ダイヤモンドジュビリー("Diamond Jubilee")は、19世紀末から20世紀初頭に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。1900年にイギリスクラシック三冠を制した。種牡馬としては主にアルゼンチンで優れた産駒を残した。アルバート・エドワード皇太子(のちのエドワード7世)によって生産・所有された。母パーディタはエドワード7世がデイヴィッド・ファルコナーから900ギニーで購入した馬で、セントサイモンとの間に何頭も活躍馬を出した。全兄にフロリゼル、パーシモン、サンドリンガムがいる。馬名はヴィクトリア女王在位60周年を記念してつけられたものである。気性はセントサイモン産駒の中でも最悪に近い。父をある意味で超える攻撃性があり、まともに扱えるものは少なかった。激しい気性でまともなレースにならないことも多く、レースそっちのけで騎手を振り落とそうとしたり、パドックでは見物人を蹴飛ばそうとしたり、スタート前に騎手を振り落として暴走したりと無茶苦茶で、2歳時は6戦して1勝に終わっている。大抵の騎手はまともに乗れず、挙句の果てに踏み殺されそうになったりで、やむなく担当厩務員のハーバート・ジョーンズを乗せてクラシックに挑んでいる。引退後、アルゼンチンに渡ってからも性格は改善しなかった。あるとき体調を崩し、その危険性から薬を与えられないので、棒に薬を塗って目の前に差し出し噛みつかせた、馬房に迷い込んだ浮浪者の腕を食いちぎろうとした、脱走して近くの町に逃げ込んだ際は、行く手を遮ろうとした男子生徒の輪に、逆に怒り狂って突撃した(その後も暴走を続けて最終的に駅で捉えられた)等、数々の逸話が伝わっている。勝った大レースは2000ギニー、エプソムダービー、セントレジャーステークスの三冠の他、ニューマーケットステークス、エクリプスステークスがある。2000ギニーは4馬身差、ダービーは兄パーシモンが記録したレコードと同タイム、セントレジャーはレース前20分も暴れた上での勝利、エクリプスステークスもレコードと気性さえクリアできれば非常に強い馬であった。種牡馬としては1902年からサンドリンガム王立牧場で、1906年からアルゼンチンのLas Ortigas馬牧場で供用された。イギリスでは既にセントサイモン系種牡馬が多数存在している状況下あまり活躍できず(1902年の種牡馬ランキング1位は全兄パーシモン、2位は父セントサイモン。全兄フロリゼルも上位に入っていた)、ジョッキークラブステークス勝ち馬サンシーを出した程度に終わったが、アルゼンチンでは大成功し1914-1916,1921年の4度種牡馬首位になった。種牡馬の父としても優秀で、短期間ではあるが南米で一大父系を形成した。
出典:wikipedia
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