコネクタであり、別売の専用ケーブルを介してテレビの21ピンマルチコネクタに接続される。本体手前の黒い部分は開閉でき、コントローラーをケーブルごと収納するスペースがある。色数は固定パレットの16色が扱える。そのうち1色は背景色専用であり、テキストやスプライトに指定した場合は透明色として使われる。プログラム上は256×256ドット程度の画面領域を持っており、テレビ画面にはそのうち約192×222ドット程度が表示される。1つあたりのドットはやや横長の長方形となっている。スプライトにはキャラクター・背景の区別は無く、16×16ドット単色のスプライトを128種まで定義でき、128個まで同時に扱うことができる。これは2色のスプライトが64個しか表示できないなど実質的に単色スプライトを重ね合わせた多色表示に相当する機能ではあるが、それでもキャラクター用スプライトとしては同時期に展開されたファミコンを凌駕する。例えば16x16ドットのスプライト表示能力を比べた場合、ファミコンでは3色のキャラクターを16個まで表示できるが、本機では4色のキャラクターでも32個まで扱える。また、ファミコンでは3色のキャラクターを横一列に4個まで表示できるが、本機では少なくとも4色のキャラクターで同じことができる。しかもキャラクターあたりの色数を減らせばそれだけ横並びできる数も増えるため、単色スプライトであれば画面の横一列をスプライトで埋め尽くすことも可能なほどである。ただしファミコンでは標準で3色のスプライトが扱えるうえ、背景にも別途スプライト機能があるため、背景を含めて多色を前提とするスプライト数ではファミコンに分がある。また、本機では16×16ドットのスプライトが基本単位であり、8×8ドットに分割しても扱えるスプライト数が増えるわけではない。本機ではグラフィックの多くがスプライトで表現されている一方で背景専用の描画機能は乏しい。本機は一応ドット描画機能を備えてはいるが、VRAMが少ないことには変わりなく、モノクロ2値の単色描画モード時でさえ4ドット単位のモザイク表示すなわち前機種のカセットビジョン並みの低解像度になる。カラー16色の背景描画ではさらにドットが粗くなり、例えば空と地面を塗り分けるように、8ドット単位で画面の領域ごとに別々の背景色を設定することができる程度である。これは画面解像度にしてわずか24×28ドット程度のモザイク表示に相当する。これらはテキストVRAMを流用した機能であるため、背景のドット描画を指定した領域にはテキスト文字を直接的な手段では表示させることができない。そのためSCVではテキストのフォントをスプライトに変換して表示する機能も備えている。結果として背景の補完や文字表示にもスプライトが消費されるうえ、背景には単色べた塗りのグラフィックが多いなど、全体的にはファミコンと比べて見劣りする画面性能になっている。ゲームカセットを差さずに電源を入れると、表示確認用のデモ画面(VIDEO GAME TEST DISPLAY)が表示される。内容は16×16ドット・単色の風船形スプライトが128個ほどランダムにわらわらと動き回るだけのもの。風船は15色の種類があり、背景色も一定時間おきに16色に変化するカラフルなものとなっている。停止/再開はPAUSEキーのほか、セレクト12キーを押すことでもできる。音声はPAUSE時の音のみ。コントローラは使用しない。パッケージなどでは3矩形波・1ノイズの合成音と説明されている。しかし発売されたソフトは効果音的に単純なサウンドを2音同時発音するものはあっても、実質的に同時に1音しか発音できず、効果音が鳴るとBGMが一時中断するものが多かった。効果音のみでBGMのないゲームも多いが、その場合でもタイトル画面やデモ画面でテーマ曲が演奏される場合があり、演奏中はデモ画面の効果音を鳴らないものが多い。また、一部のゲームでは音声合成が使われている。向かって左側のオレンジ色のシールが貼られたコントローラが1P側、同じく右側(ブルー)が2P側であるが、特に区別していないソフトもある。スーパーカセットビジョンのコントローラはその後のゲーム機とは形状が異なっており、写真のような縦長の箱状である。側面の上方(右上と左上)に計2個のボタンがあり、中央に短めの8方向レバーが付いている。説明書にコントローラの構え方は書いていないが、例を挙げれば、片手でコントローラ全体を握りながら親指と人差し指で側面のボタンを押し、もう片方の手でレバーをつまんで動かす、というような操作形態になる。この形状のコントローラはファミコン登場前では一般的だった。1977年に米国で発売され、大成功を収めたアタリAtari 2600(日本では1983年にAtari 2800として発売)以降、アタリの影響を受け多くのゲーム機が同様の形状で、日本市場ではセガSG-1000、バンダイアルカディアでも採用され、レバーでなくパッド状の方向キーではあるがぴゅう太Jrやインテレビジョンなども同様の縦長コントローラだった。しかし前機種のカセットビジョンおよびカセットビジョンJrは、コントローラが外付けではなく本体一体型であり、2プレイヤー対応のために本体サイズがある程度の大きさ以下にはできず、小型化に限界があった。そこで本機では、当時主流だった形状の縦型ジョイスティックコントローラーを採用した。しかし、1983年発売されたファミコンの独自形状のコントローラが、ファミコンの世界的大ヒットと共に主流のコントローラ形状となってしまい、逆に1985年以降、日本市場で縦長形状のコントローラを標準採用した唯一のゲーム機となった。この種の縦長コントローラは右利きと左利きで不公平が無い反面、片手で構えるため傾きやすく、慣れないと意図せずにレバーが斜め方向に入力されるなど使いにくい面もあった。しかし旧来の機種の縦長コントローラと比較すれば、後発のスーパーカセットビジョンでは手になじみやすく扱いやすいよう工夫されていた。耐久性もあり、ゲームによっては連射の代わりにレバーを激しく左右に入れる、もしくは回転させるといった力まかせの操作方法がゲーム中で普通に使われていた。発売予定のアナウンスのみで、最終的に商品化の確認されなかったもの。

出典:wikipedia

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