国鉄ED45形電気機関車(こくてつED45がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した交流電気機関車である。本項では、同時に試作されたED44形電気機関車についても記述する。1955年8月10日国内初の交流電化実験線区となった仙山線陸前落合 - 熊ヶ根間で各種試験を行うために試作された電気機関車である。1953年に日本全国で幹線電化を進めるにあたって、変電所が少なくでき建設費を抑えられる商用周波数による交流電化方式が着目された。国内での研究のほか単相交流では世界初の交流電化実用に成功したフランスから機関車を輸入するため折衝にあたったが、国鉄が試験用としての最小両数の輸入とする方針だったのに対しフランス側は継続的な輸入を要求したことから交渉は決裂。このため日本国内で交流電気機関車を開発することになり、製造されたのがED44形とED45形である。直接式のED44 1と整流器式のED45 1・11・21の計4両が製造された。性能比較のため機器類に相違点はあるが、以下の共通点がある。1955年(昭和30年)の実験線試験では、以下の比較検討となった。このためED44 1とED45 1の2両が試作された。1955年7月20日に日立製作所水戸工場で製造された日本初の交流電気機関車である。1955年9月28日に三菱電機・新三菱重工業で製造された。直接式のED44形に多数の問題点が露呈した。整流器式のED45形の場合では、電気的な観点から水銀整流器が位相制御による連続的な電圧変換が可能で、起動時に有利であり、しかも空転しても端子電圧が上昇しにくいことから主電動機の回転数がすぐに復帰し、空転が自然に収まるという特性を持っていた。この結果、今後製造される交流電気機関車には整流器式を用いることとなった。引き続き整流器式交流電気機関車の開発と試験が継続され、製造メーカー毎に搭載機器や方式の異なるED45 11・21が製造された。1956年(昭和31年)12月21日に東芝で製造された。搭載機器の比較検討にあたり、直接式を製造した日立製作所が1957年2月に製造した整流器式交流機関車である。ED45 11は試運転での成績不良によりメーカーでイグナイトロンを交換、ED45 21も同じ理由から機器配置の変更を実施したが、その後はいずれの車両も好成績を残した。さらにこれらの車両をベースに以下の形式が開発された。1961年(昭和36年)に形式称号の変更を実施した。4両とも作並機関区に配属され、仙山線での試験終了後の正式交流電化となった1957年9月以降も引き続き運用され営業列車の牽引を開始した。しかし、直接式のED44形は保守・整備の手間に難があることから、1961年以降は休車状態となり1966年に廃車となった。一方、整流器式のED45形は3両とも1968年の仙山線全線交流電化後も長町機関区に転属して運用され続けていたが、以下の問題が発生していた。また、福島機関区(現・福島総合運輸区)所属のED78形による奥羽本線との共通運用による各種コスト削減の効果も大きいことから、1970年に仙山線用試作交流機関車の取替名目でED78 10・11が製造され置き換えられたために全車廃車となった。2両が静態保存されている。
出典:wikipedia
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