永明 延寿(えいめい えんじゅ、904年 - 975年)は、中国五代十国時代の法眼宗の僧。「教禅一致」を説いた。俗姓は王氏で字は沖立、餘杭県(浙江省杭州市)の出身。7歳で法華経を読み、16歳で斉天賦を時の呉越国主銭元カンに献じて官吏となった。28歳の時、華亭県(現、上海)の駐留将校をしていたが、妻子財産を捨て、雪峯義存門下翠巌令参の下で出家した。その後、天台徳韶の法嗣となり、雪竇山資聖寺や霊隠寺に住した後に、永明寺に移り、以後15年間、この寺で得度した門弟は、1,700名に及んだという。篤信家として知られる呉越国の銭氏の尊崇を受けた。『法華経』を誦すること13,000部に及び、造像や造塔を在家者に熱心に奨めた。その名声は広く知れ渡り、高麗の光宗が、彼の徳を慕い、36人の僧を派遣して弟子入りさせた。北宋代には、天台山において10,000人以上の得度、授戒、放生を行なう。72歳で没し、智覚禅師、永明宗照大師と諡された。法臘42(『宋伝』では37)。浄土教においては、蓮宗の第六祖とされる。
出典:wikipedia
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