遠藤理のボン・ディマンシュ(えんどうただしのボン・ディマンシュ)は、茨城放送で1998年4月12日から2006年4月2日まで、毎週日曜12時から16時20分に放送されていた生放送のラジオ番組である。番組タイトルの「ボン・ディマンシュ」はフランス語で「美味しい日曜日」という意味である。これまでの茨城放送の日曜昼は13時から15時までIBSヒットランキング(第1部・歌謡カプセル→歌謡エクスプレス→サンデースーパーカーニバル 14時から第2部・ポップランド、いずれも1998年より夜に移動)、15時・16時台は主に30分の録音番組を放送しており、生放送はニュース、天気予報以外はなかった。詳しくは、茨城放送日曜ワイド番組枠などを参照(但し1994年より15時から15時30分はニュース担当アナによる生情報番組を放送していた。)。そして1998年4月12日に番組がスタートした。番組では毎週一つのテーマが与えられる。比較的難しいグランテーマの週があったりするようなときはプチテーマというのも与えられる。基本的にプチテーマは軽いアンケートみたいなものが多い。頻繁に扱われたテーマ新聞のラジオ欄には「メールダービー」という記載になっているが、正式なコーナー名はこちらである。番組内の15時から15時30分頃に行っており、2004年3月までは16時台に放送していた。ただし、番組がふるさと放送局などでスタジオ外から放送しているときや、スタジオからの放送であっても特別企画が入っている場合や、スポーツ中継、大事件・災害による内容大幅変更の場合は休止になる。例外として1999年12月12日はドコモショップつくばからの放送であったが、このときはダービーが通常通り行われている。スタジオ外からの放送でダービーが行われたのはこれ1回だけだった。以上の手順をコーナーの時間内(6回前後)繰り返し行う。ダービーは最初はポケベル、Iモードと続き、FOMAダービーが3代目である。ダービーは放送開始当初から続いている人気企画である。当初は16時から16時30分頃に放送されていたが、2004年から放送が16時20分までになったのに伴い現在の時間枠に変更された。0から4の番号のポケベルが置かれ、そこに1番目に入った曲しかオンエアの権利がなかった。抽選方式はサイコロで決め、1から4の出目ならその番号で、6が0のポケベル。5が出ればリセットして次のラウンドとなった。回によっては5が連続して出たこともあった。次のラウンドのゲートオープンは前のラウンドでウィナーになった曲が流れ、全てのエントリーが出揃うまで流れる。なお、時間によっては混みあう事もあり、なかなか入らない場合は曲がフルコーラスかかっていた。なお、フルコーラスかかって全エントリー読み上げ後、入らなかった場合はその番号は欠番扱いとなった。FOMAダービーに近いルールとなる。1999年12月12日はドコモショップつくばからの放送で14時台に1回きりの放送を行った。そしてポケベルに代わって2001年から通常放送でも登場した。第1回では第1ラウンドの受付を開始した直後から圧倒的な数のメールが送られてきてしまい(実に100件以上のリクエストがあったという)、遠藤や中嶋はかなり困ってしまったそうだ(抽選からウィナーの曲がかかるまで実に15分以上も時間を費やした)。そのため第2ラウンドからはオペレーター(のちの理’Sエンジェル。なお、結成当初はボンギャルという名前だった)が各端末を担当するようになり、受付時間を1分(2回目以降は現在と同じ30秒)としたが、この回ではいろいろあり3ラウンドまでだった。第1回の第1ラウンドウィナーはゴスペラーズの「ひとり」であった。2回目以降(4月8日は潮来市からのふるさと放送のためダービーは休止)からは第1ラウンドからオペレーターと中嶋が各端末を持つようになった。そして、この回からダービー中に限り電話リクエストの受付ができなくなった。最終回が2002年4月21日なのは翌週28日が海浜公園からの生放送でダービーが休止だったためである。なお、ダービー休止が数週に渡って続いた場合は再開した週にスペシャルを行った。グランテーマの音楽特集などによっては特定の曲しか受け付けない「しばり」というものもある。ポケベルダービー後期の2000年から始まり(始めた当初は実験的であったらしいが、結構な数のリクエストが来たため不定期にやるようになった)、ポケベルダービー時代は5回行われ、Iモードダービーは1回、FOMAダービー時代は10回行われた。2002年はしばりが1回もなかった。過去に出た「しばり」2000年5月14日放送と2001年5月13日放送はキリンビール取手工場からの公開生放送だった。この回ではリスナーに懸賞があったため、通常のリクエストではなく、クイズ形式でダービーを行った。
