浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球評論家、プロ野球解説者、アマチュア野球選手。鳥取県に生まれ、大阪府で育つ。小学3年生から野球を始める。国士舘高校時代は東京屈指の強打者兼内野手として注目された。1991年東北福祉大学で同期の斎藤隆や作山和英らとともに日本代表として日米大学野球選手権大会に出場。アマチュアナンバーワン遊撃手との呼び声高く、端整な顔立ちで女性人気も集めた。1991年のドラフトで福岡ダイエーホークスと中日ドラゴンズから3位指名を受け、抽選の結果ダイエーが交渉権を獲得し入団。(大学同級生には他に金本知憲)同い年の若田部健一と共にルーキーイヤーから一軍に定着し、同年のオールスターゲームにファン投票で選出される。確実性のある打者ではなかったが、時折放つ長打と俊足を武器に弱小時代のダイエーを支えた。またバントの名手としても知られ、様々な種類のバントを各種場面で使い分ける技術があった。1996年には2番打者として全試合出場を果たしチーム二位リーグ三位の33盗塁を記録。1997年、「20世紀最後の大型内野手」と呼ばれた井口忠仁が入団。浜名は二塁手にコンバートされ、柳田聖人らとの併用で内野陣を支えた。1999年には選手会長に就任し、ダイエー初のリーグ優勝・日本一に貢献した。しかし以降は持病のヘルニアのためにポジションを鳥越裕介に譲り、長らく二軍生活が続いた。2001年、オフにダイエーから戦力外通告を受け、金銭トレードでヤクルトスワローズへ移籍。2003年オフに再び戦力外通告を受け、千葉ロッテマリーンズの入団テストに合格したものの二軍生活が続き、2004年に現役引退。引退後は慣れ親しんだ福岡へ戻る。その後はマスターズリーグ・福岡ドンタクズで活躍。2006年、RKB毎日放送・J SPORTS・日刊スポーツの解説者に就任。2007年、かつてチームメイトだった加藤伸一が監督を務める硬式野球クラブ・鳥取キタロウズに、内野手兼コーチとして入団。母親がチームの本拠地・鳥取県倉吉市出身であることによる。
出典:wikipedia
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