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頸城トンネル

頸城トンネル(くびきトンネル)は新潟県内のえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインにあるトンネルである。1969年の開通から2015年3月13日までは北陸本線(国鉄→JR西日本)に所属していた。能生駅 - 名立駅のほぼ全ての区間がこのトンネル内である。全長11,353mで、途中には筒石駅が存在する。明治時代に建設が開始、開通した糸魚川駅 - 直江津駅間は、フォッサマグナの西縁部にあたり、付近に存在する糸魚川静岡構造線の影響も相まって非常に複雑な地質条件を有する。このため、北陸本線は建設時から地すべり災害に悩まされてきた。この区間の特徴として、山塊が海側へと張り出しており、線路の路盤は山と集落の合間を縫って設置せざるを得なかったという点がある。このため多くの箇所で、山側の斜面を削って路盤を設置することとなるが、時にはその掘削が、新第三紀層の地すべり土塊の末端部を切り取ることにつながり、地すべり土塊を不安定化させ、土砂災害を誘発させることとなった。建設中の路盤は、至る所で隆起したり移動したりを繰り返したため、この区間の建設だけでも10年以上の歳月を要している。供用開始後の糸魚川駅 - 直江津駅間では、特に旧筒石駅を中心に、記録に残っているだけでも20回以上もの運行停止を招く路盤流出や埋没が発生した。列車が土砂に巻き込まれる脱線転覆事故も6回を数え、単一区間では異常なレベルの頻度で発生している。旧筒石駅自体も、地すべり土塊の中に設置されたため、1916年と1946年の2回、駅構内が地すべりによって移動、破壊されるという災害に巻き込まれた。1963年(昭和38年)3月16日16時35分頃能生町小泊地区(能生 - 筒石間、白山トンネル北側坑口付近)において大規模な連続地すべりが発生し、折悪しく現場を通りかかった敦賀発直江津行き普通225列車(機関車C57 90、客車7両編成)が地すべりに乗り上げた後に機関車と客車1両が埋もれた集落の上を海岸付近まで流される惨事となった。列車が最初の地すべりに乗り上げてから次の地滑りによって流されるまでに約20分ほど時間的猶予があったために迅速な避難が行えたこと、機関士がトンネル出口で地すべりを発見して非常停止措置を取ったため列車の速度が35km/h程度と遅かったこと、普通列車で乗客が100 - 150名程度と比較的少なかったことなどから、幸いにして15名の軽傷者を出しただけで済んだが、約170m流されて泥土に埋まった蒸気機関車は海岸でそのまま解体されることになった(この地すべりで小泊地区は死者4名、負傷者数名、家屋全半壊29戸の被害を出し、北陸本線は基礎路盤の補強工事レベルから見直したため開通までに20日間をもかけざるを得なかった)。連続して発生する重大事故、また、北陸本線は当区間を残して電化・複線化が進められており、新線付け替えを検討することは焦眉の急を要した。海岸付近を経由する従来の単線ルートでは、地質学的に今後も地すべりの被害が予想されたこと、海岸至近を走る為に波浪等の影響や電化設備の塩害も無視できないこと、地形的に狭隘な場所を通っているために複線化の用地を確保するのが非常に困難な事などから、この区間の線形を山側へ振り、一直線にトンネルで抜ける経路が模索された。その結果、浦本駅 - 能生駅間を浦本トンネルと木浦トンネル、能生駅 - 名立駅間を頸城トンネル、名立駅間 - 有間川駅間を名立トンネル、各地すべり土塊の下をくぐるルートが設定された。この区間で最長のトンネルとなったのが当頸城トンネルである。各駅も移転を余儀なくされ、能生駅はトンネルの入り口付近、名立駅はトンネルの明かり区間に設置することとなった。しかし、筒石駅周辺は明かり区間などの適地がないため、保安面の管理の役割も兼ねて頸城トンネル内への設置が行われることとなった。建設は、多くの破砕帯に直面し難航を極めた。突発的な出水はおろか石油が湧き出した地点もあったという。頸城トンネルをはじめとしたトンネルの工事及び電化複線工事は1966年(昭和41年)3月に着工、1969年(昭和44年)9月29日に供用を開始した。2015年3月14日、北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間開業に伴い北陸本線の金沢駅 - 直江津駅間がJR西日本から第三セクターに分離され、当トンネルの所属会社はえちごトキめき鉄道に変更となった。この結果、JR以外の鉄道の山岳トンネルとしては日本で最長となった(それまでの最長は北越急行ほくほく線赤倉トンネルの10,472m)。

出典:wikipedia

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