クリストファー・バートン・ドネルス(Christopher Barton Donnels , 1966年4月21日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。に近鉄バファローズ、~までオリックス・ブルーウェーブに所属した。1996年、の登録名は「C・D」。現在はオリックス・バファローズ米国駐在スカウト。のMLBドラフト1巡目(全体の24番目)でニューヨーク・メッツに入団。5月7日にメジャーデビュー。にはヒューストン・アストロズでレギュラー三塁手ケン・カミニティの控えとして自身最多の88試合に出場した。途中からボストン・レッドソックスでプレー後、に近鉄バファローズに入団。20本塁打を放ち活躍したものの、1年で退団。翌にオリックス・ブルーウェーブに入団。1年目は打率3割をマークしたものの、翌は成績は低下、は一軍出場がなく解雇された。日本プロ野球には4年間在籍していたが、登録名を偶数年度は「C・D」、奇数年度は「ドネルス」としていた。にロサンゼルス・ドジャースでメジャー復帰。5月5日の対シカゴ・カブス戦では、1対20と大量リードされた場面で一度だけ投手を務め、打者1人(ゲイリー・マシューズ・ジュニア)をファーストゴロに打ち取っている。にアリゾナ・ダイヤモンドバックスでプレー後、自由契約となり、シカゴ・カブス、フロリダ・マーリンズ、コロラド・ロッキーズのマイナーでプレーするがメジャーには昇格できず、2004年オフに引退した。2007年、ミッチェル報告書に名前が記載された。報告書の中で、2001年から2004年の間に元メッツの球団職員カーク・ラドムスキーから運動能力向上薬物を購入した事を告白した。2009年、選手時代に由縁のあったオリックス・バファローズの米国駐在スカウトに就任。2007年12月13日に発表されたミッチェル報告書では、作成時に調査スタッフによる聴取に応じている。報告書の中で、カーク・ラドムスキーは2001年から2004年にわたり、ドネルスにアナボリックステロイドとヒト成長ホルモン(HGH)の両方を販売したと述べている。ラドムスキーは8つの小切手や郵便為替を手掛けた。一番古いのは2001年11月29日で、一番新しいのは2004年6月23日のものであり、総額で9950ドルとなった。連邦捜査官が押収したラドムスキーのアドレス帳にもドネルスの名前が記載されていた。ドネルスは1993年にアストロズで一緒にプレーしていたケン・カミニティとステロイドの話題について頻繁に会話を持ち、共に研究を行った。カミニティはステロイドを試そうとしていた事をドネルスに話したが、ドネルスは良くないと感じたので使用しなかった。2000年にドジャースと契約を結んだドネルスは手術した肩の回復を早めるために独自でHGHについて詳しく研究した。HGHは当時違法だと知っていたが、MLBがHGHについてのテストをまだ実施していないと認識していた。2001年に背中を怪我した際に、1992年以来話をしていなかったラドムスキーに会い、彼からテストステロン、ダイアナ、デカ・デュラボリン、HGH、バイコディン、アンフェタミンを購入した。ドネルスはその後は2002年・2003年と禁止薬物の使用を続けた。2004年にも薬物を購入したが、最終的には使用しない事を決めたと述べている。
出典:wikipedia
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