堀江 景用(ほりえ かげもち、生没年不詳)は、室町時代中期の武将。通称は七郎、石見守。堀江景経の子という。堀江景忠の父。弟に堀江景利、堀江景道、堀江景好。景用は、堀江氏の庶家(本庄堀江家、細呂宜堀江家のいずれか)の出身である。越前守護斯波義敏と守護代甲斐常治が争った長禄合戦において、堀江惣領家(堀江石見家)の堀江利真は斯波方につき、長禄3年(1459年)に甲斐方の朝倉孝景(英林孝景)に討ち取られた。これによって断絶した惣領家を、庶家から堀江景用が継承することとなった。景用は孝景とともに甲斐方として戦った。以後、朝倉氏の国衆(外様)として活動し、文明6年(1474年)1月18日の杣山合戦で武功を上げたとされる(『朝倉始末記』)。歌人としての才能もあったと伝えられる。『朝倉始末記』によれば、父とする堀江景経は、笛の名手であり、ある夜、笛を吹いていたところ、その笛の音に誘われるように現れた美女と夫婦となった。その後、その女性が出産間近になって、「産所には近付かないで欲しい」と頼んだが、景経はその約束を破って中を覗くと、中にいた大蛇が覗かれているのを知ってその場から姿を消し、あとには景用が残されていたという伝承がある。このような由来から、堀江家の家紋は、爾後「蛇の目」になったとされている。堀江氏は、利仁流河合斎藤氏の系統とされる(斎藤実盛の末裔とする異説もある)。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。