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キョウエイマーチ

キョウエイマーチは、日本の競走馬である。1997年の桜花賞を制したほか、6歳になっても重賞を勝つなど、息の長い活躍を続けた。主戦騎手は松永幹夫→秋山真一郎。
なお、馬齢は現在の表記で統一する。1994年4月19日、北海道門別町のインターナショナル牧場にてインターシャルマンの2番仔として出生。生誕後骨端症という脚部不安を抱えていることが判明したが、懸命な治療が施され続けて、何とかデビューまで漕ぎ着けることができた。1996年9月、栗東の野村彰彦厩舎に入厩したキョウエイマーチは、同年11月30日に阪神のダート1200mの新馬戦でデビュー。2着以下を1秒7も引き離す大差で圧勝した。なお、この時の3着は後の菊花賞優勝馬マチカネフクキタルである。
続く500万下の千両賞は3着に終わり、この年は2戦1勝に終わっている。年が明けると、キョウエイマーチは寒梅賞(500万下)、オープン特別のエルフィンステークスを連勝し、クラシック候補に名乗りを挙げた。3月に入って桜花賞トライアルの報知杯4歳牝馬特別に出走、楽々と先頭を奪うとそのままスピードの違いで2着のシーズプリンセスに7馬身の差を付けるレースレコードで圧勝。桜花賞の最有力候補に挙げられるようになった。迎えた桜花賞本番では、2歳女王のメジロドーベルを抑えて1番人気に推された。桜花賞では不利と言われる大外18番からの出走、降り続いていた雨による不良馬場など不安要素も多かったが、レースでは4コーナーですんなりと先頭に立つと、直線でも全く衰えることなくスピードの違いで後続を引き離し、2着のメジロドーベルに4馬身差をつけ快勝、桜花賞のタイトルを獲得した。鞍上の松永幹夫は初の桜花賞制覇、調教師の野村彰彦は初のGI制覇となった。また生産者であるインターナショナル牧場にとっても自家生産馬としては初のGI制覇となった。続くオークスでも桜花賞馬ということで1番人気に推され、いつものように逃げを打つものの直線で失速、メジロドーベルのオークス制覇を横目に11着と大敗した。ちなみに、この後もキョウエイマーチは長距離輸送を伴うレースでは勝利したことは無く、キョウエイマーチが現役時代に挙げた勝利は、全て地元の関西圏での競馬場(京都競馬場・阪神競馬場)でのものであった。秋初戦、休養明けのローズステークスでは1番人気に推されたシーキングザパールに競り勝ったものの、本番の秋華賞では再びメジロドーベルの前に2着に敗れた。これ以降、短距離路線にほぼ専念したため、メジロドーベルとはライバルと言われていたが、結局これが最後の対決となった。秋華賞後、キョウエイマーチは距離適性を考えてエリザベス女王杯ではなく、マイルチャンピオンシップに出走。快速馬サイレンススズカとの逃げ合戦に競り勝ち、前半の1000mが56秒5という驚異的なハイペースで逃げ粘ったが、ゴール手前でタイキシャトルに差し切られ、2着に終わった。次のスプリンターズステークスでは2番人気に推されるものの11着と大敗し、この年を終えた。古馬になるとキョウエイマーチはマイラーズカップ3着、シルクロードステークス11着、スワンステークス6着と勝ち星から見放され、騎手育成のため主戦騎手が松永から秋山真一郎に代わった。だが、主戦騎手が秋山に代わっても、マイルチャンピオンシップ6着、阪神牝馬特別4着に終わり、キョウエイマーチはこの年は勝つことができなかった。引退の噂もあったが、キョウエイマーチは現役を続行することになり、フェブラリーステークスで寒梅賞以来2年ぶりのダート戦に挑戦した。レースでは直線半ばまで先頭で逃げ粘り、5着になった。次走のマイラーズカップでは2着に逃げ粘り、久々に連対を果たした。そして、阪急杯ではローズステークス以来となる1年7ヶ月ぶりの重賞制覇を挙げた。重賞制覇の勢いそのままに出走した高松宮記念では4着になり、スプリント戦でも戦えることを示したが、安田記念では9着に終わり、休養に入った。秋はマイルチャンピオンシップ南部杯から復帰、2着になった。マイルチャンピオンシップは5着、スプリンターズステークスでは13着に終わったものの、キョウエイマーチは芝・ダート、中央・地方を問わず短距離の一線級のレースに出走を続け、見せ場を作り続けた。6歳になったキョウエイマーチは、この年から1600mに短縮された京都金杯に出走した。57kgという実質的のトップハンデを背負ったものの、2着のアドマイヤカイザーに5馬身の差をつけ快勝した。桜花賞優勝馬で6歳(旧7歳)時に重賞を勝った馬は当馬と中山牝馬ステークスを勝ったキストゥヘヴンのみである。この後、キョウエイマーチは、フェブラリーステークス11着、黒船賞3着と勝つことができず、マイラーズカップで6着に敗れたのを最後に引退し、繁殖牝馬となった。2001年よりノーザンファーム早来牧場で繋養されていたが、2007年5月9日、出産時における大腸変位で死亡した。最後の産駒になった2007年度の産駒インペリアルマーチは父ネオユニヴァースの牡馬である。産駒は見栄えは悪くないが、自身も持っていた脚元の不安を受け継ぐものも多く、2番仔のヴィートヴァンクルは2歳を前にして手術を余儀なくされ、中央・地方で計11戦して未勝利で終わり、初仔ヴィートマルシェ、3番仔トライアンフマーチおよび4番仔インペリアルマーチも体質の弱さなどから2歳戦ではデビューできなかったことなど、必ずしも順調に使うことができないケースが多かった。更に、牝駒に恵まれず、初仔のヴィートマルシェが唯一キョウエイマーチの牝系を繋いでいる状況である。そのヴィートマルシェから、フェアリーステークス3着のサンブルエミューズ、新潟2歳ステークス2着のアヴニールマルシェという活躍馬が出ている。2010年4月11日の阪神競馬場第12競走として施行されたJRAプレミアムレース「阪神スプリングプレミアム」で、当馬が最多得票を獲得したことから『キョウエイマーチメモリアル』の副名称を付与して施行された。近親には5代母クインナルビー(本血統表内スズキナルビーの母)の子孫にオグリキャップ、オグリローマン、アンドレアモンがいる。

出典:wikipedia

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