『三角帽子』(さんかくぼうし、原題:"El sombrero de tres picos")は、ペドロ・アントニオ・デ・アラルコンがスペイン・アンダルシアの民話を元にした短編小説『三角帽子』を元にしてマヌエル・デ・ファリャが作曲したバレエ音楽、もしくは後に抜粋された2つの組曲。タイトルは登場人物の一人、「代官」の帽子に由来する。1903年にファリャと台本作家のカルロス・フェルナンデス・シャウは王立サン・フェルナンド美術アカデミーで開かれるコンクール用の題材としてアラルコンの小説『三角帽子』に目をつけたが、歌劇『はかなき人生』(1913年)の制作が優先され、この企画は棚上げとなった。その後ファリャは『恋は魔術師』(1915年)を共同制作したグレゴリオ・マルティネス・シエラとともに、『三角帽子』に基づくパントマイムを制作することにした。ファリャが作曲途中であった1916年にバレエ・リュスの主宰であるセルゲイ・ディアギレフがファリャにバレエ音楽の作曲を依頼。ディアギレフは最初『スペインの庭の夜』をバレエ化したいと考えていたが、これにファリャが熱心でなく、アラルコンの小説『三角帽子』を元にした『代官と粉屋の女房』("El Corregidor y La Molinera" )の再構成を提案した。ディアギレフはこれに同意し、振付にレオニード・マシーンを、さらに舞台・衣装デザインにパブロ・ピカソを起用した。1917年始めには一応の作曲が完了し、ディアギレフはこれをすぐに上演することを求めたが、ファリャとシエラは当初の計画通りパントマイムとして上演することを望み、4月7日にマドリードのエスラバ劇場(Eslava Theatre)で、ホアキン・トゥリーナ指揮のマドリード・フィルハーモニック・オーケストラの演奏で初演された(第一次世界大戦のためバレエの上演が困難であったためでもある)。この時のパントマイム『代官と粉屋の女房』は小編成オーケストラのために書かれていたが(後述)、初演に立ち会ったディアギレフのアドヴァイスに基づき、大編成オーケストラのためのオーケストレーションの改編と大幅な曲の追加やカットが行われ、1919年にバレエ音楽『三角帽子』として完成した。1921年にイギリスのチェスター・ミュージックより出版され現在に至っている。2幕形式。13曲から成る。【()内は曲名】ティンパニの力強いリズムで始まる。(序奏)カスタネットの連打とともに「オレ!オレ!」の叫び声。メゾソプラノが「奥さん、閂をかけなさい」と歌い終わり、最初のティンパニに導入された旋律が終わると幕が開く。(午後)アンダルシアのある町で、見た目が悪いが働き者の粉屋と、美人の女房が住んでいる。ある日、好色な代官がこの女房に目をつけ、お忍びで現れる。女房は粉屋を物陰に隠し、代官に官能的な踊り「ファンダンゴ」(粉屋の女房の踊り)を踊る。代官は言い寄るが、からかわれた末にその場に倒れてしまう。(ぶどう)出てきた粉屋が代官を殴り、代官は引き揚げる。その日の夜、近所の人々が祭の踊り「セギディリア」を踊っている(近所の人たちの踊り)。粉屋も「ファルーカ」を踊りだす(粉屋の踊り)。激しい踊りが続くが、代官のわなにより、粉屋は無実の罪で2人の警官に逮捕されてしまう。代官は女房を奪い取ろうと忍び寄ってくる(代官の踊り)が、気が急いでいる代官は水車小屋の前の川に落ち、粉屋の女房に助けられるが結局逃げられてしまう。代官はぬれた服を脱ぎ、粉屋のベッドに潜り込む。そこに逃げ出してきた粉屋が戻ってくるが、代官の服を見て自分の服と代官の服を交換し、代官の女房のところに向かう。代官は粉屋の衣服を着て外に出て(終幕の踊り)、警官に見つかり、その警官と近所の人に袋叩きに遭い、逃げていく。近所の人たちは、平和を取り戻した粉屋の夫婦を中心に、一晩中踊って一件落着「ホタ」。小編成オーケストラ用であり、打楽器は全く含まない。初演時は第1、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが2名ずつ、合計17人で演奏された。あらすじや、2幕構成であることは同一であるが、『三角帽子』への改編に際し、「序奏」、「粉屋の踊り」などが追加された(ただし「粉屋の踊り」の序奏部分は最初から存在していた)。「終幕の踊り」も初演版では約30秒程度の短いフィナーレに過ぎない。反対に、第2幕の終わり頃にあったベートーヴェンの交響曲第1番の第4楽章序奏のパロディー(『三角帽子』練習番号55に見られるイ長調の上昇音階はその名残りである)などはカットされてしまっている。
出典:wikipedia
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