ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルバ(UESLEI Raimundo Pereira da Silva、1972年4月19日 - )は、ブラジル・バイーア州出身の元サッカー選手(FW)、指導者。愛称は“ピチブー”(猛犬の意)。実弟にジョルジーニョ。1985年にECバイーアの下部組織に入団。1993年、同トップチームでプロ生活をスタート。その後フラメンゴやサンパウロなどブラジルのクラブチームを渡り歩く。1998年にバイーアに戻ると才能が開花し、同年カンピオナート・バイアーノMVPおよび得点王、1999年カンピオナート・ブラジレイロ・セリエB(2部)得点王、2000年には再びカンピオナート・バイアーノMVPと得点王に輝く。2000年のシーズン途中からJリーグの名古屋グランパスエイトへ入団する。ゴールを量産する活躍をみせ、当初はドラガン・ストイコビッチ、後年にはマルケスとの2トップでリーグ屈指の攻撃陣を形成した。2003年にはJリーグ得点王及びベストイレブンに輝き、翌2004年11月にはアルシンドを抜いてJリーグ外国人最多得点記録を更新した。しかし2005年、ネルシーニョ監督と自身の起用法を巡って衝突、その後クラブ批判にも発展し謹慎処分を受ける。結局開幕戦1試合に出場したのみで退団し、ECバイーアへ戻った。アトレチコ・ミネイロ退団は決まっていたものの移籍先が見つからなかったところにサンフレッチェ広島からのオファーが届き、2006年当初半年間のレンタル移籍という形で加入(のちに契約をシーズン終了までに延長)、佐藤寿人と抜群の相性の良い2トップを組み、ゴールを量産。2007年末に広島のJ2降格に伴い、退団した。2008年、大分トリニータにレンタル移籍。抜群の存在感を見せ、同年のナビスコカップでは決勝で追加点をあげ優勝に貢献。このシーズンで現役引退を示唆していたが、大分側からの強い要望により契約を更新。2009年も大分でプレーしたが、年齢から来る衰えに加え、度重なる負傷により、満足にプレーすることは叶わなかった。同年8月3日に、現役引退を表明した。2010年1月、引退を事実上撤回し、ブラジルのECヴィトーリアと契約するも同年に退団。2011年古巣ECバイーアにコーチとして復帰する。2012年現在、バイーア州4部のでコーチとして活躍している。現役時代は、ペナルティエリア外からの強烈なミドルシュート、重戦車のようなドリブルからの得点、ヘディング、フリーキックと、さまざまな得点パターンをもつパワフルなストライカーであった。2003年J1得点王以外にもさまざまなJリーグ記録を持っている(いずれも2013年8月現在)。珍しいエピソードとして、広島在籍時のゴール後のパフォーマンスである“片膝をついて左手で弓を構え、矢を放つしぐさで両手をパーにする”という、通称「弓矢パフォーマンス」というのがある。2006年開幕前に清神社で行われた必勝祈願の際、紹介された「毛利元就の三本の矢」の故事と、奉納された弓矢から思いついたとのこと。当時のチームメイトであった柏木陽介・槙野智章・平繁龍一が出場した2007 FIFA U-20ワールドカップにおいてU-20日本代表全員でこの弓矢パフォーマンスを行っていた。同チームの大会での快進撃も相まって一時話題となった。また2014年現在においても広島では得点の際に選手が披露したり、サポーターとのイベントなどで選手、サポーターが一緒になってしばしばこの弓矢パフォーマンスを披露しており、広島にとってはおなじみのパフォーマンスとなっている。217||124||46||21||10||5||273||150国際試合その他の公式戦個人記録Jリーグ記録
出典:wikipedia
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