進行手順は通常とほぼ同じだが、メッセージのとこにはクイズの答えと応募者の住所氏名を表記。
その後遠藤の抽選で当たった方にプレゼントが当選するといったルールであった。FOMAダービー第1回の1曲目にかかったのはGLAYの「HIGHWAY No5」。最終回(2006年4月2日)の最終ラウンドのウィナーもGLAYの「南東風」だった。ポケベルダービー時代は、氷室京介の「Sleepless Night〜眠れない夜のために」が2連続でウィナーになる珍事もあった。毎週あわや白に止まるというシーンがあるが、数週に1回の確率である。最終回の第5ラウンドも白がでるという波乱だった。2005年7月24日の放送では第6ラウンド、第7ラウンドの2連続で白いマスにボールが止まるという事態が起きた。2002年12月放送の最終ラウンドでは、6個のエントリー中に4つも野村邦丸の『青空』がエントリーされたことがあった。不祥事を起こしたアーティストは、報道後数週間、そのアーティストの曲が一切エントリーできなかった。アーティストしばり(ビートルズ、サザンオールスターズ)の回は、そのアーティストのシングル、アルバムがダービー開始前に全てスタジオ内に運ばれてきていたため、エントリーが決まれば直ぐに曲が流れるという形式になっていた。2000年12月31日放送では、ダービー前の交通情報後、中嶋が「遠藤さん、今日のダービーは何のしばりにしましょうか?」という発言があったが、その回は事前に何の予告もなかったため、しばりは付かなかった。番組では不定期にスタジオを飛び出して外から番組を放送する事がある。2つのパターンがあり、各地のお祭りなどから放送する「ふるさと放送局」と、大きなイベントから放送するものがある。原則として、一般リスナーの番組観覧は可能だが、2005年5月22日のつくば国際会議場から放送されたつくばエクスプレスカウントダウンイベントでは事前に応募して当選された者しか番組を観覧できなかった。過去にも関係者以外立ち入り禁止の場所での生放送で一般リスナーの観覧が不可だった放送もあった。ふるさと放送は現在ではひたちなか市IBSラジオ祭り@国営ひたち海浜公園、潮来市あやめ祭り、石岡市とびだせ!石岡のお祭り、牛久市シャトーカミヤワイン祭りが定番で、この他にもう1箇所どこかの産業振興祭りが加わる形である。基本的にお出かけボンディマンシュは年に5〜6回くらいの割合だが、過去には4週連続ふるさと放送を行ったこともあった。番組が終了した現在でも、ふるさと放送局は特番という形で放送されている。これとは別に番組ではバスツアーというのがあった。最初は2000年4月1日土曜日にシャトーカミヤでお花見バスツアーを行ったのが最初である。この模様は、翌2日のボン・ディマンシュ内の15時から1時間程度のダイジェスト版で放送された。その後、ポケベルダービーの曲待ちメッセージの最中にも、「抽選で落ちた人や、当日仕事で行けなかった人たちの為にもう一度やってほしい」などのメール・FAXが多数あったため、翌年4月にも第2弾を行った。後に2001年12月22日から翌23日にかけて裏磐梯グランデコでのスキーツアーが始まり、毎年恒例となった。当初は1日目の夜にはスペシャルパーティー、ツアー参加者全員がラジオドラマに出演する劇団ボンディマンシュというのがあった。2日目には現地からボンディマンシュの生放送があった。しかし、年末の抽選に漏れた人が続出したため、急遽2002年3月に2度目のスキーツアーを実施した。(このときはラジオドラマ、現地からの生放送はなし)なお、12月のスキーツアーでの劇団ボンディマンシュ、現地からの生放送は2002年を最後に廃止され、2003年以降は遠藤と中嶋は2日目の朝まで現地にいて、そこからスタッフの車で水戸に午前中のうちに戻ってきて通常通りの番組を放送という形になった。2005年3月のときは、当初芦川愛子(当時茨城放送アナウンサー)も参加予定であったが、風邪の為参加できず、翌月に急遽芦川主催でスキーツアーを実施した。なお、スキーツアーの応募倍率は12月、3月開催とも定員の2倍以上の応募がある。厳選な抽選の結果、当選者および抽選に漏れた応募者にも通知が郵送された。番組が終了した2006年冬以降は、スキーツアーの募集は行っていない。
出典:wikipedia
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